絶望する日

さよなら絶望先生 第一集 通常版 [DVD]

さよなら絶望先生 第一集 通常版 [DVD]

せっかくDVDをレンタルしたのに、うちのパソコン用DVD-Rではなぜか再生できなくて絶望する。消費者をそういう気分にさせるための戦略なのか、これは。
TV ANIMATION 【俗・】さよなら絶望先生 絶望案内正本 (KCデラックス)

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その点、紙媒体は再生するのに特殊な技術やハードウェアを必要としないので、非常によろしい。もっと大きい判型だと思っていたが、ふつうの新書サイズであった。
あとはamazon.frで『動物化するポストモダン』のフランス語訳を注文したのに、「てめぇが注文した本は日本には届けづらいんだよコンニャロ(意訳)」というメールが届いて、さらに絶望的な気分になる。なんで日本人が日本文化を論じた本のフランス語訳が、日本では手に入らないのか。日仏学館あたりに行けば売っているのだろうか。面倒だなあ。

目次は巻頭に!

フランス語の本に触れたので、もう少し話を続けてみよう。それまで日本語や英語の本しか読んだことのない日本人がフランス語やイタリア語の本を買うと、だいたいは戸惑う。いったいどこに目次があるのかがすぐには判らないからだ。だいたいは巻末にあるのだが、これは不便で仕方がない。若干の編集経験がある者として言うなら、まず巻頭に目次を持ってきて全体のページ数の帳尻を合わせるのは、けっこう面倒な作業である。それならまずは序文と本文を先に作って、目次はあとから付けちまえ、というのはいかにもゴロワーズというか、ラテン的な大らかさを感じさせる。もっともこれを不便と感じるひともいるようで、イタリア人のウンベルト・エーコは『論文作法』(これは文系・理系を問わず、論理的できちんと構成された文章を書こうとしているひとにはお勧め)という本で、「イタリアやフランスはイギリスやドイツを見習って、目次を巻頭にもって来るべきだ」と訴えている。あとは背表紙の文字が、下から上に読ませるようになっているのも不可解である。探しづらいのではなかろうか。