「本格ミステリ冬の時代」はあったのだ

 昨今、「本格ミステリ冬の時代はなかった」というような暴論が一部でまかり通っているようだが、これはいかがなものか。もちろん、「本格ミステリ冬の時代」と称するしかない時期は、確かに「あった」。多くの本格ミステリ・ファンたちが、人に隠れ後ろ指をさされながら、それでも本格ミステリを読んできた時代を「なかった」と言うのは、歴史の改竄でしかない。



 というような趣旨の文章を、書いてみようと思っています。というのは、「本格ミステリ冬の時代」について語られるとき、殆どは事実認識の誤りか、さもなくば「だってあったんだもん」式の印象評ばかりで、あまりにも私自身が物足りないからです。

 事実認識の誤りというのは、例えば、以下のような文章を指します。

清張には多くの追従者たちが続き、やがて社会派の一大ブームを巻き起こすに至った。社会派の出現を探偵小説の進歩向上の成果であると見なした日本探偵小説文壇は「行くぞ一億社会派だ!」の正義のかけ声の下一致団結し、その一方で、それ以前の本格派探偵小説を「ノーベル賞学者のアル中の父」のように疎ましい存在と扱うようになる。

 これはネットの中でひろったある修士論文の文章*1ですが、あまりにも歴史とかけ離れた認識でしょう。

 「ノーベル賞学者のアル中の父」というのは島田荘司の『本格ミステリー宣言』のなかにある言葉で、表現の下品さはさておき、戦前からの流れである怪奇色の強い作風を指して言うのなら、まんざら見当はずれでもありません。たしかに昭和30年前後を境にして、このような怪奇色の強い作風は一気になくなってしまいます。英米の例で言えば、ホームズ以降、恋愛ロマンス中心の探偵小説がすたれ、近代的探偵小説に変化したのと、同じ現象ともいえるでしょう。

 しかし、日本探偵小説文壇が「「行くぞ一億社会派だ!」の正義のかけ声の下一致団結」したという事実がどこにあるのでしょうか。例えば、当時の同時代評である中島河太郎の『推理小説展望』を一読すれば、このような状況がまったくのデマカセであるのは明白です。むしろ、当時の探偵小説文壇は、いわゆる本格色の強い作風(黄金時代以来の作風を指し、怪奇ロマン派を指しているわけではありませんが)が少なくなったのを嘆いています。

 一般に松本清張の出現以来、社会的事象に取り組む傾向が強く、応募原稿などにも従来のトリックのみに依存する作風は、影を潜めた感がある。通俗誌に氾濫している単なる殺人小説は論外として、謎解きの骨格が弱いために、スリラーないしサスペンス小説への移行が目立って来た。こういうものでも、すっきりと組み立てられているなら結構だが、まだ泥臭いのである。
 しかし仁木悦子、松本清張以後、推理界の分布図は大きく変わりつつあって、めざましい新人の進出は特記すべきであった。ややもすれば薄弱になりがちの論理性と独創性をどこまで維持しうるかが、今後に残された課題といえよう。
(中略)
 戦前の日本の推理小説にはエロ・グロを売物にしなければならなぬような先入主があって、長くその正統の発展を妨げてきていた。今は通俗大衆誌を除いて、そういう顧慮を払う必要がなくなったことは、格段の進歩であった。一般読書人が顔を赤らめずに、店頭の推理小説を手にとれるようになったのだから、一応よろこんでいい。(『推理小説展望』昭和34年の項)

 つまり、「ノーベル賞学者のアル中の父」は本格探偵小説ではなく、エロ・グロを売物にした変格探偵小説だったといえるでしょう。それまでは、探偵小説は「一般読書人が顔を赤らめず」には買うことができなかったのです。しかし清張以降の作風で、そういうことはなくなった。中島はそれを「一応よろこんでいい」と表現しています。この言い方には、当時の推理小説の流れを諸手を挙げて喜んでいるわけではない本心がこめられていように感じられます。

 もうひとつ、『推理小説展望』から引用してみましょう。

戦前の探偵小説には、どこか日蔭者的存在の暗さがあり、それがまた一部の熱烈な愛好者を生んだのだが、今はあまりに健康的でたくましすぎる。(中略)日常性やリアリティが要求されるあまり、安易な殺人が行なわれている嫌いがある。技巧だけでなく、本質的な問題も考察すべき時期がおとずれたようである。(『推理小説展望』昭和39年の項)

