『我ら“クレイジー☆エンジニア”主義!』が本当に面白い!

エンジニアのための『仕事・職場・転職』応援サイト Tech総研に掲載されている『我ら“クレイジー☆エンジニア”主義!』を一気読みした。いやー、本当に面白い。この特集は、先端技術を開発する科学者・技術者たちのインタビュー集なのだけれど、その言葉には多く考えさせられるとことがあった。以下、特に気になったところをつまみ食いしつつ、思っていたことをつらつら書いてみる。


まずは、泳ぎながら川を浄化する「魚型ロボット」を開発した藤本英雄さんのインタビュー。


 私がこのプロジェクトをやるべきだと思ったのは、そこにたくさんの意味があったから。例えば、環境問題というのは、地道な日常の活動が必要な分野。一方で、ロボットは、学生にも子どもたちにも人気のある、ある意味で派手な分野。この2つを組み合わせることで、たくさんの人にロボットはもちろん、環境問題にも興味をもってもらえると思ったわけです。
 魚型ロボットという、変わったものを作ったのは、より強く興味をもってもらうためでした。そのほうが、みんな関心をもつでしょう。実際、魚型ロボットは、もっともっと小さなものにできるのに、あえて大きなものにしました。しかも必要もないのに、外側をスケルトンにしたりした。これは宣伝の意味もあったんです。技術を誇示するかのように小さな魚型ロボットを作っても、実際に川で浄化しているシーンが見られなかったら面白くないでしょう。
 また、「堀川エコロボットコンテスト」を開催したのは、環境問題の地味な活動をイベントによって補完できると考えたから。小・中学生から企業まで、たくさんの応募がありました。そして魚型ロボットも、コンテストも、予想していたとおりマスコミが興味をもってくれた。コンテストには、まさに全マスコミが来ましたからね。結果的に、ロボット技術も、環境問題も、たくさんの人に知ってもらうことができた。そもそも技術というのは、社会とつながってこそ、意味があるもの。それを決して忘れてはならないと思います。
川を浄化!魚型エコロボット開発の藤本英雄

環境に良いロボットを作ること自体がゴールではなく、実際にそれを利用してもらったり、楽しいと思ってもらったり、なぜそれが必要なのかということを広め、認知してもらわなきゃいけない。技術の凄さを証明するためならより小さいものも作れたけれど、「技術」は目的=社会のためのものであり、今回の目的はエコロジーの認知と実現だから、あえて呼び水になるような形にしたというわけ。これはマーケティング的な発想に近いかもしれない。マーケティングの骨子は、目的にたどり着くための最も効果的な経路を導き出すことだから。


だって面白くないじゃんという指摘は、従来の「環境問題の地味な活動」への回答でもある。「そもそも技術というのは、社会とつながってこそ、意味があるもの」という言葉とあわせて、ここに「理論」や「運動」「議論」などを代入するとどれだけ耳痛いことか。それをサラリと言うのだから、こっちはギクリですよね。


続いて、電気自動車を開発する清水浩さんのインタビュー。

ガソリン車と性能がまったく変わらなくて、改造されて動力が電気になっただけという車を、人はお金を出してわざわざ買うでしょうか。私は買わないですね。人に買ってもらいたいと思ったら、ガソリン車にない面白さがあると感じてもらわないといけない。
 (…)今ここにカセットテープレコーダーと、ICレコーダーがあります。テレコは、テープのサイズで格好が決まっている。決めさせられているわけです。でも、ICレコーダーはメモリーで録音するからテープサイズに左右されない。だから自由にデザインが発想できて、小さいから、便利だから、軽いから売れた。では、テレコのサイズでICレコーダーを作ったら、売れるでしょうか。お客さんは買いたいとは思わないでしょう。当然です。でも、車ではこれがまかり通ろうとしているわけです。
(…)実は自動車は最初のころは馬車の形をしていました。あらゆる工業製品は、もとの形に左右されます。自動車はやがてエンジンを載せるために都合のいい形が追求され、今の形になっていった。これから考えるべきは、人間が乗るために都合のいい形になっていくことです。もっともっといい形は、必ずあるんです。
 技術とは、人間がラクをするものを作ることです。それに尽きると私は思っています。人間がラクをするために、どうすればいいか。その目的のためにこそ、モノづくりは行われてきた。人間の寿命が飛躍的に延びたのは、3つ理由があります。ひとつは医学の進歩。もうひとつは、栄養。そしてもうひとつが、ラクに仕事ができるようになったことです。産業革命以降、動力の多くは人の手ではなく機械が担うようになった。人は重労働をしなくてもよくなった。これが寿命まで延ばすことにつながったわけです。
 いかに人をラクにするか。これは今後も変わりません。どんな製品でもそうです。
世界最速の電気自動車「Eliica」をつくり出した清水浩


