ポンコツ山田.com

漫画の話です。

熱で夢はもう一度花開く さあその筆をとれ『モノクロのふたり』の話

 母が死んだあの日から、夢を諦め堅実に生きることにした。
 不動花壱は絵が好きだった。上手だった。将来はそれで食べていきたいと思っていた。でも、一人で自分たち兄妹を育ててくれた母が死んだ15歳のあの日、彼は筆を折った。妹を育てるため、勉強し、バイトをし、堅実に就職し、社会の優秀な歯車となる。そう自分に言い聞かせてきた。昼休みに手慰みで絵を描いていたのは、かつての夢と熱の残滓だった。
 しかしふとしたことから、会社の先輩である若葉紗織が一度諦めつつも漫画家を目指しなおしたことを知り、そんな彼女から漫画を手伝ってくれないかと頼まれた。大人になっても夢を見る彼女の熱に触れ、今、彼の熱もまたくすぶりはじめる……

 1巻が発売された、松本陽介先生の『モノクロのふたり』。ジャンプ+で第一話が掲載されたときにもレビューをしましたが、1巻が発売され、面白さの勢いいまだ衰えずなので、改めてレビューをば。冒頭のあらすじは前回の記事の流用ですが、勘弁してけろ。

 第1話時点のレビューはこちら(彼の絵は彼女の夢を蘇らせ、彼女の熱は彼に絵を描かせる『モノクロのふたり』の話 - ポンコツ山田.com)を参考にしてもらうとして、せっかく1巻が出たタイミングなのでそこまでの話をしましょう。
 この作品の魅力はなんといっても、一度夢を諦めた大人二人が、お互いの力量を、熱量にあてられて、再び夢を目指しだすその姿です。好きというだけじゃ、才能があるだけじゃ食べていけないのが、創作業界の常。
 かたや、才能は十分にあった不動花壱。10年後でも検索すれば出てくるレベルの絵を中学時代に描くほどだけれど、シングルマザーだった母の死をきっかけに筆を擱き、堅実な社会人を目指した。
 かたや、熱量は十分にあった若葉紗織。学生時代にずっと漫画賞に投稿していたけれど芽は出ず、結局就職を機に筆を擱き、堅実な社会人を目指した。
 でも、そんな二人が出会った。花壱が会社の昼休みの間にほんの手慰みで描いていた絵を若葉は見て、そのうまさに創作意欲を刺激され、再び漫画を描くことを決意した。
 あなたの絵こそ自分の漫画の背景として理想のものだと若葉に熱く語られ、花壱は自分の絵が誰かの心を動かしたことを知り、絵を描きたいという衝動が再び燃え上った。
 「物作りにおいて一番嬉しい瞬間は 作品が完成した時でも 最高のアイデアを生み出した時でもない 一番嬉しい瞬間は 自分の作品で 誰かの心を動かした瞬間だ」とは花壱の言葉ですが、花壱の絵が若葉の心を動かして漫画を再び描かせ、それを知った嬉しさが、花壱に再び筆を執らせたのです。なんて幸せな共犯関係。それはどちらか一人だけでは決して蘇ることのなかった夢の熾火。

 この「誰かの心を動かす」ことに嬉しさを感じるシーンは、1巻の中でもしばしば登場します。
 たとえば、花壱が若葉の漫画のキメゴマの背景を描くシーン。このシーンは主人公がこういう状況からのこういう流れで、と若葉から指示を受けますがその説明も取っ散らかっていたので、花壱は自ら物語を深く読み込み、このような主人公であればここでこのような風景を見たならばどう見えるのか、と解釈をして背景を描き上げました。その絵はただ美しい、ただ精緻だというものではなく、この主人公が今この光景をどういう気持ちで見ているのか、という感情が載せられた絵でした。
 そして、こんな感じでどうでしょう、と花壱に絵を見せられた若葉は、感極まって泣くのです。いくら漫画を描いても、全然賞に引っかからず、このまま誰にも読まれないのではないかとずっと不安だったけれど、こんなに深く物語を読み込んで、こんなに深く主人公の気持ちを読み解いてくれて、嬉しくてしょうがない、と。
 これは花壱の絵が若葉の心を動かしたシーンでもありますが、同時に、若葉の漫画が花壱の心を動かしたシーンでもあります。若葉の漫画が(自分で描いた背景はともかく)キャラや演出が十分に立っていたからこそ、花壱がそこまで解釈を深めることができ、それにふさわしい絵を描けたからです。そのような絵を描かせるくらいに、若葉の漫画は花壱の心を動かしたのです。
 残念ながら、熱量だけでは人の感情が動かせません。そこには一定水準の技術が、どうしたって必要になります。でも、技術だけで人の感情を動かすこともできないと、花壱は言います。

