「日本封じ込め」の時代−日韓併合から読み解く日米同盟−

          

「戦後日本の経済復興は、米国が寛大にも対日援助を続け、これを見返資金として産業全体にまくことができたから実現したものなのだ。いわば、今そびえたつ樹木の種を日本にあげたのは米国なのであって、そこになる果実をもらう権利も当然、米国は持っている」
 金融マーケットの最前線で働いてきた日本人たちであれば、実はこれまで何度も米国人から聞かされてきたはずのこのセリフが、まもなく日本中で聞こえるようになる。そのとき、哀れな日本人ははじめて「戦後日本が去勢された金融システムとメディアによる『閉ざされた言語空間』によって植民地化されてきた事実」を知ることになるだろう。
 そうなる前に、日本人が忘れた「朝鮮統治」という史実を振り返るなかで、「日米同盟」という名の米国による植民地化の「論理的帰結」として想定しておくべきことが一つある。それは近代日本の中心、すなわち「天皇制」についてである。
 日本が朝鮮統治を実現していくにあたって、常に頭を悩ませたのが朝鮮王朝の策謀であった。日露戦争が終わり、日本による朝鮮統治が事実上確定した後であっても、韓国皇帝・皇宗は陰に日向に策謀をめぐらし、ロシア、アメリカといった諸国に特使を派遣し、日本による支配をやめさせるよう訴え続けたのである。
 そしてついには、一九○七(明治四十)年にオランダ・ハーグで開催された「第二回万国平和会議」に皇宗は使節団を派遣し、日韓保護条約の非道を訴えようとまでしたのである。これには伊藤博文も、さすがに怒り心頭に発したことは前述したとおりである。
 明治政府として、こうした朝鮮王朝による策動を手をこまぬいて見ていたわけではない。韓国皇帝を犠牲にしても、朝鮮に伝統的な貴族階級である「両班」による支配の維持を求める李完用ら親日派に急接近する。そしてこれら親日派の突き上げを受けた皇宗は、同年七月二十日に退位した。
 それと同時に伊藤らが意を用いたのが、「抵抗運動の資金源を断ち切ること」であった。そのためには、何よりも韓国皇帝が自由に使える財産を「合法的」に召し上げてしまう必要があったのである。
(略)
「天皇制こそ日本の隅の親石(コーナー・ストーン)であり、頼みの大錨(シート・アンカー)である」(五百旗頭真・前掲書)
 しばしば語られるこのグルーの発言は、象徴天皇制の起源であり、皇室温存の由来であると言われる。しかし、そのことをもって、六十余年前に語られた「国体」の残滓を、米国が未来永劫にわたって温存することを決意したと言うのは誤りだろう。
 なぜなら、米国が皇室から財産権を取り上げたことも事実なのである。そしてまたグルーの議論はあくまでも「米国にとっての利便性」の観点から、天皇制の温存をはかるべきだと言ったにすぎないのである。
 米国からの「対日年次改革要望書」のとおりに構造改革を行い、米国のための「破壊ビジネス」の展開を許した小泉純一郎前総理大臣が突如として言い出した「皇室典範改正」は火種として消えていない。また、米国におけるいわば「貴族」階級に属するブッシュ米大統領の一族が、最近、活発に言論活動を展開する日本の旧皇族の人物の動向に、多大な関心を寄せているとも聞く。
 「日米同盟」の美名のもと、米国による「日本管理」は未完なのである。その実態に気付き、私たち日本人にとっての最後の「砦」を守ることができるかどうかは、自らの歴史に対する私たち一人ひとりの認識と責任感にかかっている。
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