bewaad さんから大変重いボールを受け取りました。人が老いるということはどういうことなのか。それは何かを失うことなのか、それとも何かを手に入れることなのか。
加齢感。これはアイドルグラビア日記の akarik 氏の造語であり、その用法は概ねネガティブなもの(参照 google:加齢感+site:akarik.org)。akarik 氏曰く:
元々「加齢感」は「老けて見える」「おばさん風」というのの言い換えとして使い始めたものだったりします。大体webページはみんな斜め読みする物だと思いますが、そういう読み方をする人には直接的な表現だと目につきやすく、気に触る人が出てきて怒りのメールとかもらうと嫌なので、一瞬ぼかす感じで書くようにしていました。
[雑記] よく使う語法 (アイドルグラビア日記メモ(2005-12-01))
別の意味で目についている気がします。それはともかく、このように「加齢感」は元々ネガティブな意味で使われているものであり、ポジティブに活用する試みもないではないものの、やはり「老い」そして「死」といった普遍的な恐怖を連想させ、受け入れがたいもの、目を背けたいもの、そういったものが与える印象を指すと受け取られざるを得ません。
その意味で私が能瀬香里奈のグラビア*1から感じた違和感を「加齢感」と表現したことは適切ではなかったのかもしれません。確かにその感覚は加齢とは無関係ではなく、「かわいさ」とは相容れない何かでもありますが、これを「加齢感」と言ってしまうと私が感じたあの感覚の本質を私自身見誤ってしまうおそれがありますので、これを適切に言語化したいところですが、なかなか上手くいきません。
ある種の緊張感、ある種の圧迫感、ある種の輝き。そういったエネルギーのあらわれとしての顔の表情を支える何らかの力。その名状しがたい力、私が暫定的に「表面張力」と呼んでいるものについて、能瀬香里奈は決して典型例とは言えないので、私が最もその力を感じる人物、押切もえを例にとって語りたいと思います。
押切もえ。正直言って私はこの人のことをほとんど知りません。初めてこの人を認識したのが去年あたりですから。好みのタイプというわけでもなく、過去に雑誌の表紙などで目にしたこともあるはずですが、その時はスルーしていたのだと思います。たまたま子役目当てで見ていたテレビで、カリスマファッションモデルに密着取材、みたいな番組で紹介されていたのを見てその強烈なビジュアルに驚愕しその名前を記憶しました。
なにやら暴力的な名字に、名前が「もえ」。その顔のどこが萌えやねん! などとは心では思っても口にはできそうもない、猛禽類系の激しいビジュアル。「とって食われそう」というのが最初の印象。間違っても「かわいい」という感じではありません。*2彼女のあのエネルギッシュでバイタリティあふれる激しい表情は、いわゆる「弾けるような笑顔」とは全く異質なものです。
およそ芸能人というものは、スターなどとも呼ばれるように、光り輝くような存在感があるもので、ある種のエネルギーが顔面から、あるいは全身から溢れるように見えるものですが、通常その輝きは内面から肉体を突き抜けるようなイメージ、もしくは肉体の表面が輝くようなイメージであり、いずれにせよその輝きは肉体という人間と世界の境界線をハレーションで消し去る方向に働き、神々しさや崇高さを演出するのです。*3 そして、その輝きに照らされた私たちも自分と世界との間の境界が失われ、輝く存在に飲み込まれ、一体化していくような錯覚に陥り、我を失い熱狂するのです。
一方、押切もえの場合、輝きは確かにあるのですがそれは彼女の意志の力で制御された形で放出されるように感じられます。ナチュラルに溢れ出るままにするのではなく、エネルギーを溜め、その流れを制御しながら一気に放出する、いわば顔で発勁するような、そんな笑顔。制御する主体と制御される顔面、そして顔面というインターフェースを通じてのみ関わり合う世界という構造があり、顔面においてその構造を支える力が表面張力なのです。彼女の顔面にあらわれる緊張はそのまま人と世界との間の、また人と人との間の緊張関係をあらわすのであり、彼女の顔が迫ってきた時に感じる圧迫感は決して消し去ることのできない境界線の存在をあらわすのであり、一体化とは溶け合うことなどでは決してなく、食うか食われるかであり、そして食うのは彼女で食われるのは私の方であると。
表面張力は他者の妄想を拒絶する力であり、自己の妄想体系に他者を組み入れる戯れることで自分を慰める私にとって人間の孤独という本質的な事実を突きつける脅威であり、光り輝きながらそのような力を見せつける存在を前にして、私は全身の力が萎えるような恐怖に襲われるばかりなのです。
*1:ビッグコミックスピリッツ 2006.8.7 No.34 表紙+巻頭グラビア
*3:子供の場合は、まだその境界線が曖昧なため、放っておいても命の輝きが漏れてくるのであり、往々にしてその輝きは年と共に失われていくのです。