水月 鈴蘭シナリオ
鈴蘭シナリオ以外もネタバレです。
普通は、人の能力には限界があるため、雪シナリオで全てを切り捨ててマヨイガに行き、花梨シナリオでナナミという可能性を否定したように、皆を幸せにするということができないからこそ、例え切り捨ててしまわなくてはならないものがあったとしても、それでも自分が選びたいものを選ぶことをその最善のあり方として行います。
それに対し、鈴蘭は、誰もがそれは不可能だと思わされてしまうような、常識とか、理屈なんかに全く惑わされることはなく、直に正解へと辿り着きます。*1
ナナミに対して不気味だとか怖いとかそんな常識には惑わされず、雪に対しては
「雪ちゃんはボクのママ。あと、ボクだけじゃずるいから、透矢ちゃんのお嫁さんにもしてあげる」
というように、常識にとらわれず、そして本質的に透矢を独占するようにしかあることができない雪さんというキャラクターにそうではないようなあり方を与えます。
水月のゲームデザインって、雪さんを選ばなかった場合にはいつのまにか雪さんが消えてしまったり、和泉ちゃんを選ばなかった場合には彼女が町から出て行ってしまうなど、最初の時点のように皆が好きだから皆にいてほしいというのは維持できないようになっているのですが*2、そういう意味で鈴蘭シナリオラストで皆が仲良くいるっていうのはものすごくすごいことなんですよね。
想像力の限界こそが、人の創造力の限界であるという話なのですが、雪さんや花梨シナリオについて上で言ったように「普通に考えたら」絶対不可能ということを軽々と行っています。
「今までは許されなかったそれが、許されるようにな」り、良くないあり方へと進まざるを得ない皆を笑顔で強引に良い方へと引っ張っていってしまう。
立場がどう、考え方がどう、年齢がどう性別がどう、人種がどう――
人を区別するものってたくさんあって、もちろんそれは、時として大事なんだろうけど…
そういうものを越えたところで、愛し合えないのかな、と。
というように、理屈を全部超越してしまって、皆まとめてハッピーエンドへ、なんですよね。
鈴蘭は水月の最終解答っていうのをどこかで読んだ気がするのですが、全くもって納得です。わはーはすごいっていうか、凄まじいっていうのが相応しいかと。