2010ハロー!プロジェクト新人公演11月〜横浜JUMP!/ハロプロエッグの物語と平野智美の物語

「現行方式では最後」と言われていた新人公演がついに終わった。
新人公演ではこのところ毎回ひらっちこと平野智美を追いかけている。理由は今までに散々書いた、と思う。「平野智美」タグを作ってしまったくらいなのだから。
ハロプロエッグ解体?/平野智美 http://d.hatena.ne.jp/nhokuto/20100806/1281074676

昼公演はおそらくひらっちはこちら側に来ることが多いだろうと踏んで下手(しもて)に。基本的には大正解だったが、ラストから2番目のLOVEマシーンで真反対にいるひらっちがまったく見えず。byebyeまたねでは目の前でくどぅこと工藤遥が早くも泣いていてついつい心を揺さぶられる。。僕らの輝きでで岡井ちゃんポジションを堂々とこなすわライバルの大サビは歌うわで大活躍。いまさらヲタが何を言うまでもなく、もう娘。でもどこでも好きなところで輝いてください。ちょっと心配だったのはカリン様こと宮本佳林ちゃん。パフォーマンスの全力力はいつも通りなのだけれど、くどぅと一緒に出た舞台の役柄のごとく、自分のポジションを見失わないようにしてくださいね、そんなに色々策を弄する必要もなくあなたも輝ける子ですよ、とアドバイスしてあげたい。
出番・パート数共に飛び抜けていたのは佐保明梨・譜久村聖・竹内朱莉・勝田里奈。今後のエッグはこの4人が主力か。特に今まで目立った活躍もなかったかったりーなが結構スキルが上がっていて4人の中に放り込んでもそれなりにやれていたのが見れて嬉しかった。同期加入のひらっちとかったりーな、リハ日記をみても相当仲が良さそう。「ひらっちの分まで私が頑張る!」とでも言わんばかりの(ヲタの妄想ですごめんなさい)活躍に思わず頬が緩む。
byebyeまたねではメンバーが3ブロックに分かれていて、センターは仙石みなみ・吉川友・古川小夏・森咲樹・北原沙弥香の年長5人組に加えてなんとひらっちが。この6人がbyebyeまたねのメロ部分を2人ずつ順に歌うという構成で、とても嫌な予感を想起させる。が、公演中に具体的なアナウンスがあったわけではなく、新年のハロコンではエッグ選抜が出場する人のことである。エッグ制度改変により何が起こるのかは分からないが、この6人には特に大きな動きがあるのかもしれない。。

といっても年長5人組は舞台などの経験もあり、エッグメンバーとしてステージに立つかどうかはわからないが、今後も何らかの形で活動は続けるだろうと思われる。じゃあひらっちは・・・?
今回の全員曲以外の出番がなく、26歳の院生でもあるひらっちは、年長組の一員として現行エッグから切り離された場合活動の場が残されているかどうかは極めて怪しい。今年になってから西念未彩や古峰桃香のように無言でフェードアウトした例もある。もし今回がひらっちの最後のステージだとしたら。ひらっちだけでなく、とあるメンバーの最後のステージだっとしたら。ちゃんとしたアナウンスがないままメンバーが消えて行くのは実に切ない。たとえどんなに形式的なものだったとしても、前回少し書いたように、ファンがアイドルへの思いを断ち切るには、アイドルーファンの関係を解消するには、「卒業式」という名の儀式が必要なのだ。

夜公演が始まった。今度はLOVEマシーンのひらっちを観るために上手(かみて)に位置取った。昼公演ではひらっちは余興のクイズコーナーで大活躍だったが、夜公演でも口数は少ないもののステージ唯一の「大人」としてキレのある回答を見せ場を沸かせていた。会場のヲタもひらっちの回答に期待している雰囲気だったし、なによりステージ上のメンバーがひらっちの答えに大爆笑していた。いままでまったくMCでは笑わなかったのに、今日は隣にいるかったりーなやカリン様と頻繁にコミュニケーションを取り笑っていた。その立ち振る舞いは見違えるように堂々としていて、立派なアイドルだった。ひらっちはいつからあんなにステージで楽しそうな顔をするようになったのだろうか。

