『たまこまーけっと』はむしろフィクション性高いよ、という話
えっと、たまこま9話まで見ました。
うん、覚えてる人は覚えてるでしょうけど、過去に私はブコメで下記のようなことを言ってましたね。
うん、すげぇ分かる、作劇を成り立たせるためにキャラクターが成立されてて、リアルに仕上げようとしてアニメというメディアに落とし込んでるので変に嘘くさい部分が出でくるんだと思う
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http://b.hatena.ne.jp/entry/lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/01/25/033008
うん、我ながらビックリするぐらい見当違いなことを言ってますねこれ、ホント恥ずかしい。以外見当違いだったと思うポイントについて順を追って訂正していきます。
まず結論をいうと、たまこま凄い面白いんですが、正直2話まではよくわからん状態だったんですが、3話で朝霧さんにスポットが当たってからは、まるでそこから糸を辿るように「たまこまの楽しみ方」を発見していけました。
で、まず最初に訂正したいのが、この作品は別に「リアルに仕上げようと」しておらず、むしろ凄くフィクション性が高いんですよね。当たり前なんですが「うさぎ山商店街」って別に「京都に実在する出町桝形商店街」では無く、普通に「うさぎ山商店街」という箱庭の世界ですよね。
何故にこんなアホな誤解が生じたかと申しますと「うさぎ山商店街」が極度に「出町桝形商店街」似ており、似せている=リアルにしたいのではないか? という思い込みから生じてしまいました。
で、次に訂正したいのが、この作品は「作劇を成り立たせるためにキャラクターが成立されて」いるのではなく、むしろキャラクターをなぞる事により作劇が成り立っていますね。方向性をガチガチに固めた作劇をするならば、まず主人公である北白川たまこが、どうしてああいう不思議ちゃんな性質にしているのかが全く説明がつかない訳です。
ここで強引に結論付けるなら、たまこまーけっとは群像劇とも言えます。どうして群像劇なのかはこのtogetterまとめをみれば説明がつくかなと。
「主人公だけで作品を見る」受け手にどう対応するかという難問 - Togetter
http://togetter.com/li/472617
「主人公だけで作品を見る」と全くもって説明がつかない作品、それがたまこまーけっとなのだろうと。
主人公であるたまこを中心とした物語ではなく、むしろたまこを取り巻く人達の喜怒哀楽を見ていくのが正しい見方なのかなーと。例えば3話では朝霧さん、4話ではあんこ、5話ではみどりちゃんともち蔵みたいな感じで。
で、この論法でいくと「商店街の人達」も同じようにたまこを取り巻く人達なんじゃないかと。まぁ大の大人が大人気なくあんこにベタついたり、大人なのに妙に無邪気だったりすることに拒否感を感じるのは分かります。ですが上でも説明したとおり、この作品はむしろフィクション性が高いわけで、別に大の大人がそのように子どもっぽく描かれててもおかしな話じゃないわけですよ。
以上のように、自分がいかに「たまこまーけっと」を見当違いな視点で見ていたかの説明しました。が、正直これだけでは「たまこまはつまんなくないよ」は説明できていても「たまこま面白いよ」は説明できていないような気がします、というか実際出来てない不味いヤバイ、しかもオチも無い。