雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

下流志向の私

最近「何をやりたいの」とか聞かれるとさっぱり答えられない.今やっている仕事にそこそこ満足しているが,あと20年とか30年も続けることではない気がする.これまで何となく興味を持てることを探して,転職も社内異動も自分から能動的にこなしてきたけれども,そろそろ落ち着きどころを決めないと,段々と潰しがきかなくなりそうとか焦りもある.
どの仕事も1年くらいで嫌になったり先がみえたりして退いたから,気がつくとたかだか10年の社会人生活で職務経歴書が2ページでは収まらなくなっているけれども,この3年くらい似たような仕事をしている.バタバタ働いて個々の局面で結果は出せた気もするけれども,じゃあ一言で何をやったのかといわれても答えにくい.
システム構築から離れた時点で覚悟していたことだが,あれをつくりました,これをつくりましたというのは分り易くてよい.調整とか折衝という仕事は,まあ結果的に世の中が複数均衡ある中で,どの状態で均衡するかについて幾許かの影響を与えてはいるのだけれども,どこまでが自分の仕事で,どこから先が時流なのかとか,うまく切り出して説明することは難しい.
そういえば親父がSEだったが,子供心にプログラムを書かないコンピュータの仕事って何なのか,よく分からなかった.そういう意味では今の仕事に限らず,大企業のホワイトカラーが従事する調整業務の大半は,そういう子どもに説明することの難しい仕事なのかも知れない.
第一生命が小学生に実施した調査で,なりたい職業というと男子が野球選手/サッカー選手/学者・博士で,女子が食べ物屋さん/幼稚園・保育園の先生/看護師さんだという.子供の頃から女性の方が現実的なんだねと感心してしまう.
なりたいものになれない男子がNEETになるんだろうか.あと男女ともに子供からみて分りやすい職業は身近に感じやすいB2Cの仕事が多いなと.学者・博士がB2Cかというと微妙だが,子供たちにとって身近な学者というとテレビでコメントしている専門家のことか.きっとこんな博士のことではないのだろう.
そういえば僕は小学校の卒業文集に弁護士になりたいと書いた.当時はまだ優等生で口が達者だけれどもいじめられっ子で,口が達者であることを活かせる職業を他に思いつかなかった.結局,中学・高校に上がるにつれて落ちこぼれ,世の中の厳しさを学ぶというか司法試験なんかとてもとても無理,となる訳だが.新聞記者になりたいとか,中学・高校生になって考える職業観も,ちょっと視野が広がっただけで小学生と大差ない気がする.
高校を中退して予備校をサボっては遊び歩くようになってから少し世界が広がった.憧れの論壇チックな世界を垣間見たり,ITの世界にどっぷり浸って人脈を築いたり.だから大学が決まるなり確たる職業観を持つ前からITに絡んだライターや受託調査,システム構築の仕事に引き込まれ,好きこそものの上手なれで,いま自分が学ぶべきことが何か,自分が興味を持っていることが何か,自分を買ってくれるところがどこか,そういったことを,目の前に何となく並んでいる選択肢の中から選んできた.考えてみれば確たる目標なんて持ったことがない.
ところで中学でドロップアウトした自分が縋ったのは,鴎外の『青年』にある次の一節である.