「絵を描く」という行為は 描写物に「感情」を乗せる行為である 
感情が伝わる絵は「名画」と呼ばれ 描き手の腕が試されるポイントでもある
(1巻 110p)

 若葉の描く漫画は登場人物に感情が乗っており、それゆえ花壱は心動かされ、その動かされた心に従い描いた絵が、若葉の心を動かした。やっぱり幸せな共犯関係です。

 と、絵で誰かの心を動かすこと、絵を描くことで己の心を揺さぶること。そんな創作者の熱を本作は描いていくわけですが、熱を持つのは当然二人だけではなく、若葉が敬愛する漫画原作者や、花壱の幼馴染である現役画家など、一癖も二癖もあるキャラクターが控えています。登場人物たちが、どんな熱でもって作品を作っていくのか、楽しみでなりません。

 あと、松本先生の絵で特徴的だなって思うのは、左右非対称の顔ですね。笑顔でも泣き顔でも驚き顔でも嘔吐顔でも、強い感情の顔は、特に左右の目の非対称性が強いです。1巻表紙の若葉にも表れてますね。
 この非対称性は、ともすればゆがみのようにも見え、アクの強さ、異質さなどを感じさせるものではありますが、同時にそれはやけに心に引っかかるトゲでもあり、なんか癖になるんですよね。くるくる変わる表情とか、表では凛としてるけど裏ではドジっ子とか、よく体液を垂れ流す顔とか、大きなバストを強調する服の皺とか、若葉さんはかなり性癖をゆがめに来てる感、あります。いいぞもっとやれ。

 今のジャンプ+で一、二を争うおすすめ作品。大好きだぜ。

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『その着せ替え人形は恋をする』五条のクソデカ感情とその陰に隠れていたあの気持ちの話

 14巻が発売された『その着せ替え人形は恋をする』。

 13巻後半での、冬コミの盛り上がりと裏腹の五条の落ち込みが不安を誘っていましたが、今巻で無事カタルシスを得ることができました。107話の最後5ページのバカな感じ、すごい好き。
 さて、13巻発売の時点で私にしては珍しく、五条の心情についてその時点での推測する記事を書いていたのですが
yamada10-07.hateblo.jp
yamada10-07.hateblo.jp
 それがだいぶ見当違いだったことがものの見事に判明しました。ガッハッハ。

五条の言葉を否定したもの。そして五条が気づいたもの。 それを、嫉妬や恋心などというのは簡単です。ですが、それだけと捉えるにはあまりにも五条の表情は重く、イベントが終わり二人きりになった後も沈痛なままでいる理由にもなりません。

『その着せ替え人形は恋をする』一目惚れへの五条の挑戦と、今更気付いたものの話 - ポンコツ山田.com

五条自身も、海夢が手が届かない人間だと心の底から思っていたわけではないでしょう。でも、理想の「ハニエル」が生まれてしまったことで、手が届かないハニエルの依り代となった海夢もまた手が届かない人間なのだと、両者が補い合うようにして彼の絶望的な感情を強めてしまった。そう思えるのです。

『その着せ替え人形は恋をする』五条の二つの後悔と、現実になってしまった「手の届かないもの」の話 - ポンコツ山田.com

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彼はなぜ「虜にさせるように振る舞って下さいなんて言わなければ良かった」などと思ったのか。 それは、そんなことを言った、すなわち、そんな指示を海夢にして、理想の「ハニエル」が現れたために、「「愛を求めたところで 返ってくる訳がない」存在は、本当にその通りの存在なのだということ」に気づいてしまったから。

『その着せ替え人形は恋をする』五条の二つの後悔と、現実になってしまった「手の届かないもの」の話 - ポンコツ山田.com
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 深読みしすぎというか、いったい私は五条をどれだけネガティブな思いに囚われた人間だと考えていたんでしょう。14巻を読めば、五条がこの時点で自分の嫉妬心を自覚したことはわかりますが、その嫉妬心≒恋心が海夢に届くとは露とも考えていない(その気持ちは海夢に伝えるべきものではなく、自分の中で完結させるものである)と五条は信じていた、と私は考えていたわけですから。
 「嫉妬や恋心」と呼んでよかったんやで。むしろ正解だったんやで。

