ピングドラムにおける無意味さを表す三つの要素、及び残念な理由について

最近のピングドラムが残念すぎる、いや最近に限った話ではないのかもしれないけど。思い浮かぶ例でいえば、回想の使い方の下手さが真っ先に思い浮かぶのだが、それ以外にも(意図的行っているのだろうが)各話ごとの繋がりが希薄だったり、視点が苹果と晶馬を行ったり来たりしているので、その結果ブレブレだったりと、とにかく思い浮かぶのはダメな点ばかりが多い。しかし見方を変えればこれすらも意図した演出の可能性がある。結論から言えば無意味さ、虚無感などの何もなさなのだが、何故そうなるのか順に説明していこう。


その理由を三つあげると、ひとつめは上記で挙げた各話ごとの繋がりの薄さ、ふたつめは記号的な表現の多用で、みっつめは苹果の妄想話に相当な話数を注ぎ込んだことで、順に詳細を書いていく。

  • 各話ごとの繋がりの薄さは、前後の繋がりを希薄にして連続性を無くしその一話のみに視点を限定する。
  • 記号的な表現の多用は、記号は前後の関係によって内包する意味が増える性質を持たないので、その結果が前後に繋がりを生まずに、シークエンス単位での意味を消失させる効果を生む。
  • 苹果の妄想話は、更に妄想による現実感や現実味を消失させ、シーン単位の意味すらも妄想で埋められてしまう。

この三つの事柄がすべて合わさった結果が、無意味さ、虚無感などの何もなさである。


言うまでもないんですが、その結果に残るのはだいたいが『残念感』だったりするんですよね。いやもうだって、意味の無いものを延々と見せられても、そこから意味を見出せって無理ゲーぢゃないですか、むなしいぢゃないですか。しかしそんなもんを表現しようとした監督は、色んなベクトルで凄いというか、私みたいな凡人には正直理解の範疇を超えておりますな!? いやはや。