大島弓子雑感

あ
はじまりそう

あの発作

どうしてわたしはここにいるの? とか

どうしてここに立っているの? とか

考え出したらとまらない

何で?何で?何で?
どうして?どうして?どうして?

わかんないわかんないわかんないわかんない
頭の中がクエスチョンマークになっちゃうのよ
どうしようどうしようどうしようどうしよう

こわいこわいこわい

岡崎京子著「pink」P216より


どうも最近なぁばすぶれいくだうんなnarkoです。
思うのですが私は年を重ねるごとに弱くなっている。
もっというと自分の中に弱い部分があることに自覚的になっている。
多分それは「心のスキマ」という奴でそのスキマから恐怖不安孤独といった例の奴
があふれ出る。
思うに人間が強くなる成長するというのはフィクションなのではないだろうか?
たしかに肉体的なものや知識、知恵は鍛えると身につく。
でもスキマは埋まらない。
大人になるというのはそういうスキマを埋めるためのいろいろなくだらないもの
、それは家族であったり友人であったり恋人であったり職業であったり
ある人にとっては宗教であったりという属性を手に入れられるようになることだと思う。
ただかつて*1は絶対だったソレは
今では簡単に壊れてしまう。その理由はよくわからない。人が変わったのか
社会が変わったのか?多分両方だろう。
だから人はそのスキマを埋められるもっと具体的なもの即物的な行為に向かう。
ある人にとってそれは拒食過食行為だったりもしかしたら売春行為かもしれない。
リストカットかもしれないし貯金残高の数字を数えることかもしれない。
パチンコ台の前に座り続けることかもしれないし、ブランド品の衝動買いかもしれない。
大事なことは同じ作業を反復して繰り返すこと。ある意味貧乏ゆすりだ。
悪いけど私はオタクやマニアというのもそういうものだ*2と思ってる。

時々自分の部屋の物の多さにげんなりすることがある。
部屋に溢れている本やCDは私が不安を埋めるために無自覚に買い続けたものだ。
私は本当は綾波レイの部屋のような無機質な無駄なものがまったくない部屋に住みたいのに
自分の部屋を見ていると時々げんなりしてくる。ここには自分の好きなものしかない。その見苦しさ。

10代の頃、私はそういう感情は克服できると思ってた。
ストレス解消という言葉が嫌いだった。ストレスの根源とどうして向き合わないの?って
今はそう簡単でないことを知っている。
さて上の発作が起こったユミちゃんは恋人といっしょに南の島に行こうとするのだが
そんな恋人もお金もない私は黙ってベットの横にある大島弓子の文庫を手に取る。
そして短編を1,2作読んで眠る。
大島さんのマンガは基本的には全部同じ構造だと思う。
無自覚な孤独と周囲との断絶*3
を抱えた主人公が理解できないながら回りの友達や家族*4、そして優しい受け入れてくれる他者としての恋人
に支えられて、とりあえず*5やり過ごして終わる。

多分大島作品に入り込めない人、違和感を感じる人はそのやさしい他者の存在に嘘、欺瞞を感じているのだと思う。
橋本治さんは彼女のことを「ハッピィエンドの女王」と書いていたけど。
私はハッピィエンドから逆算して作っているような気がする。
最後が決まっているからどんな展開でもできる。
最後に「受け入れてくれる誰か」が現れて終わる。
ここでそんな人いないよ。人は一人で生きてくしかないのよ!と突っぱねれば
岡崎京子や内田春菊になる。
今出てる小説トリッパー[特集恋愛]の対談で桐野夏生さんが
「わたしは誰からも許されたくないし許したくない」ということを語っていたけど
彼女は多分岡崎京子さんが描いていた問題意識を今描いている人なんだろうと思う。

確かに大枠としてはそうだと思うし他の人が書くとケッって思うんだけど
大島さんはわかっててそう描いてる気がする。
そういう気持ちが人の中にあることを。

追記
自分で書いててなんだぁかなぁな内容だ。
でもいいや「ださくてみっともない」文章を私は書きたい。
本当は「ちょっと待って神様」の感想を書こうと思ってたんだけどなぁ、それは次書きます。

*1:それがいつまでかは分からないけど

*2:ある意味、不思議ちゃんも、そういうものだと思う。多分みんなスキマの埋め方が違うだけで、私は上で書いたような行為をしている人、あるいは突飛な言動や服装をする人の背景にかってにそういうものを読み込んでしまう。だから大島弓子さんのヒロインの突飛な行動もその孤独を散らす行為として受け止めてその奥の孤独感に感情移入してしまうことがある。

*3:例えば「秋日子かく語りき」なら女子高生の外見をもったおばさんだったり、「つるばらつるばら」なら前世の恋人(男)を探す男のコだったりと自分が思う自分と他人が思う自分のズレ、これをマンガらしく描いたのが綿の国星の「チビ猫」の猫耳少女、あの猫耳少女がオタク表現の一パターンとして定着してしまったってのは多分「萌え」とは別の業の深い何かがあるような

*4:ただ家族の描き方は回のよっては理解できない家族そのものが悩みの種であることが多い、私が大島さんの家族モノで一番好きなのは白泉社文庫「ダリアの帯」収録の「乱切りにんじん」これについては又書こう。

*5:うまく言えないが大島作品のオチって「とりあえず私は元気です」ってパターンが多い