いよいよラスト2曲、LOVEマシーンが始まった。自分は実はモーニング娘。のライブに行ったことがなくハロコンでもこの曲に遭遇したことがないため、生でLOVEマシーンを聞くのは初めてだった。1999年、小学6年生の頃から幾度と無くカセットでMDでテレビで聴き・見てきたモーニング娘。の、いや、ハロプロの代表曲。歌詞はもちろん、振り付けもだいたい分かる。そして、上手後方でそれは楽しそうにLOVEマシーンを踊るひらっちが目の前にいた。

僕が小6でモーニング娘。に出会って素直に魅了されたように、ひらっちもきっと中学3年生のときにこの曲に出会い、モーニング娘。そしてハロプロに魅了されたことだろう。それから何があったのかはわからないが、25歳にしてAKBでも地下アイドルでもなく、ハロプロという巨大な門を叩きハロプロエッグというアイドルの卵になったひらっち。きっとひらっちもこの曲にはなにか大きな思い入れがあるのではないのだろうか。そんな勝手な想像をしているうちに、はやくも涙が溢れてきた。LOVEマシーンという曲で、初めて泣いた。いまだ色あせない、その余りある多幸感が辛かった。


ハロプロエッグも あんたもあたしも みんなも社長さんも Dance!Dancin'all of the night!


今後のエッグがどうなるかはわからないが、悲観的な推測だけは得意なのがハロヲタ。もしあとから振り返ってサヨナラを言い逃した!なんて後悔はしたくないのは皆同じ。そして有志の方々が毎度とは言え大事な大事なサイリューム祭りを企画してくれていた。毎回の誕生日でもう飽きた?いやいや、今回ばかりはとても重要な儀式。白に染まる会場、流れるbyebyeまたね。そりゃあ泣く。エッグ全員が泣き、ヲタも泣く。他のヲタが泣いていたかどうかは知らないが、少なくとも自分は泣いた。条件反射と揶揄されようとも、とにかく涙は出るのだ。ひらっちも泣いていた。普段はステージの誰よりも真っ白なひらっちの顔が、真っ赤に染まっていた。
最後の挨拶、アンコール、そして本当に最後の挨拶。自然と何度もひらっちの名を叫んでいた。もちろんひらっちはこっちなんか見ない。いや、見なくていい。僕はヲタの群衆に埋もれる。それでいい。でも、もしかしたら伝わっているかもしれない。そして右端に立っていたため、誰よりも早く、そして一度も振り替えず袖に捌けるひらっち。。。



ここで本来なら僕の中のひらっち物語は終わっていたはずだった。でも、自分でもびっくりだが、続きがあった。



その前に少し余談を。
そもそもどうしてひらっちを追いかけだしたのか。どうしてひらっちが特別だったのか。ひらっちの「良さ」は今までのエントリでも(それでは飽きたらず)同人誌でも書いてきたが、真の理由など、そんなことはわからない。ただ一つヒントになりそうなのは、ひらっちがアイドルになったのは2009年6月だという点である。お披露目の新人公演と少人数FCイベントの女優宣言(握手する勇気がどうしても湧かなかった)こそ参加していないものの、デビューからの活動をほぼ追えている数少ないアイドルであり、また露出が新人公演及びそのリハーサル日記だけという恐るべき少なさ。既存の情報はほぼ全て網羅することができ、とにかく妄想・想像をかきたてる存在だった。
ハロプロエッグには数々の物語があった。幾つかあげるだけでも、天才小学生ブロガー福田花音、℃-uteデビューの有原栞菜、のっち、真野恵里菜、スマイレージetc・・・。真野ちゃんとスマの4人は夜公演に来ていたようだ。それぞれ、当時のヲタにとって大切なエッグの物語があったはずだ。自分が新人公演に行くようになったときは既にしゅごキャラエッグとしてスマイレージの3人はエッグの中でもエース級だった。スマイレージがエッグを卒業する際のさぁやによる送辞はたしかに感動ともに物語を紡いだが、彼女達の成長物語を見てこなかった自分にとって一番共感できるのは、それよりもリアルタイムで観ることができたひらっちの物語だった。
ハロプロエッグは本当に面白いグループだった。名目上はデビューを目指す研修生軍団だが、例えばAKBの研修生のように激しい競争原理が働かないため、部活のような、生ぬるい独特の空間が形成されていた。メンバーのカラーもほんとうに様々で、ひらっちのような存在はハロプロエッグ以外の研修グループには所属できなかっただろう。だからハロプロエッグでひらっちのようなわけのわからないアイドルに出会えたことは本当に幸運だったし幸せだった。ハロプロエッグは今夜の儀式により一つの区切りを迎えた。なんども言うように今後もエッグ自体は存続するが、どういう形態になるのかはわからない。だが、きっとハロプロエッグの物語はまだまだ続くであろうし、そうであってほしい。「ハロプロ」の冠を背負った研修生にしか出せないような素敵な空間を、また新しく創り上げてほしい。





