ゲイ特集、同性婚、あと自分の反省

わたしテレビは殆ど見なくて、見るとしても教育テレビくらいなんだけど、昨日ふとテレビをつけたら『ハートをつなごう』という番組でゲイ・レズビアンが話題になっていました。途中からでしたが、わたしがもっとも感じたのは、出演してる人たちがすっごい人格者だなー!ということです。


わたしが見たのは、母親にゲイだということがバレて、それから受け入れられた、というようなお話。そして、これから自分の住む島の人たちにカムアウトしてわかってもらう、というようなことも話していて。あと、友だちはすぐフツーに捉えてくれてよかった、みたいなことと。


ホントさー、異性愛が「普通」で「標準」で「人はみな異性愛のはず」という「前提」が繰り返されるなかで暮らしてるから、異性愛じゃないとめっちゃ苦労するよね。「受け入れてもらう」とか「わかってもらう」とかそういう仕事まで一方的に背負わなきゃならなくて、すっごいもどかしいと思う。っつうかわたしはツライしもどかしい!


それなのに、番組に出ていたゲイやレズビアンの人たちはとってもおおらかにその仕事を受け入れていらして(テレビではそういう風に見えて、)ホンットにいい人なんだなーと思いました。


わたしだったら異性愛支配に対する怨みつらみを前面に出してしまいそうだし、「おめーが無知なんじゃねーかよ勉強しろアホ!!」と言いたくなると思う。実際に言う勇気があるかは別として。


多くの人は「情報がなくて知らないだけ」なんだし、知ってもらえば異性愛の人にも「理解してもらえる」というのはとってもよくわかります。だから、わたしみたいに「おめーがアホなんだよ!」みたく怒って、「情報がなくて知らないだけ」の人を叱りつけるのは建設的じゃないと思います。


それに、「異性愛が規範」という情報や制度が再生産されて異性愛支配が続いているんだから、「そうじゃない」という情報や知識があることってホンットに大事だと思うのです。(わたしがテレビを見ないのは、同じような言説(しかもわたしにとってディプレッシングな)ばかりで、見てもつらかったからです。)


だから、こういう番組で情報を流してくださるのは、ホンットに大事なことだと思うのですよ!全国の孤立している人たちの支えになってるやもしれん。もしもわたしが中学生や高校生のときにこういう番組があったら、いろいろ違ったかもしれないな…と思います。だからありがたい番組だと思いました。


しかしですな、
いまだに「受け入れてもらえるか否か」という観点ばかりを話題にせねばならんのですかな。見ていてかなり憂鬱でした。


それが多くの人が経験している大変に重大な問題なのはわたしもよくわかってるつもりです。が、しかし、このようなめったにない番組のなかで、こればっかりを話題にしていると、結局は「同性愛は一般に"受け入れらない"という前提にある」という前提や「異性愛者が受け入れるか否かの実権を握ってる」という認識を再生産してしまいませんかしら。


「受け入れられるかどうかで苦労しますねぇ」というポジションにとどまるんでなく、番組自体がもっと率先して「受け入れて当たり前じゃわい!100年前の誤解だよそれ!」という前提にシフトしてくれれば、もっと他の面白い話題もできると思うし、ポジティブなメッセージも送れると思うんだけど。…受け入れるかどうかを話題にするなら、受け入れない人のダサさを指摘しあざ笑いみじめな思いをさせる!とか。そこまでしなくても、異性愛が規準ってのは自然のことじゃないんですけど、という見解を入れてほしい。そうすれば同性愛者の生態みたいな情報だけでなく、同性愛差別はみっともないよという情報や異性愛者も少しは勉強しなよというメッセージを流せると思うんだけど。どうかな。制度の話とか。(わたしこの番組のこの回しか見てないので、もしやすでにそういう方向に進んでいるのかな。だったらいいけど。)


そんで、話は変わりますが、
わたしはたまーにOut in the Bayというサンフランシスコから発信されているラジオを聴いているのですが、こないだジュエル・ゴメスという人のインタビューでこんな話が出ていました。カリフォルニア州での11月の選挙では、同性婚を禁じる法案(proposition 8)を通すか通さないかの投票もあるそうで、これについての会話
「でも住民の2/3は反対(=同性婚を禁じることに反対)してるみたいね」
「それが本当だといいわ。ほんとそれだけ認識が進んでるってことよね〜。でもこれもちょっと問題で、賛成する人(=同性婚に反対する人)なんていないでしょ!って油断して、投票に出向いてくれなくなっちゃうかもしれないから。」
って話していました。
そんな風に当たり前に受け入れられていいわね、と思う一方で、「わざわざ出向いてくれない」っていうのも、ちょっとしぶとい問題かも…と思いました。積極的に同性婚に反対するわけではないけれど、わざわざ賛成には出向かない、というのは、なかなか問題じゃない?、、そんな風に無関心でいられる人の手に運命を委ねるみたいで、やきもきするよね。    (ところで、同性婚についてわたしはもちろん賛成ですが、しかし婚姻制度そのものに疑問を感じていて(自分が結婚できないからではありませんから、断じて!…断じて!!!)それを含めて制度の見直しをと思います。あと、カリフォルニア州の結婚については、、これってさ、相手が外国人だと確か問題があるんじゃないっけ?、、よく知りませんが、結婚はできても移民局が認めないとか、そういう問題があった気がします。それについてもっと話題になってもいいんじゃないかな?と思いました。アメリカでのゲイ話って白人スタンダードになりがちだから話題にならないのかな。)


そういうわけなので、何が言いたいかというと、
セクシュアリティだけに限らず、受け入れてもらえるかどうか許可してもらえるかどうかを一方的に気にしなければならないっていうのが、そもそもマイノリティの立場なわけで、そういうのを気にする必要がないし無関心でいられるっていうのがマジョリティの傲慢さなんだから、少しは遠慮して生きろよ!って思います。もっと繊細になって気づきなさいよね!そして積極的に賛成しなさい!って。わたし自分に対して言ってるんです。ちょっと前に、自分の無神経さに気づく出来事があって反省もしたしものすごく落ち込んだので。どんなことでも自分が世の中のいわゆる規準のうえにのさばっていい気になってるって、気づくのは難しいけど、気づかないと恥ずかしい、気づきたい。