シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「想像力の欠如した」路上パフォーマーが、秋葉原の歩行者天国を危機に晒す

 
 日曜日の秋葉原に出かけると、そこは歩行者天国。都内で数少なくなった歩行者天国エリアの一つとして、今日も大いに賑わっている。近年の秋葉原の場合は、単に歩行者の往来に便利というだけでなく、様々な路上パフォーマーやコスプレイヤーが彩りを添え、道行く人々を楽しませてくれる。企業のビラ配りのメイドさんばかりではなく、自主的なコスプレイヤーや路上パフォーマーが様々な催しをみせてくれる現状は“オタク文化圏の中心都市”に恥ずかしくない興隆であり、21世紀風俗の一コマとして歴史に名を刻むことを私は疑っていない。
 
 こうした路上パフォーマンスやコスプレイヤーの出現は、主に『電車男』が流行する前後ぐらいから目立つようになったと記憶しているが、現在ではすっかり秋葉原の風景に溶け込んでいると言える。よく晴れた日曜日などは、コスプレした女の子達のミニ撮影会・ミニリサイタル的な集団に殆ど確実といって良いほど出くわすし、それを興味深そうにみつめる外国人観光客の姿も多い。私は、こうした現状を「オタク文化の開花」として肯定的に捉えている。もっとやって欲しいし、もっと見てみたい。オタク文化と地続きのパフォーマンス・コスチュームプレイが、“街の日常風景”として息づいているのは世界でも類例の無いことだし*1、息づいているということこそが、秋葉原のオタク文化がタイムリーなものであることを証明していると思う。
 
 しかし、このようなオタク文化の開花が成立している背景を考えると、私は心配になってくる。とりわけ、少しづつ少しづつ過激になっているように見受けられる路上パフォーマンスや、やけに露出度の高いコスチュームなどをみていると、「大丈夫なのかな」と心配にもなってくる。彼ら/彼女らは、自分達が活動している場所が「利用できて当然」とでも思っているのかもしれない。または「怒られるまでは何をやっても構わない」と勘違いしているかもしれない。だが、本当にそうだろうか。
 

歩行者天国のパフォーマーに対する、警察側の大人な対処

 
 そもそも、秋葉原の歩行者天国で見世物を行うことが禁じられている事ぐらいは、殆どのパフォーマーの人達も知っている筈なのだ。事実、ゲリラライブを試みる人達などは、警察官が来ると速やかに解散・退散する。とは言っても、警察官が来るまでは「ちょっとぐらい出来ちゃう」ことをいいことに、パフォーマンスを実行しているわけだ。また、女の子が一人でコスプレして写真を撮られるぐらいであれば、大きな問題に発展することも少ない*2。秋葉原の歩行者天国では、“黙認”とまでは行かないまでも、警察さんが歩行者天国からパフォーマーを完全駆逐するような、または歩行者天国を潰してしまうような、致命的な事態はなんとか回避されている。
 
 この辺りは、とりわけ最前線でオタクパフォーマー達に注意を促しているような警察官の方は、案外、実情を把握したうえで致命的な禁止措置をとらずにいてくれているんじゃないか、と私は推測している。建前としては、歩行者天国でのパフォーマンスは禁止なわけが、公序良俗や秩序維持に大幅に反したり、誰か*3が迷惑として申し出てこない限り、致命的な禁止措置をとるよりは現在の多少ルーズな措置のままのほうが皆が幸せでいられる事を、彼らは分かっているんじゃないだろうか。また、苦情の申し出などがない限りは、「これは秩序の敵だ」という判断も警察としては難しい以上、あまり厳格な対応をすべきでないと心得ている筈だ。だから、パフォーマンスに警察官が遭遇したら注意して解散させるにしても、(かつての原宿ホコ天がそうなったような)致命的禁止措置を繰り出すには至っていないんじゃないだろうか。
 
 勿論これは私の憶測に過ぎない。現場の警察官の方々が何を考えているのかは分からない。ただ、私が警察の方々と色々とお付き合いしている限りにおいては、警察の方々というのは「厳密に拘るならルール違反だけど、過激にやり過ぎない限りにおいては多少多めにみたほうが良い」場面において、意外と融通を利かせて“総合的に判断”しようと頑張っているようにみえる。警察官は警察官としての規範やルールに逆らわないのは勿論だけど、なかの人達は(世間が思っているよりは)ちゃんと柔軟な人達で、建前に抵触しない範囲においては“可能な限りの寛容”に配慮することは知っているようにみえる。秋葉原歩行者天国におけるパフォーマンスのような、どこまでがアウトでどこまでがセーフなのかが厳密に判断しにくい状況において、“警察官が到着して目撃したら注意して解散させる”という現行の対処が為されるのも、なんとなく警察の方々らしいな、という感じがする。グレーゾーンに対しては真っ白/真っ黒という措置をとることなく、グレーがグレーのままである限りは秩序を守っていくという意味においては、パフォーマー達に対する警察の振る舞いは、これはこれで大人の対応なんじゃないかな、と私は思う。
 

