就職してもこういう記事書く大人にはならないように

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31782


 『現代ビジネス』にあまりにも愚かしい記事が載った。あんまりと言えばあんまりな内容なので反論を書いておく。ここでさんざんコケにされた就活学生たちのためにも、かつて羞恥プレイの強要に苦しんだ私自身のためにも。



 くだんの記事は現在の就職活動は学生側にとっても面接する企業にとっても茶番となっていることを指摘する記事だが、そのために序盤にて就活学生たちを徹底的にコケにしている。

 コメントを求められたらしい曾野綾子は、面接の場で自己アピールする際に学生が長所を述べることをとりあげ

「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露できる人は、他者の視点で自分を見ることができていないということです。だから平気で『自分はリーダーに向いています』なんて面接で言ってしまう。周囲は『出しゃばりな奴だな』と思っているかもしれないでしょう。自分のことをこうだと思い込むと、結局は自分勝手で幼稚な自己表現しかできなくなると思います」

 と酷評している。

 バッカじゃなかろうか?  
 
 まさかと思うが、こんなコメントを出す輩やそれを無批判に載せるライターは学生たちが本気でこんな「恥ずかしいこと」をやっているとでも思っているのだろうか? そう「自分のことを思いこんでいる」とそこまで自分を客観視できないとでも思っているのか? と言うか、ブコメでもこの記事に関心したり、あまつさえ上記のコメントを引用している人が多くて辟易とする。
 まあ、後者はこの文脈とは切り離して一般論として良い言葉だと思いメモしているのかもしれない。確かに「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露できる人は、他者の視点で自分を見ることができていないということです。」も「自分のことをこうだと思い込むと、結局は自分勝手で幼稚な自己表現しかできなくなると思います」も一般論として正論である。自分の美点を人前でとうとうと述べる奴は日本人の美徳「謙虚さ」を忘れているし、自分のことをどういう人間か決めつけるのは何歳だろうと良くない。
 そして、そのような異常なことを学生らに強要するのが面接と言う場である。

 「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露」を批判する曾野綾子はではエントリーシートにほぼ必ずある『長所』欄をどうしろというのだ、まさか空欄で出せと言うのか? しかも面接の場で面接官から「あなたの長所を教えてください」と聞かれたら? 黙っていろと言うのか? それとも恥ずかしげに謙虚に話せば満足か? ハキハキと話せない奴はまず最初にはじかれることは就活生には自明のことである。
 まあ、曾野綾子はたぶんエントリーシートを見たこともないし面接に悩んだりすることもなかった「世間知らず」だろうから聞くだけ無駄な気もするが。


 同記事は続いてある演劇学生の例を出し、人材コンサルティングのコメントを紹介している。

「面接対策として、ある程度の自己分析をする必要はあるかもしれません。しかし、没入しすぎて『自分はこういう人間だ』と自己暗示をかけ、それに縛られてしまうことが多い。せいぜいバイトかサークル活動といった浅い人生経験で、自分はこういうタイプの人間だと決めつける。自分で自分の可能性を狭めてしまうことにもなります」(辻氏)

 二十歳そこそこの若者が、必死で禅問答に取り組み?自分史作り?に励む。その姿は、大人から見ればどこか気味が悪くもある。

 曾野綾子よりは生の就職活動現場を知っているためか、彼女ほどのずれた意見は言っていない。いまいちピンとこないが、もしかしたら最近の学生はそうなのかもしれない、と思わせるところがある。(ライターの地の文は悪意に満ちているが)。
 しかし、曾野綾子にも言えることだが、引っかかる点はある。「せいぜいバイトかサークル活動といった浅い人生経験で、自分はこういうタイプの人間だと決めつける」と言うが、例え学生が傍目には決めつけとしか思えないようなことを口にしていてもそれが単なる就活対策以上のものではないかもしれないではないか? 面接が終わった瞬間にはそんな「決めつけ」は脳内からきっぱりなくなっているのではないか・・・・・・いや、少なくとも私はそうだったが、みなは違うのだろうか?

 この観点からみると曾野綾子はさらに愚劣だ。「自分のことをこうだと思いこむと〜」とか言っているが、就活学生が本気で「恥ずかしげもなく」口にしていると決めつけているのは他ならぬ曾野綾子ではないか? 自分の美点を自分で口にさせられる学生がほとんど精神的拷問にも近いことを耐えているだけだという発想にはならないのだろうか? 

・「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露できる人」は本当に恥ずかしく思っていない。(=言うように求められているから言っているだけ、というわけではない)
・「周囲は『出しゃばりな奴だな』と思っているかもしれないでしょう」という周囲の観点を当人は認識していない。(=そんなことは百も承知だが言うしかないから言っている、というわけではない)

 この2点をぜひ証明してほしい。


 だいたいこの記事全体も大いに矛盾している。記事は曾野綾子の「決めつけ」になんら批判的なことを書かないまま、同時に就活学生たちが「すました顔で嘘をつき」面接官が「心にもないことを言わせる」と書きながら、なぜか曾野綾子や辻氏の「決めつけ」は真実のことと受け止めている・・・・・・いや、学生が嘘ついているならその「美点アピール」や「自分のことをこうだと思い込む」発言も嘘なんじゃないの? という話にはならないのか?


