身すぎ世すぎ。

映画、演劇、HELLOが3本柱の雑感×考察

美女木ジャンクション 4/26夜 花音・憂佳

  • むかし、赤坂時代のTBSの末端で働いていたころ、しろたえのチーズケーキを(Topsのチョコレートケーキも)よく差し入れてもらいました。なつかしい。作・演出の塩田泰造さんは甘いもんが大好物みたいですね。
  • 泉谷しげるばりに豪放らいらく。愛娘のヒロいわく「腕はいいけど愛想は悪い」ビンボーで飲んべえな内装職人・矢吹コウタ役で舞台を活気づけていた劇団☆新感線出身のタイソン大屋さんが、「福田花音はすげぇアイドルになりそうな予感がして、前田憂佳はすげぇ女優になりそうな気がします」と《タイソン大屋の秘密日記》で触れています。一般的な評価やイメージは、たぶん逆ですよね。花音ちゃんが「すげぇ女優」になりそうで、憂佳ちゃんが「すげぇアイドル」になりそうと。でもこれ、ヒロ=憂佳の父親役というひいき目を差し引いても、役者ならではの視点として面白い。
  • 売れっ子漫画家のシングルマザーをもつ鞍馬乃里子=福田花音は、舞台出演5作目となる彼女の代表作といっていいほどのリアリティと生気があった、とわたしは思います。よくいえば子供心を保持している、悪くいえば大人になりきれない周囲の大人たちを、乃里子は持ち前の行動力でけしかけ、日常世界に小波乱を巻き起こします。腹を空かした無職の放浪者であるおじさん(母の弟)トーマスを、人差し指でオイデオイデして自分の手駒みたいにあしらってみせる。親方より頼りになりそうな矢吹内装店の内弟子・カンちゃんと憎まれ口をたたき合ったりもする。大人と対等に、ときにそれ以上に張り合ってみせる女の子なんです。大人以上に大人びてるんだけど、ちっこいしおっかなびっくりのところもあり、その落差がけなげで可笑しい。ツブログの愛読者でもある塩田さんの「当て書き」によるその役どころが、女優として大人と対等に渡り合って、一瞬身がひるんでもちゃんと落とし前をつけてみせる福田花音の小さな生身の貫禄と交差する妙味があります。地に足ついた重みがあって、しかも芝居が重ったるくならない。そこに聡明さがあり、コメディエンヌとしての技があります。
  • 乃里子のキャラクターが“巻きこみ型”なら、乃里子の親友であるヒロ=前田憂佳は“巻きこまれ型”。火種のほうがヒロのそばにやってくる。そして、普段は先頭より2番手・3番手くらいの位置が好きそうなヒロが、窮していざとなるとミョーに肝が据わって芯の強さを発揮するんです。塩田さんの憂佳ちゃんへの連想にならえば、息をひそませていた「豹の子供」が追い詰められると、驚くほど冷静に爪をみせるんですね。観るほうはドキッとし、心臓に痛みが走ります。たとえば、文学青年としての大志を抱いて出版社に入社するも、漫画家の鞍馬ママに実戦に向かないヒヨコ扱いされ、プライドをずたずたにされた新入社員が、その娘・乃里子と取り違えてヒロをカラオケボックスに拉致するシーン。このかなり危ういシチュエーションが下品にならず、それどころか劇中もっとも心を打つ場のひとつになったのは、前田憂佳演じるヒロが静かに凛として小さな冒険に出る、その言葉、そのアクション、爪の一閃が、隠れていた物語の扉をひといきに、はからずも最善の方向へと開いてみせるからなんです。
  • 福田花音が自分が積み上げたキャリアを着実に技にし、血肉にしてゆく、持続力で勝負する“積算タイプ”の女優なら、前田憂佳は――もちろん彼女の表現力は同じ大人の麦茶公演のデビュー作『外は春の白い雲』からこの1年で格段に進化していますが、積み上げてきたものを一旦ゼロにしてその都度、本能的な、あるいは感性的な瞬発力で勝負する“除算タイプ”の女優といえるのではないか、とわたしはとりあえずの結論として思っています。「ゆうかのん」という最強コンビの、キャラクターのみならず、役者としての対照性を、ふたりのファンであることを公言する塩田さんはリスペクトをこめて『美女木ジャンクション』に生かしてみせた。ジャンクションの大惨事を救ったナゾの「美女木少女」の“瞬間”をまず舞台に焼きつけることで複数の物語が始動し、精妙に束ねられ、思いがけぬかたちでオチにたどり着き、しみじみと温かな余韻を残すこのアンサンブル劇に。そしてタイソン大屋さんの表明は、この雑文の書き手自体「ゆうかのん」ファンであるひいき目の大風呂敷を許してもらえば、秀才肌の福田花音なら役者としてオレはまだ負けねぇな、でも芝居の手慣れた巧さってヤツを瞬時に打ち砕きにかかる野性的な才をもった前田憂佳はちょっとかなわねぇとこがある、ってことじゃないでしょうか。
  • それにしても憂佳とはよく名づけたもの、成長期の前田憂佳はこの舞台で、野生の子供であると同時に“憂色の佳人”でもありました。憂いをふくんできりりと美しい。帰り道のお供をするトーマスが「トーマスさんにならなんだって言える」とヒロに告げられ、それがビンボー仲間ゆえのこととも知らずドギマギしてしまうシーンなんて、その情けなさに微苦笑するほかありません。乃里子が行動によって周りの大人をも動かすのに比して、ヒロはそこにたたずんでいるだけで周りのダメ男たちをあたふた反応させてしまう存在なんですね。ダメ男といっても、大人として欠点の多い彼らをヒロという存在が純情で強がりな“男の子”にしてしまう、という描き方が塩田演出の品の良さです。ストライプのシャツにサスペンダー付きショートパンツ、ニーハイソックスだったか、ヒロが今風の普段着で登場するシーンがあるんですが、なんてりりしいんだと見惚れていると、そのニーハイソックスのつま先と踵が微妙に擦り切れていて、父親にも親友にもグチを言わず憂いの一切を受け入れてそこに居る、そこから「いままでできなかったこと」へとおずおずと踏みだしてゆくヒロがいとおしく、親友の乃里子が言うように「いちばん偉く」も思えてきます。命の色をもった存在感がすごい。大人たちの恋愛ゲームを操っているはずの乃里子とヒロが、身近な大人同士の告白の現場を鼻ヅラに突きつけられ、急に恥ずかしくなっていっしょに「死に寝」する爽やか系艶笑シーンもいいですね。

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