建前を守るべき時には、警察は建前を厳守せざるを得ない

 
 しかし、警察が常に“融通を利かせてくれる”わけではない事は、皆さんもご承知だろう。警察は、グレーゾーンがグレーゾーンのままである限りは、柔軟な対応を利かせてくれるけれども、建前を固守しなければならない状況では絶対に建前を貫き通すし、譲らない。そしていったん黒と決まった事柄に対しては、鉄の意志で断固とした対応をとるわけだ*4。目下のところ、警察の中の人達は秋葉原の歩行者天国のパフォーマー達の振る舞いをグレーゾーンとみなしているようだが、建前レベルで“黒認定”せざるを得ない状況になった時には、彼らは容赦なく歩行者天国を廃止することだろう。
 
 では、警察をして建前レベルで“黒認定”せざるを得ない状況というのは、どんな状況だろうか。
 
 もしもの話だが、コスプレ男女が性器を露出させて闊歩するのが秋葉原のいつもの風景になってしまったら、警察はグレーゾーンのまま放置できるだろうか。そのままには出来まい。公然わいせつが常態と化した街を、彼らは取り締まらざるを得ないだろう。そこまで極端でなくても、ある日過激なパフォーマーに関連した“事件”や“事故”が発生し、あまつさえマスメディアの好餌となった挙句、“警察が無秩序を黙認していた管理責任”を問われたとしたら、警察はどう判断するだろうか。やはり、歩行者天国廃止を選ぶしかあるまい。現状のまま何も起こらなければ良いのだが、“黒認定”せざるを得ない文脈が警察側にいったん出来上がってしまうと、後はもう、一切の妥協を許さない措置が行われるだろう。それが警察だ。
 
 私のみる限り、ここ1、2年の間に、秋葉のホコ天のパフォーマンスは随分増えたし、活発な出し物や大人数のものも増加したと思う。また女の子達の露出度についても少しづつアップしているような気がする。時には目の置き所に困るような格好の女子が出没することも、あるようだ。あのように路上パフォーマンスが過激化していく現状に対して、所轄警察は神経をすり減らしているだろうし、警察側の“黒認定”の閾値はそれなりに下がっていることだろう。いや、警察自体がナーバスになっていくだけではない。あけすけな露出や人数の多過ぎる無許可パフォーマンスが激化すればするほど、警察に対する「建前を守れ」という“声”の圧力・頻度も増大するだろうし、そうなってくると、建前を守るべき場面で厳格に建前を守るよう求められた警察側が、公に“黒認定”せざるを得なくなる確率も高くなってくる。仮に警察のなかの人に“オタクに対する寛容”があったとしても、外部からの「建前を守れ」という声が大きくなり、しかもその声が十分に筋を通しているとするなら、断を下さざるを得ないのだ。そして、秋葉原の路上パフォーマンスが公序良俗や秩序維持を無視した方向で突っ走れば突っ走るほど、外部からの「建前を守れ」という声は筋の通ったものとして通ってしまうことは忘れてはならない。そしていったん「建前を守らざるを得ない」と判断した警察は、厳格に対処する組織であることも忘れてはならない。
 

「想像力の欠如した」路上パフォーマーが、秋葉原の歩行者天国を危機に晒す

 
 そういう意味では、エロティックなコスプレでケツを丸出しにしている女子や、大人数を集めてパフォーマンスを展開しているパフォーマーというのは、現在の秋葉原路上文化の命数を短くする存在、と表現することも出来るだろう*5。秋葉原の路上で展開される多彩なショーは、表現の自由がどうこうという面だけではなく、警察側が歩行者天国廃止措置をとらずに大人な対応に終始しているから成立しているという背景をも含んでいる。もし、警察側が“黒認定”せざるを得ない状況が生まれてくれば、秋葉原の都市文化の一部としての歩行者天国・路上パフォーマンス・コスプレ撮影など、一夜にして消滅してしまうだろう。そして、警察をしてそのような致命的措置に踏み切る可能性を増大させるリスクファクターの一つが、一線を越えた過激なパフォーマーや公序良俗を乱す露出者であることは、憶えておいても良いのではないだろうか。
 