 とはいえ、負け惜しみではないですが、13巻までの五条君の心情のネガティブな描きっぷりと、それと対比するような周縁の人間(司波や溝上、コミケのカメコ、海夢をプロに誘ったプロダクションの人間など)による海夢の持ち上げっぷり、ある意味での偶像化は、読者に二人の関係性の亀裂を予感させるようなものだったと思うんですよね。そのミスリードに見事私は引っかかったわけです。

 さてさて。
 それを踏まえた上で、五条が海夢にハニエル、すなわち「作った物で人の心を動かす」「圧倒的な力」に挑もうとした理由を考えると、五条から海夢へのクソデカ感情があったことがうかがえます。もちろんずっと前から五条から海夢への好意は描かれていますが、そんなふわっと描かれたものではなく、また別種の、もっと激しいクソデカなヤツがです。
 なぜって、司波刻央の描いたハニエルに「心が完膚なきまでに叩き潰されたような」気持ちを抱き、「何十年も鍛錬を重ねてきた方に俺が敵うはずありません 俺ではハニエルを表現しきれません」と言いながらも、「「この衣装を作りたい」「見たい」と思」って、五条は制作に取り掛かったのですが、実際に実行に移せたのは、クソデカ感情を抱いていた海夢がいたからです。

俺が表現したいハニエルは
喜多川さんがいれば必ず完成します
今まで撮影してきた表情を見てきたからこそ確信しています
俺はハニエルが見たいです
お願いします 力を貸して下さい 俺の我儘に付き合って下さい
(13巻 11~13p)

自分がハニエルに愛されていないと分かるほどにです
でも「それでも構わない」と
虜にさせるように振る舞って下さい
(13巻 16p)

 人知を超えた美しさを持つハニエルになるための、五条からの要求。あまりの無理難題に海夢はためらいますが

大丈夫です!!
俺の知ってる喜多川さんなら
必ず出来ます!!
(13巻 18,19p)

 この断言。海夢の容貌と、モデルとして振舞うときの精神性にたいする絶対的な信頼がなければ、こんな物言いはできません。人間以上の美しさを持つ存在にあなたならなれるという絶対的な信頼。端々で描かれてきた五条のピュアピュアな好意とは明らかに別種なこの思いを、クソデカ感情と言わずして何と言いましょう。

 きっと五条は、自分のクソデカ感情については自覚的だったでしょう。だから海夢にハニエルのコスプレをお願いした。でも、そのクソデカの影に隠れていた恋愛感情は、嫉妬心に自覚するまで気づけなかった。
 五条が海夢への恋愛感情に気づくためには、第三者から彼女への好意が必要でした。好意というか、好奇というか。あるいは憧憬や崇拝かもしれませんが。
 もともと自分とは違う世界にいると思っていた海夢と、コスプレを通じて近くにいることができた五条。でも、まさにそのコスプレによって、彼女が他の人間から特別な感情を向けられてしまっている状況。必然のような、どうしようもないことのような。でも、どうしても我慢がならなかった。
 それは嫉妬。それは独占欲。俺の大事なものをとらないでくれ……

 13巻から読み返すと、答え合わせのように五条の表情や態度の意味が理解できて楽しいですな。そして14巻をまた読むと、海夢のはしゃっぎっぷりがさらに楽しいですな。よかったよ五条君…よかったよ海夢ちゃん……

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欲望は声に出さなきゃかなわない!己の「好き」を叫べ!!『君にかわいいと叫びたい』の話

 桐山はある新入社員を見て、生まれて初めて驚愕で腰を抜かした。その女性社員・南ことみは、自分が愛してやまないヴィンテージドール、てぃあらちゃんに瓜二つだったのだ。
 中野ブロードウェイで運命の出会いを果たしたてぃあらちゃんをお迎えして以来、単調だった桐山の生活は、まるで大輪の花が咲いたように明るく華やかなものになった。そんなてぃあらちゃんにクリソツの新入社員が隣の席に配属されて、桐山の人生が盛り上がらないわけはなく……

 ということで、ハッピーゼリーポンチ先生の『君にかわいいと叫びたい』のレビューです。
自分の好きなものが自分の人生を楽しくしてくれる高揚感と、己の欲望が肯定される満足感。それらが拗らせオタクしぐさたっぷりに描かれている、コミカルでパッションフルな作品です。

 主人公の一人、桐山さんは、まじめで気づかいができるのに、人間失格もびっくりなほどに笑顔を作るのが苦手なのが璧に瑕の社会人。

(10p)
そんな彼女のひそかな趣味は、ヴィンテージドールのてぃあらちゃんを愛でること。彼女を迎えたその日から、一緒に購入した服を着せ替え、写真を撮りまくり、ついにはドール用の服まで自作するほど。てぃあらちゃんのおかげで人生が楽しい!