一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

いい中学へ入り,いい高校へ行き,いい大学へ入って,いい会社に入ろうという魂胆は,鴎外の時代と何も変わらないではないか.富国強兵,殖産興業の時代ならばいい.ビルゲイツやスティーブ・ジョブスの評伝を読んでいた自分にしてみれば日本はもはや追うべき背中もないのに,どうして工場労働者を育てる時代と変わらない,横並びの競争と規範意識ばかり育てようとするのだろうか,と.僕がそういう疑問を持ったこと自体,後から考えるに,それだけではない教育を受けていた訳だが.
就職活動する奴らより自分が賢いと思ってた.ちゃんと自分のやりたいことを持ち,新卒として十巴ひとからげに扱われるのではなく,学生の頃から一端の専門家として中途で会社に入ったのだから.給与も待遇も悪くなかった.自分で自分の居場所を選んだ.創った.新卒組というのは僕の頭の中で,鴎外の『青年』の世界を地でいっているとタカを括っていた.実際には無理せずそういった壁を乗り越えて,もっと本質的なことを悩みながら普通のパスを歩んでいる連中がいくらでもいると後から知ったけれども.
与えられた道をなぞるのではなく自分の考えを持って道を切り拓いていく,そういう気負いを後から雑種路線と名付けた.自分は成功を約束する属性からだいぶかけ離れたところで,それなりに結果を出し,評価されたのだという自負があった.
結局のところ,僕は勉強を頑張る根性がなくてドロップアウトしたに過ぎないし,たまたま時代の流れに乗って自分のやりたいことに没頭できる環境を手にできたのだと思う.もう何年か早く生まれても遅く生まれても,全然違う人生を歩んでいたことだろう.
僕はあるべき姿のイメージは何となく持っていたけれども,どこで,何を,どうやろうかという目算はなかった.今月の中央公論だったか,下流志向の特徴として,経済的に豊かか貧しいかではなく,計画性のなさや自分の将来像と現在の自分の努力とが結びついていないといった話が出ていたけれども,そういう意味で自分はすごく下流志向な生き方をしてきたと思う.
社会が与えてくれる進路に対し,頑張れば報われるという実感をどうしても持てなかった.親から勉強しろといわれても,新聞やアマチュア無線に没頭することと,勉強することと,後者の方がより重要なのだという実感を持てなかった.
何かをやるということは,何かをやらないことなのだということに,僕に勉強しろと強いる親や先生はどこまで気づいているのだろうか,と思った.いま考えると,やる気なく勉強していた時間をもっと身を入れただけで,学校の勉強なんかどうにかなったのであって,気の持ちようを決定的に間違っていたけれど.
いま自分は自分が「何がしたいのか」分からなくて悩んでいる.後から振り返るに,確たる考えがあるかのように動いていたこれまでの人生も,どちらかというと刹那的に知的好奇心や問題意識を追っていたに過ぎない.けれども,結果的に小学校の卒業文集で「弁護士」と書いた時のココロとしての「口が達者であるというスキルを活かそう」という魂胆は結果的に満たされた.
然るに大概の男子小学生は野球選手でもサッカー選手でも学者・博士でもない仕事に就く訳だ,僕が弁護士にも新聞記者にもならなかったように.かつてはトコロテンのように押し出されて会社に入り,生きることを知らぬまま定年まで駆け抜ければ,家庭に戻ってから濡れ落ち葉と呼ばれたり,熟年離婚されるリスクとかもあるにせよ,まあ立派な人生なのだろう.
けだし僕の世代は「失われた世代」といわれるように,多くがトコロテンのように押し出される間もなく流動的な世界に放り出されてしまった.いま就職活動をしている連中は,就職という点でこそ我々の世代よりも恵まれているけれども,会社に入ってからどういう目に遭うか分からない.いずれバブル入社組のように疎まれるかも知れないし,そもそも成熟経済の下で終身雇用・年功序列なんて成り立たないことは自明であって,逃げ切りつつある人々の気休めのために時間を空費することになるのかも知れない.彼らが団塊の世代のように逃げ切れるとは僕には信じられない.
経済的・社会的にそうみえているかは別として,少なくとも行動様式で下流志向の強い私としては,僕らの世代の下流志向とは未来への期待と足許の仕掛けとを結び付けている物語の破綻であって,少し前の人々と今の人々とで何か質的に違うとか,価値観に干渉する類の教育で克服できることではない気がする.大事なことは現実性のある物語を提示できるかであって,人をどんどん使い捨てる方向に向かっている現実を隠蔽しながら,とってつけたような職業観や愛国心を植え付けることでは少なくともないはずだ.
正直なところ僕らの世代を丸ごと救えるような大きな物語をこれからでっち上げることは極めて難しい気がするし,向こう数十年の人生に筋道を立てていくにはあまりに時代が流動的であるように感じる.一方で僕自身いまさらベクトルを見失い,もともと自分が目標なんかに向かったことなんてないんだと自省するような状況に追い込まれていることは,やはり目標を持って筋道立てて生きていく方が堅実なのかも知れない.
巨視的にはいつの時代だって,堅実で粘り強い奴もいれば,刹那的で移り気な奴もいて,それぞれに先のことを実感しやすい社会システムをつくっていくことが,社会の安定や経済の発展に資するのだろう.微視的には自分も含めてひとりひとりが社会と自分とを結びつける小さな物語を紡いで生きていくのだろう.
かつて社会と個人とを結びつける物語は,学校なり会社なりが一元的に担っていた訳だが,会社も学校もリアリティある物語を紡げなくなったことは,必ずしも学校なり会社が不甲斐なくなったということではなく,もはやそういった大きな物語そのものが成立し難い時代なのではないか.
その居心地の悪さに対する反動として時代錯誤のナショナリズムやパターナリズムが跋扈しているのではないか.そしてこれらがポピュリズムが結びつくことは危険だ.お仕着せの愛国心も規律も,失われた物語を取り戻すことはできないけれども,彼らはそれをアプローチの失敗ではなく,手ぬるいと考えて更にエスカレートさせるのではないか.
ひとりひとりが自分と社会とを結びつけるリアルな物語を持つ.そのためには,自分が様々なかたちで社会から受け入れられ得るのだという実感を得られる機会を少しでも増やしていく必要がある.そして,それぞれの組織が,これまで大きな物語を提供する代わりに構成員との間で共依存的な関係を気づいていたことを見直し,自律的に紡がれた様々な物語と辻褄が合うよう近代化していく必要があるのだろう.
まずは僕自身が僕と社会とを繋ぐ小さな物語を紡ぎ,その物語へのコミットを行動で示し,誰もが自分の紡いだ小さな物語を大切にできる空間を少しでも増やしていく.そういうところから始めたらいいのだろうか.