「ちょっと、ちょっとちょっと」を見下す人々

ザ・たっちの「ちょっと、ちょっとちょっと」というネタを見て、誇らしげに「全然面白くない」とか言ってる人、けっこういるんですよね。面白くなくて当たり前なのに。
流行ギャグって、人を笑わせる能力が欠如している人でもトッピング的に簡単に導入できる魔法の道具ですよね。人を笑わせる術を持っていなくてもすぐに使える、日常会話の中ですぐにでも何度でも使える、って特徴があるからこそ流行する。ギャグを流行させるのは笑いに敏感な人々ではなく、自分オリジナルで人を笑わせる能力がない人々ですから。
たとえば波田陽区のギター侍も大流行しましたけど、彼の演じるあのネタの面白い部分は「〜〜って言うじゃない」という内容とその抑揚、「〜〜ですから!」という内容とその抑揚、「〜〜斬り!」という内容とその抑揚だったわけじゃないですか。でも多くの人たちが真似てたのって「残念!」と「切腹!」なわけですよね。「残念!」ってのを、自分たちの会話の中で、ギター侍というテーマには全く関係なく使ってたはずなんです。で、そういう間違った流行の仕方によって、波田陽区は一気に脚光を浴びることになったわけですよ。それって波田にとってめちゃくちゃな大チャンスですよ。
人気お笑いタレントの面白い部分自体は真似できないが、面白い雰囲気だけでも取り入れたいと憧れている人たち。その人たちが大して頭を使うこともなく、日々の会話の中で安易に繰り返し使えるってのが流行ギャグの条件、ってことだと思うんです。
じゃあそういうギャグがダメかっていうと全然そんなことなくて、むしろめちゃくちゃ大事だと思います。そういう言葉を意図して作っていくのはすごく難しいですし。ヒットの兆しがあるギャグを全力で押していって、笑いというものがオリジナルで作り出せない一般人が真似することで流行して、脚光を浴びて露出が増えて、そして自分たちのやりたいお笑いってものがもっと極められればそこに何の問題があるの、って思います。スピードワゴンの「甘ーい!」やタカアンドトシの「欧米か!」が彼らのやりたい笑いの本流でなかったとしても、出てくるたびにそのギャグを繰り返しやってもらえると安心する人たちに向けて、全力でアピールすべきだと思う。そのギャグがしゃぶりつくされた後「スピードワゴンも面白くなくなっちゃったね」って言われて終わるなら、「甘ーい!」のヒットがなくても絶対に消えていたはずで。ビートたけしだって「コマネチ」だの「冗談じゃないよ」だのというギャグを利用して、ビートたけしの才能は真似できないがギャグだけは真似できた人たちに支えられて、現在の位置へ手に入れた側面は絶対にあるわけで。
ザ・たっちの「ちょっと、ちょっとちょっと」というギャグ自体は微塵も面白くない。でも「日常生活内で使いどころが大変多い」「複数の人と声を揃えることで成立する」という顕著な特徴があって、仲間同士の共通言語として、「お前もこのギャグわかるよね?」という馴れ合いの流行語として、すでに充分価値ありと認定されているわけです。それを「面白くない」と断罪することで、お前は何を偉そうに、何を見下ろした気になっているのかと。
……いやまあ、なんてこたない、俺が「ちょっと、ちょっとちょっと」と日常会話で言ったところ、「うわ、寒いギャグ使ってるねー」とかなんとか、俺より面白くないヤツに言われてカッとなった、っていう、まあそれだけの話なんですけどね。