 私個人の就職活動のこと、そして転職活動のことを言うと、この『長所を書け/述べろ』は先に書いたように精神的拷問であり、趣味の悪い羞恥プレイの強要以外の何者でもなかった。なんだって自分で自分の美点を述べるなんて恥ずかしいことをしなくちゃいけないのだ? 「日本人の美徳」*1はどこに行ったんだー!! と心中で叫びならが、(恥ずかしさのあまり)血反吐を吐くような思いでエントリーシートを書き、面接で答えるべき回答を書いた。あまりに精神的にキツいので市販のエントリーシートを使用していい場合は、「長所」を書く項目自体が無いものをなんとか探し出して使用していたが、面接の場での「長所を述べてください」だけは回避不能である。
 ここまで来るとほとんど無理やり「反省文」を書かされているかのような屈辱感を覚えてくる(書いているのは反対の「美点」なのだが)。しかし、この屈辱感に耐えなければ就職できないかもしれない。まともなところに就職できなかったら、正社員になれなかったら、どんな真っ暗な未来が待っているか・・・・・・という恐怖が就活生にはある。だからどんな羞恥プレイにも屈辱にも耐える。この社会ではともかく働かなければ(それもなるべく心身を破壊されないような場で)生きてはいけないのだから。


 ところで、就活学生の「恥ずかしげも無い」「思い込み」は、曾野綾子やライターの妄想であり、実際の学生はもっと客観的で恥ずかしさに耐えている、という前提で話を進めてきたが、それは本当だろうか? 少なくとも私は恥ずかしさに耐えて長所をアピールし、面接前に「ガラかめ」でも読んで自分はこういう人間だととりあえず思いこみそれを演じて面接が終わったら(何を発言したも含めて)その自画像は忘却のかなたに投げ捨てたが、もしかしたら(まさかと思うが)大多数の就活学生は「恥ずかしげも無く美点を口にし」「自分のことをこうだと思いこんでいる」のかもしれない。
 そうではないと証明するだけのデータの持ち合わせはないが(と同時に曾野綾子やライターにも自論を証明するデータなんてないだろうが)、参考となりそうなのが実は同記事内にある。

 同記事の3ページ目には、面接の場で出くわした珍質問に対する就活学生たちの証言が載っているが、どれもかなり冷静で面接を客観視するだけの視野はあるように思える。
 また5ページ目の学生は

「就活って、基準が見えないから、受かっても落ちても何が原因だったのかわからない。だから、就活マニュアルに載っている『いい就活生』像にできるだけ近づくよう努力するしかないんです。意味があるかどうかは考えず、割り切るほかない。でも、いくら『いい就活生』になるために頑張っても『いい社会人』になれるわけじゃない。だから、内定が決まった今も、すごく不安で・・・」

 これが「他者の視点で自分を見ることもできない」とか「幼稚な自己認識」な学生が言うことであろうか? この学生も内定をもらったからには「自分の美点を人前で恥ずかしげもなく披露」したはずである。この記事もこんなライターや曾野綾子のコメントを引っ張ってくるくらいなら、なかなか客観的な視点のこの学生に就活の苦労や不安を率直に語ってもらったのを記事の骨子すればもっと益のある内容になっただろう。


 さて、ここまでライターや曾野綾子などの就活学生に対する妄想を批判してきたが、もう一点。
 このライターは始終就活学生をコケにしているが、彼らは就職戦線においてどういう立場だろうか? 圧倒的に不利な立場なのである。まだ労働者でもない彼らには労働基準法も労働組合も味方になってはくれない(いや、就職してもあまり役に立たない場合が多いが)、ただ一人一人分断され他者を蹴落としてでも自分が生きるためにあがく者たちである。
 彼らはとにかくも就職するためならばどんな羞恥プレイにも屈辱にも孤独に耐える。採用されるもされないも面接官の胸先三寸である。その圧倒的に非対称な就活生を面接官と一緒くたに「バカ」と罵ることに恥は感じないのであろうか?

 例えばサビ残せざるを得ない労働者がいるとしよう。この労働者に向かって「社畜」*2「タダ働きなんてバカじゃないか」「家族をないがしろにするのか」などと言った批判がいかにまとはずれかはわかるだろう。まともな労働組合ならその労働者個人にサビ残なんてやめるよう批判するのではなく、それを強要する経営陣を批判するはずである。
 経営者と労働者個人は圧倒的に非対称な存在であり、労働者の側が勝手にサビ残を拒否することはそのまま職を失う=この社会で生きていけないことを意味する。だから経営陣の方にサビ残をさせるのをやめるよう言うのが道理である。
 しかしこと就活ともなると、未来の労働者たる就活学生を嘲笑するまさしく「弱きを挫き強きを助ける」ような悪意ある記事が「平気で」書かれるのである。こんなことを書いてお金がもらえるとはなかなかステキな商売とでも言うべきか。

 国が滅びようと何だろうと、生きるためには働かなくてはいけない。就活生にはこいつらへの怒りを胸に秘め、歯を食いしばって爪を隠し、嘘でも方便でもとにかく職を得て生き抜いてほしい。そしてその上で、こういう輩を引きずりおろし、状況を変える力を養ってほしいと思う。


オマケ

 まあ、こんな記事を読むよりは、就活生や転職したい人は

格闘する者に○

格闘する者に○

 なんかを読んだほうが精神安定状いいんじゃないかな? エントリーシートに『長所』や『学生時代に打ち込んだこと』なんかを書かされて心が折れそうになった夜に。

それから四月が終わるまでの二週間は、出版社のエントリーシート書きに費やされた。「好きな本や雑誌」「感動したこと」「嬉しかったこと」「これからの出版界はどうなるか」「どんな出版物をつくりたいか具体的に」・・・・・・聞いてどうする、と脱力するような項目や作文の題目が延々と続き、一体原稿用紙にしてどれくらいの量の文章を書かされたかわからない。

私はラオゾージュニアと結婚して『丸川の女帝』とか呼ばれるんだわ。そうなったら就職の面接で変な質問なんてしないよう、社員に徹底させてやる。

*1:私は「日本人の美徳」なんてどーでもいいと普段は思っているが

*2:この労働者が他の労働者にまでサビ残を当然視するはた迷惑な言動をした場合を除く