 かたやもう一人の主人公、南さんは、人懐っこく天真爛漫な新入社員。

(5p)
 必死に作る笑顔が切ないと後輩社員から評判の桐山さんにも、ワンコのごとく慕っていきます(なお、下の桐山さんは生まれて初めて驚愕で腰を抜かしているところです)。でもそんな彼女は、子供の頃に女の子らしいことができなかったのが悩み。おしゃれな服は買えない。お化粧はできない。かわいいお人形も買ってもらえない。その反動のように、一人暮らしを始めてからはかわいくなりたいと努力しているけれど、いつだって誰かにかわいいっていてほしいのです。
 そして南さんは、桐山さんのティアラちゃんにクリソツ。そんな二人が出会って何も起こらないわけはなく。
 南さんとの仲が深まっていく中で桐山さんは、このタイミングなら彼女も聞いてくれるかも、と勇気を出して自分の趣味を告白するのですが、怖いですよね、隠していた自分の大事なことを人に話すのって。「ああ、そうなんですね」くらいに軽くうなずかれるだけならまだよくて、もし「ああ、それ微妙ですよね。それが趣味なんですか(苦笑)」なんて言われた日には、自分の半身を引きちぎられたような気にさえなります。
 自分の本当に好きなものはそれだけナイーブ。誰かに認めてほしいけど、誰かに傷つけられたくはない。桐山さんも、南さんが自身のことを少しさらけ出してくれたことで、初めて口にする勇気が持てました。
 で、清水の舞台から飛び降りた桐山さんの告白に、予想に反して大いに食いつく南さん。自宅に行っててぃあらちゃんを紹介することになると、かわいい人形にも憧れがあった南さんはヒートアップ。てぃあらちゃんをかわいいかわいいと褒め倒します。
 自分の大好きな人形を褒め倒している、自分の大好きな人形にそっくりな南さんを見て桐山さんもヒートアップ。そのままなだれ込むように、てぃあらちゃんを抱く南さんの撮影会が始まるのです。
 撮り撮られ、褒め褒められ、テンション最高潮に達した二人が叫んだこのセリフ。

(32p)
 なんとあけすけな欲望の爆発でしょう。
 自分の欲望を肯定してもらう気持ちよさ。
 誰かの欲望を肯定する気持ちよさ。
 すがすがしいというか、いっそ神聖とさえ言えそうなこの解放感。かわいいものに「かわいい!」と叫ぶ/叫ばれることの素晴らしさを、高らかに謳っています。

 自分の好きなことを人に言うのは怖いもの。もしそれをけなされては、とんでもなく傷ついてしまうのがわかっているから。だからそれを秘めてしまう。隠してしまう。
 でも、秘めているからこそ、隠しているからこそ、私たちはいつだって叫びたいのです。
「かわいい!!!!!!!!!」と。

 とまあ、そんな欲望と情熱の爆発が、桐山さんのオタクしぐさと、南さんのワンコしぐさで、茶目っ気とコミカルさたっぷりに描かれています。

(8p)

(17p)

(31p)
おい桐山、オタクが過ぎるぞ。

 誰もが自分の好きを叫べるわけではありません。叫べる場所や、叫べる人がいないことのほうが多いかもしれません。叫びたいほどの好きがない人だっているでしょう。
 でも、叫びたいほどの好きが叫べることは間違いなく幸せなこと。それを教えてくれる、なんとも楽しい作品ですよ。
君にかわいいと叫びたい-第1話

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科学の知識でおいしいごはんを! 『ヤンキー君と科学ごはん』の話

 品行方正な高校の中で、一人目立つヤンキー高校生・犬飼千秋。一年一学期の内に留年リストに入れられかねない彼をどうにかしろと、担任である化学教師・猫村蘭にお達しが下る。何とか補習に出席させるも千秋は「科学なんて役に立たねーだろ」と吠えるのだが、蘭は「今お前が頭を悩ませている料理だって、科学なんだぜ」と指摘。「俺が科学の知識でお前よりうまくオムライスを作れたら補習にちゃんと出ろよ」と、蘭(料理からっきしの化学教師)と千秋(家で料理をする勉強できない君)で勝負をすることに……

