僕は、「自由と自分勝手は違う」と言って、責任のことを持ち出す大人が、大嫌いである。
ヨハン・クライフは言う。サッカーチームには、10人の選手と、1人の左ウイングがいる。左ウイングは戦術の外側にいる、と。
チームには、優れた戦術と、理解し、忠実に従う10人の選手、そしてそれを無視する自由な個人が1人、必ず要るのだ。
意味もなくドリブル突破をはかったり、パスを出すべきところでシュートを打ったりと、その行動が味方にすら予測できない馬鹿が1人いるからこそ、戦術に厚みが増す、という理屈である。
味方にすら理解できない選手の行動を、相手が予測できるわけがない。予測できない敵の攻撃を、防ぐのはとても難しい。
ゆえに彼は(彼も)、貴重な戦力なのだ。
☆
自由な左ウイングの、自分勝手な行動の責任を負うのは、選手本人ではない。起用した監督である。
小学生のとき、好きな言葉を「自由」なんて書くと、自由っていうのはね、自分勝手とは違うんだ、それは責任をともなうものなんだよとお節介なことを言ってくる先生が必ずいた。
うざい、とずっと思っていた(今も思っている)。
外国なんかでは、企業や、大学など、プロジェクト・チームを組むとき、その方向性とは必ずしもストレートに合致しない半端者(オッドマン)を加えることが多い。
オッドマンがいるチームは、いないチームより遥かに早く目標をクリアできるというのだ。一見能率的に思える、「同じ」歯車だけの集団は、かえって非効率的なのである。
☆
同質化した、規格品だけの集団は、大きく失敗することはないのかも知れないが、飛躍することもない。急激な変化に対しても、脆い。
自由と自分勝手とは違う、と子供を諌める大人は、自由が集団にもたらす大変化を恐れ、保身をはかっているにすぎないのである。
自由人は、共同体に対し一定のリスクを要求する。そのリスクを取らなければ勝利や進歩はないわけであって、個人が自由であることの責任の一部は、きちんと、共同体のほうで負うべきなのだ。
☆
シュートを打つべきところで、パスを出したジーコジャパンの無能なFWは、望んで無能になったわけではない。長い長い時間をかけて、その能力を奪われてきたのだ。きっと子供のころから、自由と自分勝手とは違う、という教育を受けてきたのだろう。
「自由っていうのはね、自分勝手とは違う、それは責任をともなうものなんだよ」
彼らは、子供が自由であることの責任を、大人が放棄する国に生まれたのだ。社会の失敗の責任を「自由」に負わせる、この国に。
責任、という言葉でいらぬプレッシャーを個人にかける、教育と社会のほうに責任はなかったと言えるのか。シュートを打たなかった彼らだけを責めるのは酷だ。
僕は、「自由と自分勝手は違う」と言って、責任のことを持ち出す大人が、大嫌いである。
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コメント
おひさしぶりです、勝手ながらTBさせていただきました。責任を持ちだすことが、自由を制限するためのエクスキューズに使われている感は確かにありますね。
投稿: azuncha03 | 2006年6月26日 00:03
打たれたらもっと出る杭みたいなストライカーが一人いればねえ^_^;
国民個人の責任は鉄よりも重く、国や政治家の責任は軽い羽のごとし・・・
小さな罪には重い罰、大きな罪には軽い罰みたいな変な国ですねえ?!
投稿: ロックフリーク | 2006年6月26日 17:01
こんにちは。
集団の中には勘違い野郎の1人や2人、いて絶対良いんだと思います、とサッカーのことに限って言えば、前回のワールドカップは、最後嫌な負けかたをしたものの、選手たちにとっては自信になったのではないか、勘違いを現実にしてしまうような、パワーを個々に与えたのではないか。
(稲本とか特にね)
今回は比べると、みんな自信喪失しちゃったんじゃないかなぁ。FWの2人や、中村俊輔とか特に。中村の代わりに小野じゃ駄目だったのかな。小野もあの使われかたじゃあ、納得いくまい。などなど、わだかまるものも多くて、チームは最後、本当にばらばらになってしまいましたね。中田だけじゃなくて、みんな悔しかったろうけど
投稿: ぼく | 2006年6月26日 19:15
人生における自由っていうのは、大学って言う四年間と、老後だけなんだ、だから今は、とにかく勉強をがんばりなさい、とひたすらに唱えられ、僕たちは十代を過ごした。
別に、最悪でも死ぬだけなのにな
投稿: ハラキリ | 2006年6月28日 12:14
こんにちは。
老後って、すごいですね(笑)
さすがのぼくでも、そこまでは言われませんでした‥‥
老後の生活にしろ、学歴偏重社会にしろ、どっちももう、すでに崩壊・機能不全化しているのにねぇ。
投稿: ぼく | 2006年6月28日 16:47
はじめまして。
すごく感銘を受けたので、記念に足跡残していきます。
言葉になりにくい、でも確実に感じている不満やら何やらについて、「こういうことだろ?」って言ってくれてるようで、読んでて気持ちいいです。
またちょいちょい覗かせてもらいますねー。
投稿: まもう | 2006年6月28日 22:25
こんにちは。
まさにぼく、若いころ「これはおかしいんじゃないか」と思っていても、うまく言葉にできなかったことを、今書いているようなものなので、そういうふうな感想を持ってもらえるのは、うれしいです。
まもうさんのサイトがすごく気に入ったのですが、リンクしていいですか?
投稿: ぼく | 2006年6月29日 16:06