(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

発言を額面どおりに受け取る

絶賛活動中の「社交辞令が効かない会」ですが。

「どのように活動したらいいのかわからない」という方にはこう説明しております。

  1. 誘いは真に受ける
  2. 盛り上がったことは即座に日程を決める
  3. 「じゃ、そのうち」は認めない
  4. 言いだしっぺは即幹事
  5. 予定はなるべく手前に
http://twitter.com/takerunba/statuses/855683917

話は真に受け、即座に具体化し、曖昧さは認めない。担当者を決定し、できるだけ早く実現する。これがコツでありますが、中でも大事なのが「誘いは真に受ける」。ここが重要であります。これが我が会最大のポイントと言っても過言ではありません。2番目以降はきっかけができてからの話。まずはそのきっかけがなければ動けません。そのきっかけこそが「誘いは真に受ける」であり、この感度を上げることが日々の活動を充実させることにつながるのです。
しかし会員の皆様の話をうかがうに、意外とこの感度を上げることが難しいようであります。そこで当会ではこんなアドバイスをご紹介しております。

「発言は額面どおりに受け取りましょう」

はい、これです。額面どおりに、ストレートに受け取ろうというアドバイスをいただいております。そのままでいいのです。言われたことはそのままに、余計な解釈や詮索は無用。言葉の表面のみを受け取れば良いのです。
同じ趣旨ですが、こういう言い方もございます。

「読むのをやめましょう」

  • 「空気を読むのはやめましょう」
  • 「行間を読むのはやめましょう」
  • 「言外のことを読むのはやめましょう」

これを「3つの読まない」と申します。「非読宣言」です。私たち「社交辞令が効かない会」は読みません。そのままです。シンプルでストレートな関係の構築を目指しておりますので、言葉とか表情などの表に出てくる要素以外のものは、一切読みません。
逆な言い方をすれば、表に出てこないものは無視します。ないモノとして扱います。シンプルでストレートな関係に、存在するかしないかすらわからないものを持ち込まれても困ります。常にあるモノであれば当会としてもあることを前提とした活動をせざるを得ませんが、あるかどうかわからないのなら、ないモノという前提で活動した方がいいと考えております。

無限ループにハマります

読み出すとキリがありません。何故なら答えがないからです。ある言葉の解釈がわかるのは、それを発した本人のみです。他人がわかる由もありません。わからないことを他人が読んでもしょうがありません。
また、仮に答えがわかったとしても、その答えが正しいかどうかは怪しいものです。

  • ある人はAと言った
  • しかしBかも知れない
  • 「実はBでしょ」と聞いた
  • 「うん、Bだよ」
  • しかしこれはトリックで、本当はCかもしれない……

こういう無限ループにハマります。「クレタ人は嘘つきだ」でおなじみの「クレタ人のパラドックス」みたいな話ですが、読むという行為はこういうキリのない現象を生みます。わからないのです。わかりっこないのです。読んだって的解は出てきません。「的解であると思い込む」だけなのです。であるならば、最初から読まずに的解であると思い込んでも同じことですし、読む手間を省いた分だけ合理的だと言えましょう。

読むと善意が受け取れなくなる

また読む行為の問題点として、次第に善意を受け取れなくなることがあります。基本的に読む行為は悪い方に受け取るケースが多いので、せっかくのプラスの評価を割引し、ときにはマイナスと思い込む。善意を悪意に入れ替えて受け取るケースが見受けられます。良い方へ良い方へ受け取る方は稀。
「好き」「愛してる」「かわいい」「キレイだね」「魅力的だよ」は「心にも思ってないクセに」「本当はブサイクだと思ってるんでしょ」になるのが普通で、「ブサイク」「ブス山さん」「ブーデー」などを「またまたぁ」「本当はかわいいと思ってるんでしょ」と好意的に受け取る人は少ないものです。
もちろんこうした発言の真意を読み取ることで、結果的に正解につながる場合はありますが、正解じゃなかった場合、せっかくの善意を拒むことになります。本当に「好き」と言ってくれたのに、それを信じられない。信じられないことで損をするのではないか。当会としてはまさにこの点を危惧しております。
もちろん逆の考え方もありまして、悪い方に読むことで、傷つくことを防ぐという意見もあります。一種のダメージコントロールというんでしょうか。「かわいいって言ってくれるけど、本当はかわいいと思ってないんでしょ」と思い込むことで、「かわいくない」と言われるケースに対処している場合ですね。
しかしこれだとマイナスがない代わりにプラスを手放している。傷つかないけど、うれしいチャンスもまたない。悪意を前提とすることで、善意を受け取ることができないわけです。これはもったいないというのが当会の立場。こういうチャンスを素直に受け取って、真に受けて、社交辞令と思わずに行動した方が、結果的にプラスになるのではないか? こう考えておるわけです。
また、読んだ場合の極端な結果のひとつに「勝手に読んで、勝手に傷つく」がございます。ダメージコントロールの場合は一種のトレードオフ。傷つくかわりに、善意を受け取らないという関係になり、ま、イコールですが、傷つける意図がないのに勝手に傷つく。マイナスだけが残る場合もございます。善意を善意として受け取らないのはまだいいとしても、善意を悪意として受け取り、その読みの結果、ひどく落ち込む。傷つく。ひいては逆恨み。……これは非常にもったいないところです。
もちろんこういうメリット・デメリットは皆様にお考えいただいた上で、当会との距離感をそれぞれお考えいただきたいところでありますが、傷つくことを恐れて善意を受け取れなくなるのは寂しいことだと私たちは思います。また読んでも読まなくても他人の本当の気持ちはわからない以上、読んでも仕方ないというのが私たちのエコ意識です。ムダを省きたいのです。面倒くさいのはイヤなのです。
見えている善意は善意で受け取り、見えている悪意は悪意として遮断する。そして善意とだけ付き合う。それでいいのです。それだけでいいのです。そしてそれ以上のことはできません。疑えば疑うだけわからなくなる。であれば目に見える部分だけひとまず信用し、それを前提に生きていく方がラクです。頭を使いませんし、精神的負担もありません。
「社交辞令が効かない会」は皆様の入会をいつでもお待ちしております。細かい手続きはいりません。自分が会員であると思ったそのときから会員です。私たちは「会員になりたい」というその心意気をストレートに真に受けますし、その点につきましても社交辞令は効きません。
皆様も是非、ご入会下さい。