 ということで、岡叶先生の『ヤンキー君と科学ごはん』のレビューです。先日この作品について書いたものの、そういえばレビューはしてなかったよなと、5巻発売のこのタイミングでレビューです。
 双子の幼い弟妹と一緒に暮らす家族思いのヤンキー高校生・千秋と、やる気がないことに定評のある化学教師・蘭の凸凹コンビで展開する料理漫画。それもただの料理漫画ではありません。タイトルにあるとおり「科学ごはん」、すなわち科学的根拠に基づいておいしいご飯を作ろうぜ、という作品なのです。

 料理漫画といえば、料理シーンと一緒にレシピが書かれ、読者もそれを参考に自分で料理を作ることができますが、そのレシピに理屈が書かれていることはまずありません。
 野菜炒めや全体に火が通ったら仕上げに手早くします。
 唐揚げの下味には酒を加えます。 
 プリンを作る時は蒸し器の蓋をずらします。す・が入ってしまいますから。
 そう書いてあれば、そういうもんだと素直に従って作るでしょう。

 でも、不思議に思いませんか?
 なんで? 最初に味付けしてダメなの?
 どうして? 酒を加えないとどうなるの?
 どういう理由で? 蓋をするとどうしてす・が入るの?

 レシピには当たり前のように書いてあり、料理をする人は当たり前のように実行している数々の手順。でも、そこには理由があります。理屈があります。なぜなら、料理は科学だからです。
 熱による物質の変性、気圧の違いによる沸点の変化、化学成分による生理的な刺激受容の抑制、等々。
 言葉を覚えるより前から経験的に得てきた知見で人間は料理を発達させてきましたが、おいしさの秘訣には、化学や、物理学や、熱力学や、生理学など、種々の自然科学に基づく説明がつけられるのです。

 料理というありふれた行為に隠されている、感動すら覚えるほどの理屈の塊。そういうものに好奇心を刺激されて已まない一部の方々(含む私)にドンピシャ刺さるのが、本作だと言えるでしょう。

料理の全ての工程には科学的根拠がある
それを理解して知識を上手く使えば 失敗を避けれたり 無駄な手間を省いて作ることができる!
(1巻 35p)

 本作を象徴するような蘭のセリフです。でも、このセリフをもっと平易にかみ砕いた次のセリフ。

もっと美味しくしたいとか上手くいかない時 
効率化を図るときのヒントに科学が役立ちますよってだけだ
(1巻 54p)

 このある種投げやり感さえ漂うセリフに、知識は使ってナンボ、日常に活かしてナンボだ、という実際家の精神を感じられ、とてもよいですね。

 科学知識の使い方も、既存のレシピに科学的説明を加える帰納的な話だけでなく、科学的知見に基づいて既存のものとは違うレシピを考える演繹的な話もあります。2話の「冷たい油から揚げるから揚げ」なんかがそれですね。その回で蘭が言うセリフがいいんですよ。「調理工程・食材みて苦手なこと聞いて解決策を理詰めで考える」。まさに「調理ってより実験」。
 千秋は、弟妹においしい料理を食べさせたいこともあって、最初はしぶしぶ補習(という名の実験(という名の調理実習))に参加していましたが、実際に科学的知識で料理を美味しくすることができると知り、徐々に興味を持って取り組むようになっていきます。ついには、ふとした拍子に蘭不在で料理に取り組むときも、それまでやってきた実験(料理)で蓄積してきた知識を活用して、科学的に工程を考えてるのが、青春の成長譚というか、知識が新しい知識を呼ぶ好循環というか、読んでいて嬉しくなっちゃうストーリーなんです。

 科学的説明の難易度も、教師がヤンキー高校生(ただしそこそこ料理はできる)に化学の補習で教えるというテイだから、中~高校生レベルの科学の理屈で説明してくれます。好奇心を刺激されて已まないのにそういう話には反射的に耳を塞いでしまいそうになる、そこら辺の授業でほっかむりしていた人間(含む私)に優しい仕様でありがたいです。

 また、科学と料理というテーマ以外にも、ヤングケアラーやネグレクトなど、児童虐待の話にもちょこちょこ足を踏み込んでいます。そういう家庭に育った子供を教育、すなわち教え育てるにはどうすればいいか、ということですから、意外に教育問題に広くコミットしている作品だと言えるかもしれません。

