キリスト教に関するメモ

id:Marco11 (中略)あとキリスト教ってどの時代のどの地域にも政治用と個人用とがあったんじゃないかと思う勘で

非常に良い勘してると思います。やはり、信仰に篤いからでしょうか。
 
本来、キリスト教の教義って「個人救済」の宗教ですからね。
ただ、宗教として生き残るにはどうしても現世での後ろ盾が必要だったのでしょう。
利点として、「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」といった二王国論が既にあったってのが強みなんじゃないかな?

(以下、200行程度の宗教史)
――[略] ハテ・スタが30個くらい溜まったら公開するかも(笑)
(宗教史ここまで)
 
もう一つキリスト教の重要な概念は、「契約の更新」って概念です。
つまり、旧約から新約へと変ったときに行われた契約の更改の事を指します。
契約が更改されることで、社会のシステムが劇的に変った。この考え方は、改革と言う概念に繋がります。
革命とは、ある時点を境にして社会の法則(主に法律面であれこれ)がまったく異なったものになる現象を言います。
資本主義社会を打倒する共産主義の革命も、絶対王政を覆す近代市民革命も契約の更改から派生した思考法なわけです。
東洋における革命との違いは易姓革命(中国古来の政治思想で、君主に徳がなければ別姓の有徳者に天命がくだり、新たに王朝を開いて帝位につくということ)とは違って、「契約が変ることで社会システムが変る」という根本思想があるのです。
多分、西洋と東洋の考え方の違いはこの辺に出てくるんじゃないかな?

多分、私の発言は本当の専門家から見たら苦笑いの極致っす。

琴子は、ごく普通に大学を出て、ごく普通に就職してごく普通に独立してPC関係でごはん食べてるゴクゴク普通の個人事業主っす。
ただ、たった一つの違いはSF好きだったって事です。*1
「文化人類学」「宗教学」「科学一般」「哲学」なんてのは大学の授業でも無かった趣味の範囲っす(あ、哲学はあったか)。
なんせ、大学は現世利益重視の情報工学関連ですからね(笑
ま、学問の基本は独学独歩って信条ですから「専門家」なんて分類で括られると非常にムズカユいっす。照れるっす。
 
でもさ、文化人類学、宗教はともかく、「哲学」「自然科学史」は一般教養科目じゃないの?
 
あ、poohさんが言いたいことまとめてくれてる。
釣られ納め:Chromeplated Rat
愛すべき直観主義者に語りかけるには、論理重視よりも感性に訴えないと駄目なのだなぁ。私みたいな論理一辺倒には無理すぎ。修辞学も今から勉強すべきかなぁ。

*1:なにこの『奥様は魔女』風味なナレーション(笑)

宗教の定義――再考

昨日の記事で書いたように宗教の定義ってのは(我流ですが)、
「神」「聖なる物」「超越した人物」についての信仰や信念を、信仰者本人の態度や行動によって社会システムとして組み込まれる事。
って定義しています。多分、あながち間違ってない解釈だと思う。
 
特に重要なのが、信仰者の態度や行動が社会システムに組み込まれると言う構造が宗教であるって言うポイント。
 
人間の行動が予測可能になるのは、社会に組み込まれて社会構造として認識されるってのが重要。
古代ギリシャの哲学者ディオゲネスの言うように「習慣は第二の天性なり」って訳です。
そして、習慣の基盤に宗教が来る事もある。故に、宗教は社会構造でもあるって言えます。
 
マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」なんかはお勧め。
彼の視点は「宗教に注目すると社会を説明できる」って視点。西洋の合理性の精神ってのは、キリスト教によって熟成されたんだ!って主張です。「禁欲」を旨とするキリスト教カルバン主義の傍流が「利潤追求の資本主義」といかにマッチしたのか? ってのを書いてある面白い本です。
日本が「脱亜入欧」を目指して、比較的速やかに移行できたってのは、意外と「合理主義」と「質素倹約」のお国柄だったからではないでしょうかね? だから、資本主義社会としてここまで成功しちゃってるのかも?
日本は、宗教を持たないが故に資本主義社会を成功させたってのは欧州にとっては驚異な事なのかもしれません。