 日常性やリアリティも大事だが、それだけでは魅力がないよ、と苦言を呈しています。

 松本清張の文章にも次のようにあります。

 最近、こういう本格派待望の声がまた上がっているのは、いわゆる社会派とかいう呼称で呼ばれる作品群の現象に刺激されたためであろう。(中略)
 本格推理小説という肩書きが衝いているので読んでみると、とんでもないマヤカシもので、失望をおぼえることがある。そういうことのないように、十則*2は憲法のように既定されたと思う。
 こういう(十則に則った黄金時代式の/引用者注)推理小説は、まことに珍重されるべきものであろう。本格の殿堂に灯をたやしてはならぬ。
 しかし、このような狭義な物差ばかりを全般の推理小説に要求してはならない。一方の存在を主張するために一方を否定するという議論は、偏狭で、ものわかりのよくない話である。(「推理小説独言」昭和36年)

 「「行くぞ一億社会派だ!」の正義のかけ声」など、どこにもありませんね。すでに昭和36年(1961)には本格派待望の声が上がっていますし、松本清張自身が「社会派とかいう呼称で呼ばれる作品群」と、社会派推理小説を揶揄するような表現を用いているのですから。松本清張が否定したのは、あくまで戦前の流れからくる古いタイプの「探偵小説」であって、論理の謎解きを中心とした本格ミステリー(当時の呼び方では「本格推理小説」)ではない、というのは、この文章を読めば明白でしょう。

 「社会派全盛の時代」という言葉のイメージに惑わされているのか、例えば次のような趣旨の文章を、時々見かけます。

「社会派推理小説も悪くないし、そういうものもあってもいい。でも、それとは価値観の違う本格ミステリーを否定するのは許せない。さまざまなジャンルが並列してあっていいじゃないか。どうしてそんな当り前のことが、当時の人たち(読者・評論家・作家)はわからなかったんだろう」

 もちろん、当時の読者も評論家も、そして作家も、そんなことは分かっていました。引用した部分にあるように、松本清張もきちんとそう言っています。それを理解していなかったのは、当時の「本格ミステリのマニア」たちです。

 当時の証言をもうひとつ引用します。

 EQMM日本語版が発足したころ、ファンの関心は本格物に集中していて、平家にあらざれば人にあらず、といったような状況でした。(中略)
 そこで、本格ばかりがミステリじゃない、と事あるごとに、私はくりかえし、くりかえし書いたり、しゃべったりしたのです。うぬぼれていえば、その効きめがあったのか、さまざまな傾向の短篇群が受入れられ、日本も本格一辺倒ではなくなりました。それどころか、本格は古くさいもの、という考え方さえ、ひろがってきたようです。(都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』)

 「EQMM日本語版が発足したころ」というのは、昭和30年代前半(1955-60)を指しているといっていいでしょう。ちょうど松本清張がデビューしたのと同時期です。この頃の「ファンの関心は本格物に集中して」いたのです。それ以外のものは、受け入れられにくかった。だから、「本格ばかりがミステリじゃない」と「くりかえし、くりかえし」言う必要があったのです。したがって、この時期を「本格ミステリ冬の時代」と言うことは不可能です。もし、そういう方がいらっしゃったら、それは単に事実認識を謝っているにすぎません。あるいは、本格ミステリを「館や孤島で次々おこる殺人事件を名探偵が解決する話」と思っているからでしょう。

 しかし、都筑の文章にあるように、ある時期「本格は古くさいもの」とい考え方がひろがっていたのも事実です。この時期を「本格ミステリ冬の時代」と呼ぶことは、可能かもしれません。この文章が書かれたのは、昭和45年から46年(1970-71)にかけてです。昭和30年代の終わりから40年代の初めにかけて、いわゆる「社会派の時代」は終わりました。*3それと前後した頃を、「本格ミステリ冬の時代」ととりあえず呼んでみましょう。

 (この項つづく)

*1:「探偵小説の理論 ―形式化とデータベース―」

*2:清張はクイーンの十則といっていますが、これはノックスの間違いでしょう。

*3:この時代認識は、別稿「社会派推理小説について」http://www.asahi-net.or.jp/~JB7Y-MRST/BUN/03.html を参照してください。