 あと、主人公の千秋と蘭を初め、同級生や弟妹、千秋の周辺の人間関係、他の教師陣など、登場人物のキャラ造形がけっこう尖っているというか、ギャグではないコメディレベルの作品にしてはピーキーな性格なのが多いんですが、不思議とそれが気にならないんですよね。各々の振る舞いが自然というのではなく、作り物のドラマとしてちゃんと成立しているというか。アメリカのホームドラマを見ているような感じ、というのが近いかもしれません。

 とまれ、知的好奇心を満たせ、便利なレシピを知れ、青春の成長を見れ、教育問題にも思いを馳せられる、いろいろな魅力が詰まった作品です。
tonarinoyj.jp

 以前書いた記事はこちら。
yamada10-07.hateblo.jp

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男四人廃墟に突撃 何も起きないはずがなく…『ゾゾゾ変』の話

 「ゾゾゾ」。それは心霊スポットやいわくつきの廃墟を探索して、ホラーポータルサイトを作り上げようというYouTubeチャンネル。落合、皆口、内田、長尾らが怪しい場所に突撃しては怪しいものを探し、撮れ高が悪ければ誰か一人を置き去りにすることも厭わない。そんな彼らが何か怪しいものに出遭わないはずもなく……

 ということで、界隈でコアな人気を誇るホラーYouTubeチャンネル、「ゾゾゾ」を原作として、タダノなつ先生がコミカライズした『ゾゾゾ変』のレビューです。
 初めに言っておくと、私はYouTubeチャンネル、本家「ゾゾゾ」を視聴していないので、漫画『ゾゾゾ変』のみを読んでのレビューとなりますが、これが動画を視聴してなくてもまったく問題なく面白いのですな。
 
 本家を視聴してない人間がなんでコミカライズを買うのかと思われる向きもあるでしょうが、それはもともと私がタダノ先生のファンだったから。作者買いです。ちょうどホラーの漫画や小説を読んでいた時期でもあったので、タイミングですね。
 タダノ先生といえば『ゆくゆくふたり』や『束の間の一花』など、コメディやシリアスで味付けしたヒューマンドラマを描くイメージだったので、ここでホラーとはかなり意外。でもそういえばSCP関係で読み切り一本描いていたので(SCP-040-JP「ねこですよろしくおねがいします」)、そういう下地はあったのかな?
www.pixiv.net

 ま、それはともかく『ゾゾゾ変』ですが、体裁は上記のとおり、ホラースポット突撃系YouTubeチャンネルのコミカライズ。チャンネルを企画した皆口が、本業の上司の落合を半ば騙して撮影に連れ出し、日本各地(主に関東圏?)のホラースポットに突撃します。
 ホラーチャンネルを元ネタにした漫画ですので、肝はやはり読んでて怖いかどうかなのですが、安心してください、ちゃんと怖い。
 怖さにも、ジャンプスケアやグロテスクさなど種類はありますが、この漫画の怖さは、そこになにか“いるような気がする”這い寄るような不穏な怖さ。ここに何がいるのか、何もいないのか。何もいるはずないけれど、何かいるような気がしてならない、脇に汗がにじむような嫌な怖さ。

 もともとの動画がそうなのか、基本的にはおちゃらけた、ダラダラした空気でスポットには潜入するのですが、いざ足を踏み入れるとそこはまるで異界。一変した空気にそれまでの笑顔を忘れて、落合たちは真っ暗な中を恐る恐る進みます。手元のライトから延びる光の輪の外側は、鼻をつままれてもわからないような闇。揺れる草木も、小動物の物音も、彼らを驚かせるには十分です。でも、気のせいではない、自分たちのものではない人の声、足音、人影。それらは確かに感じられて、柳が正体とはとても思えない、不確かな何かがいる気がしてならないのです。