エコって言うと、時として「人間一人ひとりが努力をして云々」という内面啓発的なものが前景化するけれど、どうしてもそういった言説に懐疑的にならざるを得ないのは、“反省”を促すその言説が、なぜ現在「エコ」と言われる状況になったかを“反省”できていないように思うというのがある。「アイドリングストップ運動」のように、人々が少しずつ意識がけすることで効果を出そうとするものが無意味だとは思わないし、有意義だとも思う。ただ、人が「ラク」なことをしてきたのだと非難するなら、おそらくこれからも人は「ラク」を選ぶと予測できるので、人に新しい「ラク」を提示することが、即「エコ」に繋がるというような形も模索しなければいけないだろう。例えば電気自動車の方が安くて乗りやすいとなれば、多くの人がそれを求めることによって CO2 の排出量が削減される、というように。


関連して、超高速での浮上走行を実現する「未来列車」を開発する小濱康昭さんのインタビュー。

 地球環境の破壊は間接的には、科学技術者の責任です。だから今度は、お返ししなければならない。あらゆる乗り物を、順次環境に負担をかけないものに変えていかなければいけないと思うんです。そしてそれは、日本人に課せられたテーマのひとつでもあると思います。日本はこれからもモノづくりで国を支えていくしかない。アジアの国が台頭してきた今、日本人は日本人でなければ作れないものを作る必要がある。例えば、驚くほど効率のいいもの、環境に負担をかけないもの。そういうもので先導していく必要がある。あくまで独創的な技術にこだわるべきなんです。
 実は2005年7月に、宮崎でNPO法人を立ち上げました。目的は、環境技術で社会貢献すること。しかし、この法人には、もうひとつの目的があります。それは、第一線で働くエンジニアや中間管理職に、ヒマな時間を作ってあげたいんです。なぜか。ヒマな時間がないと、独創的なアイデアは出てこないからです。走ってるだけじゃダメなんです。どこかで立ち止まって、やることがない、これはイカンぞ、というくらいの状況に置かれないと。自分の実体験がそうでした。
 留学先の当時の西ドイツでは、金曜の仕事は午後3時で終了、土・日に働くなんてとんでもない、というのが研究者の常識でした。土・日も仕事に出ていたらドイツでは本当に離婚問題になります。では、なぜ土日も働く日本人よりも成果を出していたか。ゆとりが独創を生んでいたからです。実際、私もこのゆとりのおかげで“エアロトレイン”を生み出せたと思っています。あまりに慌ただしい毎日から抜け出してみる。それも、いい仕事をするための大事なヒント。それをたくさんの人にわかってほしいですね。
時速500kmの未来列車エアロトレイン開発者、小濱康昭


作品名は失念したけれど、あるファンタジー作品に「人間が生み出したもののツケは、人間が拭うしかないという」ようなセリフがあった。私は同様に、「科学技術によるツケは、科学技術で解決するしかない」と思っている節がある。これは精神論やヒューマニズム的掛け声のようなものでは全然なくて、仕組みに対する理解のようなものかもしれない。人が「ラクなもの」を求めて科学技術を頼るのが変わらないことならば、科学技術自体が環境によくなるという構図を用意する必要がある。それを設計するには、やはり科学技術しかないだろうと。環境対策といえば、今は“やせ我慢”をしなくちゃいけないということになっているけど、それだとキャズムを越えにくいだろう。一部社会科学についても同じで、簡単に「近代を超える」とか「オルタナティブを模索する」と掛け声をあげる人がいるんだけど、そういう言説自体が既に再帰的な円環の中に含まれていることを意識したほうがいいと思うんだ。

 僕は父親の仕事の関係で2歳から7歳までインドで過ごしていたんです。当時、仲良くなったのが、日本人でインドに修業に来ていた高僧。ものすごく偉いお坊さんだったんですが、リンゴやバナナで餌付けされましてね(笑)。毎日のように正座しながら説法を聞かされまして。何よりも印象に残っているのは、「人の目に見えるものは、ほんの一部でしかない。本質は目に見えない部分にこそある」という考え方。僕は鉄腕アトムに惹かれてロボットに興味を持ったんですが、欲しかったのはアトムではなく、アトムを作った天馬博士でした(笑)。だって、アトムは手に入れてらアトムだけだけど、天馬博士なら、アトム以外のロボットも手に入るでしょ。これこそ、お坊さんの言っていた本質だ、と(笑)。それで、3歳からロボット開発者になるんだと決めていました。
 もっとも、僕のキャラとしては、天馬博士というよりは、タイムボカンのコスイネン(笑)。僕が尊敬しているのは、Dr.スランプののりまきせんべいさんと、宇宙戦艦ヤマトの真田さんと、コスイネンなんですよ。中でもコスイネンは、僕の永遠のヒーローです。
ロボット界の異才古田貴之が創る・未来のクルマ