 現状でもなお、路上パフォーマンスに対する警察の対応に不満を呟くオタクがいるし、過激な露出を通して自意識を満たそうとするコスプレイヤーは後を絶たない。だが、彼らの想像力が居眠りをしているのではないかと、私は首を傾げてしまう*6。自分達のやっているパフォーマンスが、実は公権力の微妙すぎる判断の掌次第でいつでも禁止になりかねない事、そしてパフォーマンスが過激なものになればなるほど警察側も「建前を守って」「筋を通さざるを得なくなる」事を、彼らは想像できているのだろうか。出来ていまい。しかし、こうした無邪気だが想像力の欠如した個々のパフォーマーの行為の積み重ねが、秋葉原の路上で繰り広げられる文化的営為の首を締め上げていくのだろう。まぁ、永続する文化というものは無いのだから、いつか終わりが来るのは致し方のない事ではあるし、それが「想像力の欠如した」過激パフォーマーが主要因となって壊滅するというのも、いかにもそれらしい展開ではあるが*7。
 
 どうあれ、秋葉原の路上パフォーマンスがこの調子で過激さを増していけば、遠からず秋葉原の歩行者天国と、今起こっている文化現象としてのオタ的パフォーマンスは(警察による禁止措置という形で)街から消えてしまうだろう。それは寂しいことには違いないが、「想像力の欠如した」人達が際限なく過激な演出をエスカートさせた挙句に、公序良俗を乱したり騒乱を誘発したりする限りにおいては、回避困難な未来予想だと私は考える。
 
 あなたが秋葉原の路上パフォーマンスなど、いつでもなくなって構わないと思っているなら、過激な尻見せにカメラを向けてヘラヘラしていても良いだろう。それを止める筋合いは私には無い。だが、もしも秋葉原の路上パフォーマンスという形で現在進行している、このユニークな都市文化に未練なり愛情なりを感じているというのなら、さて、扇情的な生尻がみれたからと言って勃起している場合だろうか。秋葉原の路上パフォーマンスも文化的営為である以上、表現者の自由な表現が尊重されるべきなのは分かる。だが実際には、公序良俗や秩序維持といった別の問題で引っかかってしまえば----つまり警察が“黒判定”せざるを得ない状況になってしまえば----一夜にして消えてしまいかねない事には、想像力を働かせても良いのではないだろうか。
 
 どのようなパフォーマンスや露出が警察(や警察にモノ申す人達)を刺激するのかに関しては、“成人していて”“いわゆるDQNとは一味も二味も違う”“廉恥心に溢れた”オタクさん達であれば、十分想像出来るに違いないと、私は期待している。
 
 ※2008年追記:残念ながら、こういう方向に流れています→“趣都秋葉原”終了の予兆としての破廉恥パフォーマンス - シロクマの屑籠
 

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*1:あとは幾つかの国内オタク拠点が候補にあがるぐらいか

*2:女性器を出す、とかは別だろうが。

*3:近隣住民や地元商店など。

*4:念のため言っておくが、信号無視の取り締まりをやっている時の警察官などは、完全に建前の制御下にあって、柔軟な対応を利かせられる余地は殆ど無い。信号無視取り締まり中の警察官は、信号無視を見過ごすことを許されない立場に立たされているわけだ。幾らゴネても無駄だし、ゴネて何とかなるような取締りでは取り締まりにならない。しかし一方で、刑事事件の捜査などの別件で出動中の状況なら、黄信号が赤に変って1,2秒ぐらいなら、みなかったことにしてくれるかもしれない…といいですね。

*5:まぁ文化というものが自らの命数を惜しむわけではないし、公権力による圧迫も込みで文化の命数なんだからいいじゃないか、という意見はそれはそれで傾聴に値する。「文化が公権力に命乞いして生き残る」、という構図は確かにあまり良い気分のものではないし、そんなものに束縛されて生き延びる文化を真性の文化と呼べるのかというとこれは確かに甚だ怪しい。それでも私は、長続きして欲しいと思ってしまう人間の一人であり、現在の秋葉原における都市文化が出来るだけ長く良い状態であることを望んでいる人間の一人ではあるわけだ。

*6:彼らの多くも、既に成人を迎えているはずなのに!

*7:どうせ滅ぶなら華麗に過激に滅んでしまえ、というのも一つの意見ではあるわけだ。