ため息をなんどもつきながら横浜Blitzをあとにして、斧屋さんと横浜駅でお店に入り、新人公演の感想を言い合ったり、次の文フリのフリーペーパーには『アイドル領域』vol.2で書いた「平野智美から考えるアイドルの条件」という文章の続き・補足として今日の出来事を書きます、などという話をしていた。
そして店を出てホームのエスカレーターを下っているとき、斧屋さんが「あれ、ひらっち・・・?」と向こうを向いて僕に言った。僕はコンタクトを外していたため、視力0.5程度の目を必死に狭め、ひらっちらしき人物を確認した。たしかにとてもひらっちによく似ている人だったが、エスカレーターによって僕らは彼女の姿を見失った。
本当にあれはひらっちだったのか。最後の最後でひらっちは僕達に残像を見せたのか。ステージ上の幽霊、ひらっち。。。

ここで終われば物語としては完璧だったかもしれない。しかし僕はそこで素直に電車に乗って帰れるほど心を強く持てる人間ではなかった。エスカレーターを降りてひらっちの幻影を見失ったあと、動悸があまりに激しくて倒れるかと思った。以前「幽霊ひらっちを街で見かけたら死んでしまうかもしれない、ドッペルゲンガーに出会ったときのように」などと冗談で言ったことがあるが、本当に死んでもおかしくなかった。悩みに悩んで、あれが本当にひらっちだったのか確かめることにしてしまった。
居ないでくれ、決して居ないでくれ。僕の前に現れないでくれ・・・!ひどく矛盾した感情で先程の幻影を求めホームをしばし歩いていると、見つけてしまった。ひらっちの姿を。。


声を掛けることができるのか。それは無理だ。彼女はもうステージには居ない。ひらっちであってひらっちでない。ここで声を掛けるのはアイドルヲタとして絶対に破ってはいけない掟である。ひらっちを直視できず、少し離れた距離で呼吸を整えていた。
やがて電車が来た。同じ車両に乗ったようだが、もちろん近づくことも直視することもできない。このままではストーカーになってしまう。僕はひらっちに声を掛けるを諦め、降りるべきで降りた。どうやらひらっちはまだ電車に載っているようだった。その後姿を降りたホームから見ながら、心のなかで声をかけた。
今までありがとう、初めはネタ半分だったけど本当にファンでした。ちょっと目を離したら瞬く間に消えてしまうような、ステージで白く輝くひらっちに夢中でした。



未だにどうするべきだったのかよくわからない。いや、たぶんエスカレーターを降りた時点で電車に乗ってしまうのが正解だったのだろう。しかし、それはそれでずっとひらっちの呪縛から逃れられない罠に陥っていたかもしれない。
ひらっちはたしかにそこにいた。ひらっちであって、ひらっちでない。幽霊でなくて、人間としてのひらっち。そこにヲタは足を踏み込むことはできない。見ないふりか、チラリと遠くから眺めるだけ。それがヲタとアイドルのお約束であり大前提だったはずだ。それでも、幽霊のようなアイドルであり人間でもあるひらっちという存在がちゃんとそこにいたことをこの目で現実で確認できたのはある意味救いだったのかもしれない。ほんとうに勝手で気持ち悪い押し付けかもしれないけれど、とにかくありがとう、ひらっち。



さて、ここまで完全に今日でひらっちを見るのが最後であるかのような書き方をしてきた。現行エッグが終わること・ひらっちが消えてしまうことへの自分なりの決着は、このエントリを上げることでそれなりに付いた気がする。
だが、2010年が終わり2011年の正月ハロコン一発目で、ひらっちはエッグ選抜としてしれっとステージに上がっているかもしれない。それはそれでかまわない。だってひらっちはステージ上の幽霊なのだから。幽霊となったアイドルは我々の現前に、そう、いい意味で、何度でもよみがえる存在なのだ!