博士課程の研究室で助手の先生に言われたんです。自分とディスカッションしたければ、この本を読んでおいてくれ、と。渡されたのは、彼らのバイブル『攻殻機動隊』でした。「光学迷彩」はまさしくこれがヒントになった。ただ、あまりにSFチックでしたし、正直なことを言えば、最初は研究としてはあまりまじめに考えていませんでした。「SIGGRAPH」でも、メインで見せたかったものは別にあって、余興として置いておいたんですよね。ところが、メインは見てくれずに、余興に行列ができてしまって(笑)。思い入れがありすぎるよりも、少し肩の力を抜いてシンプルにしたほうが結果的に技術の本質が見えてくるのかもしれない、と思いました。
 日本人はロボットを作るとき、『鉄腕アトム』や『機動戦士ガンダム』を引き合いに出します。でも、「ああ、あのアニメの世界ね」というシンプルさがいいんだと思うんです。実は私はMITのAIラボで半年間研究していたんですが、アメリカの研究者も同じなんです。彼らは真顔で言っていたのは、『2001年のHAL』を作りたい、だった。やりたいことを人に説明するとき、これほどシンプルな言葉はない。「光学迷彩」だって、『攻殻機動隊』を知る人には共通言語になりますから。
「光学迷彩」で透明人間を工学的に実現した稲見昌彦

 ロボットスーツは、サイバニクスのひとつの研究成果です。では、なぜロボットスーツだったのか。人間というものは、進化をやめた種族なんです。テクノロジーによって環境を変えることで、自分たちの進化をやめてしまった。生き物としては非常にまれな存在です。本来、自然界のなかで淘汰されてしまいそうな流れがあっても、それをテクノロジーが支えてきたわけです。例えば飛行機やトンネルなどの社会システムも重要ですが、一方で人間個体の機能そのものを強化したり、増幅したり、拡張したりする。そんなテクノロジーの流れが必要だと考えたんですね。それがサイバニクスを作る大きな目標になりました。
 では、どう強化、増幅、拡張するか。『サイボーグ009』のように、テクノロジーを体に埋め込むこともひとつの方法かもしれない。でも、人間の生体というのは面白くて、皮膚に触れるまでは受け入れてくれるのに、ひとたび体に入ろうとすると生体防御システムが拒否し始めるんですね。だからまずは密着型を考えた。それがロボットスーツだった。
 研究のビジョンをつくるのが最も大変だったと言いましたが、あくまで実用を考えていたからです。それは実現可能か。実際の社会で本当に使えるか。どんな使われ方をするか。製造できる組織はあるか……。研究者は、製品が世に出ることをイメージし、多少なりともビジネスプランを練ってから基礎研究をするべきだと、僕は叫びたいですね。
 世界でもそうですが、手段のためには目的を選ばない研究者が多すぎる。自分ができる手法を使って、自分ができることをやって、これは何かに使えませんか、とやる。たまたま用途が見つかることもあるかもしれませんが、本当にそれでいいのか、僕は疑問です。目的のためには、手段を選ばないのが基本(あくまで研究手法の話ですが)。まずは目的が先にあるべきです。
山海嘉之が挑む、介護でロボットスーツ「HAL」実用化

 私はよく鉄腕アトムを作るために研究しているんだと言っていますが、そのきっかけは幼稚園のときに出合った鉄腕アトムでした。親によれば、当時は毎日、アトムの絵を描いていたそうです。人間のような心をもったロボットを作れるということが、やっぱり子ども心に驚きだったんですね。それで小学校に入って、アトムを作るのはどんな人たちなのかを親に聞くと、親も理系だったので「エンジニアだ」という答えが返ってきて。小学校で将来の夢を書く作文があると、男の子はプロ野球選手などと書く中で、僕は一人だけエンジニア(笑)。同級生からは「何だ、このエンジニアって」と追及されて。役に立つ機械を作ったりする仕事だ、なんて説明したりして。
(…)
僕が生きている間は、鉄腕アトムはできないでしょう。でも、それでいいんです。作りたいという気持ちが次の世代に伝わり、少しでも前に進んでくれればいい。そのための場所が作れればいい。僕はそう思っているんです。
コンピュータは羽生名人に勝てるか?人工知能の松原仁


皆それぞれの持論を持っていて興味深いのだけれど、特に面白かったのは、やっぱりロボットアニメやマンガなどに影響を受けている人が多いということだ。漫画のキャラクターや世界観が、先端的な科学者たちのロールモデルや共通言語として機能しているということに、すごくポジティブな感動を覚えた。表現は世界を直接変えはしないけれど、人の世界観を内側から変える力を持っている。これから先も、文学やマンガなどの文化コンテンツには頑張って欲しいと思う。


他にも名言たっぷりの『我ら“クレイジー☆エンジニア”主義!』は、本にもなっているので早速買ってしまった。また後で読み返すために。



我らクレイジー☆エンジニア主義 (講談社BIZ)

我らクレイジー☆エンジニア主義 (講談社BIZ)



余談だけれど、アマゾンのレビューで星5つをつけている人が、「ただし苫米地(とまべち)という危ない脳科学者も載っているので、そこは読まないほうが賢明です。そこを抜かしても充分に星五つです」と書いていたのに爆笑した。