 この、登場人物が恐怖を感じている描写と、その恐怖をもたらしているなにがしかの演出が絶妙。話し声や物音は耳にするのにそれを発生されているものは見えない。嫌な気配だけがにじり寄ってきます。
 潜入中を描いている紙面は暗く、何が描かれているかも少々わかりづらいほど。そんな暗闇の中に浮かび上がる人影は、「あれ、もしかして、見えてます?」と落合らが実際に目にしていることもあれば、読者にだけ見えていることもある。ナニモノかの気配は大げさに現れることなく、落合らのかたわらにそっと近づいては、ふっと消えてしまう。読者の方もさらっと読み流していては見逃してしまう程度に、何の予兆もなく、大仰さもなく、です。
 この正体のわからない恐怖。
 ホラースポットの由来などは説明されても、それが本当にあったことだったのかとか、そこで体験した怪現象の原因がこれだったかとか、そういう意味でのネタ晴らしや解決はありません。彼らはただホラースポットに突撃し、わけのわからない現象に遭遇し、もやもやした気味の悪い気持ちを抱えて帰るだけ。ある意味でリアル。ある意味で尻すぼみ。でも、その後味の悪さ、消化不良が、かえって読後を嫌な気分にしてくれます。いい意味で。
 
 たまに挟まれる、ホラーのホの字もないようなコメディ回も一服の清涼剤。それも元の動画にある回なのでしょう。
 現在は2巻まで発売されていますが、単行本未収録分も連載中。元動画との兼ね合いで何巻まで出せるのかはわかりませんが、このイヤ~な後味のまま、いけるとこまでいってほしいです。
comic-boost.com

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食らえ! そして至れ! ドカ食いこそ至高の愉悦『ドカ食いダイスキ!もちづきさん』の話

 ドカ食い。それは生きる喜び。
 人は生きていればお腹が空き、お腹が空けば何か食べなければいけない。お腹の隙間を余すところなく埋めるように食らい、ただただ目の前の食べ物を貪り尽くす。
 ドカ食い。それは「至る」喜び。
 満腹と高血糖の果てに包まれる恍惚とした酩酊感。ちらつく死の影に怯えながら、それでも食べずにはいられない愚かな人間の生き様。
 この漫画は、「至る」喜びに身を浸すことを至高の愉悦と確信する女、望月美琴(21)の物語である……

 ということで、まるよのかもめ先生『ドカ食いダイスキ!もちづきさん』のレビューです。第1話が発表されたその日から、鮮烈に常軌を逸した主人公の姿に話題沸騰、瞬く間にネットの話題をかっさらった、あまりにも危険であまりにも蠱惑的な作品です。

 冒頭のとおり、この作品は、主人公のもちづきさんがドカ食いをする姿を、ただ楽しむ物語。彼女は、小綺麗な若手会社員を仮の姿に日々を過ごし、毎日の昼食も自分でお弁当を作ってくるような丁寧な暮らしをしているのですが、そのお弁当の一例が鶏もも肉の照り焼き弁当(1775kcal)。

(1巻 5p)
 高校野球部員が使ってるようなドデカ弁当箱ぎゅうぎゅうに詰められた白米と、その上に敷き詰められた推定鶏もも肉二枚分(濃縮タイプのめんつゆボトル半分に一晩漬けたもの)の照り焼き。さらにコクよ迸れとばかりにかけられたマヨネーズ。
 ちなみに画像のコマ外に小さく書かれているのは、日本人の一日の推奨摂取カロリー。運動量の少ない女性は、1400~2000kcal程度とされています。このお弁当一つでおおむね一日分ですよ。

 で、そんなカロリーのかたまりを貪り食う彼女の脳内を支配するのは、食欲が満たされる恍惚。

うまい
しょっぱくてうまい
あのひと工夫が生きた…!
鶏もも肉を一晩タレに漬けたのだけれど… そのタレが…
濃縮タイプのそうめんつゆ これをたっぷりボトル半分 投入
それを朝に焼いて米に乗せる 高血圧まっしぐらの塩分濃度
そしてさらにマヨね 血液が塩水になりそう
ああヤバイなこれは 鳥の脂とマヨの脂で口の中が支配される
(1巻 7~9p)

 第一話の開始数ページでこの掴み方はすごいですよね。
 食べることの喜びなんていう生易しいものじゃない。空腹に精神を焦がし、箍が外れたようにかきこみ、口の中で食材が暴れ、味が爆発し、全身にカロリーが染みわたる、生物が生物として生きていくための根源的な欲が食べるという行為によって満たされていく暴力的なまでの描写。これがドカ食い。人類が普遍的に感じる欲と恐怖。"MOTTAINAI"の次に世界へ広まるのは"DOKAGUI"ですね。

 また、彼女の食欲に呼応するように出現する特徴的な文字がまたいいんですよ。食の直前、あるいは真っ最中の、食欲という一点に向かってに引き絞られた彼女の精神の危うさを、的確に表現している。

(1巻 8p)

