「愛国心」はやはり強制するつもりらしい

共同通信(5月16日)によると、教育基本法改正と「愛国心」の指導について、小泉首相は、「愛国心」を指導する教員は
「法令に基づき職務上の責務として指導を行うもので思想・良心の自由の侵害になるとは考えていない」
と述べたらしい。共同通信はこのことを
「愛国心」強制せず
というタイトルで紹介しているが、首相の発言をよく見てみると(及び小泉首相の日頃の言動や国旗国歌法の時の事情を考えると)、政府自民党としては普通に思いっきり強制するつもりなのでは、と思われる。


小泉首相の発言は、
「『法令に基づき職務上の責務として指導を行う』ことが『思想・良心の自由の侵害』になるか否かという問題に対し、『そうなるとは考えていない』」
と言っているわけであって、
「『思想・良心の自由の侵害』にならない範囲内で『法令に基づき職務上の責務として指導を行う』」
と言っているわけではない。
つまり、もし教員が
「『愛国心』の指導が自分の思想・良心の自由を侵害している」
と訴えたとしても、政府は
「それは法令で定められていることなので思想・良心の自由の侵害にはあたらない」
として、訴えを斥けることになるものと思われる。つまり、小泉首相の発言は、
「『愛国心』の指導のために教員の思想・良心の自由が侵害されても、それを問題にしてはならない」
という趣旨なように思える。
なんとなく「自衛隊は軍隊ではない」という理論と似ているが、自衛隊は国際的な存在であるのに対し、「『愛国心』の指導」は日本国内の問題である。
つまり、自衛隊の場合は、「軍隊ではない」ということを、あるいは少なくとも「普通の軍隊とは違う」ということを日本国の法律の及ばない国々にアピールするために、口先で「軍隊ではない」言うだけではなく、自衛隊の実態もある程度は「普通の軍隊とは違う」ようにしなければならない。
それに対し、「『愛国心』の指導」は日本国の法律の及ぶ範囲内にのみ「思想・良心の自由の侵害ではない」ということをアピールすれば良い。で、何故そのようなことになってるのかは知らないが、このような場合はその実態はどうでも良く、ただ口先で「思想・良心の自由の侵害ではない」と言えばそれで良いっぽい。つまりは、教員の思想・良心の自由を侵害することは、「『愛国心』の指導」のためなら一向にかまわない、ということになる。


以上は教員についてだが、児童・生徒についてはどうだろうか? 首相はこの件について
「教育上の目標として規定しており、児童や生徒の内心に立ち入って強制するのではない」
と述べている。確かに「児童や生徒の内心に立ち入って強制」ということを露骨にするとは現時点では思えない。しかし、「愛国心」を指導するからには、教員は「『愛国心』をうまく指導しているか」という尺度で見られる。何が「愛国心」か、「うまく指導している」というのはどういう指導をすることかを判断するのは政府だろう。「愛国心」が「教育上の目標」である以上、政府は教員に「『目標』の達成」あるいは「成果」を求めるであろう。
つまり教員は、「『愛国心』の指導」に関して成果を上げなければならず、成果を上げるためには「児童や生徒の内心に立ち入って強制」ということ(及びそれと実質的に同じようなこと)もある程度はしなければならないだろう。それをしなければ、教員は自分の首が危うくなる。自分より児童・生徒のほうが大切な教員にとっては、児童・生徒の将来を思うとそれは避けなければならないであろう(児童・生徒より自分のほうが大切な教員にとっても、自分の将来を思うとそれは避けなければならないであろうが)。先生がそのような状況下にあっては、児童・生徒にも暗に強制力が働いてしまうものと思われる。


小泉首相の発言を見る限り、政府与党は教員に「『愛国心』の指導」を強制するつもりっぽい。教員に強制がかけられているなら、その影響が児童・生徒にも暗に出るのではと思われる。