(1巻 13p)

(1巻 34p)
 鬼気迫る文字と顔。

 そしてドカ食いの先にあるのが、もちづきさん言うところの「至る」。ドカ食い直後の「満腹と高血糖で酩酊するこの時間」。
 さすがに周囲に他の社員がいる昼食では「至る」一歩手前で耐えられるものの、フロアの社員が全員帰った後の残業中(23時。それはそれでどうかと思う残業だけど)では我慢できるわけがない。家に帰るまでこの空腹がもつわけあるかと、会社のデスクの引き出しの一番下に常備してある特大焼きそば(引き出しにちょうど収まるサイズ)を取り出して、しかも二つ取り出して、深夜の社内で一人貪る。もちろんマヨも投入して(計2760kcal)。黒ウーロンがあるからカロリー相殺とか寝言を抜かしながら。

(1巻 23p)
 これは「至ってる」顔ですわ。
 涅槃かな? とさえ思いますが、世間一般には血糖値スパイクと呼ばれる、どう考えても健康に悪い状態です(参考:血糖値スパイクを予防しよう ──糖尿病になる前に対策を! | 済生会)。
 死ぬぞ?

 これはそんな彼女の物語。
 大食い漫画と言えば土山しげる先生の『食いしん坊!』が思い浮かびますが、あのような、あるいはTVチャンピオンの大食い王選手権などのような、ある種のスポーツ性を持たせた大食いとは違い、ただ食べたいから食べるという生命の根源的な欲求に突き動かされているのがこの漫画であり、同時に、生命維持に必要不可欠な行為でありながら、そのあまりの健康の悪さに死の影がちらつくという矛盾を孕んだ恐るべき作品です。

 出てくる料理は普通の料理、どころかむしろ、食べたいもの食べられればいいだろと言わんばかりの雑な料理が多いのですが、もちづきさんの空腹を感じる描写と、目の前の食べ物に食らいつく姿が意外にこちらの食欲をそそります。空腹も、雑な料理も、想像しやすいですからね。食通だけが唸るような高級料理なぞ出されても、一般庶民には想像ができんのです。
 ですが、そんな共感の後に立ち現れてくるのは、「お腹が空いたときにご飯を食べるのはおいしいね!」みたいな牧歌的な笑顔ではなく、何かに駆り立てるようにただただ食べ物を胃の中に送り込む怪物のようなもちづきさんの姿。そこにもはや食の喜びなどはなく、欲望に支配された哀れなモンスターが一人いるだけなのです。
 けど、そんなモンスターも人間社会で生きることを余儀なくされています。人前で「至る」ことのないよう、鬼のような食欲は会社の同僚にはひた隠しにしているのです。鶏もも肉の照り焼き弁当の直後にコンビニで売ってるクソデカもも水(210kcal)を飲んでいては、ばれないはずがないのに。
 オ オデハ オイシイゴハンヲ ハライッパイ タベタイダケナノニ……

 生の根源に触れながら死の縁に近づく、限界キワキワの食漫画。最近ですと、ジャンプ+の『限界OL霧切ギリ子』(ミートスパ土本)と、webアクションの『これはゆがんだ食レポです』(永田カビ)とあわせて、限界食漫画三銃士というのが私の中での位置づけですね。
younganimal.com
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 とりあえず読んでみて、食べることの素晴らしさと恐ろしさを知り、自分の食生活は大丈夫だろうかと我が身を振り返ってほしいですね。まあもちづきさんと比べて不安になったら、即病院へGO!ですが。

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彼の絵は彼女の夢を蘇らせ、彼女の熱は彼に絵を描かせる『モノクロのふたり』の話

 母が死んだあの日から、夢を諦め堅実に生きることにした。
 不動花壱は絵が好きだった。上手だった。将来はそれで食べていきたいと思っていた。でも、一人で自分たち兄妹を育ててくれた母が死んだ15歳のあの日、彼は筆を折った。妹を育てるため、勉強し、バイトをし、堅実に就職し、社会の優秀な歯車となる。そう自分に言い聞かせてきた。昼休みに手慰みで絵を描いていたのは、かつての夢と熱の残滓だった。
 しかしふとしたことから、会社の先輩である若葉紗織が一度諦めつつも漫画家を目指しなおしたことを知り、そんな彼女から漫画を手伝ってくれないかと頼まれた。大人になっても夢を見る彼女の熱に触れ、今、彼の熱もまたくすぶりはじめる……
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