試行錯誤する勇気 − スマートフォン vs. 日本型携帯

私は、日本人女性の基準体格を超えている。だから、日本に住んでいる頃はいつも、服や靴の合うサイズがなくて苦労した。男の子たちにもおじさんたちにも、よく体格をからかわれた。そこへある日、「日本人女性は9号が一番美しく見えますから、それに合わせていただかないと・・」なんぞとブティックの店員が偉そうに言っているのをテレビで見て、怒り心頭に発したのを覚えている。そのコンプレックスのおかげで、暗い青春時代を送ったし、ずっとアメリカに住むようになった心理的原動力もそれだった。

当時、日本人女性の多くが9号でちょうどよいだろうことは事実だったし、それはそれでよい。ただ、それをもって「日本ではこれでないとダメ」といって決め付けられるとむかっ腹がたつ。

iPhoneをめぐる「ユーザーインターフェース論争」を読んでいて、こんなどーでもいいことを思い出してしまった。

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携帯電話というのは、パソコンと違って、「見かけが第一」というところがある。見かけというと語弊があるが、英語のギョーカイ用語でいうform factor、つまり「見かけのデザイン」「手にもった感じ」「ボタンの押しやすさなどの使い勝手の感覚」「片手で使いやすいか、両手で使うか」「パコッとかクルッとかいった操作感」などを総合した感覚が、数字で見る「薄さ」だの「速さ」だの「メガピクセル」だの以上にモノをいうし、ユーザーはそこに思い入れが発生する、という意味。だからこそ、「番号ボタンのほうがqwertyよりも優れている」「いやそうじゃない」、という感情論になる。パソコンでは、qwertyキーボードより番号ボタンにしろという話はないのに、携帯ではちょっと問題のありかが違う。

こちらでも指摘されているように、「番号ボタン」も「qwerty」も、どちらも使いよさを考えて作ったものでもなんでもない。*1「どっちのほうが慣れている人が多いか」という、数の論理に過ぎない。日本では番号ボタンのインターフェースに10年かけてユーザーが慣れた。一方、英語タイプライターを起源とするqwertyキーボードは、少し上の年代の人は、それだけでパソコンを食わず嫌いになるほど慣れていないし、最近は学校でもだいぶ教えるようになったけれど、まだまだ日本では浸透度が浅い。

アメリカは逆に、qwertyが深く深く浸透してしまっている上、いまだに「メートル法」を受け入れないお国柄でもあり(江戸時代か!)、ユーザーは容易に番号ボタンでの入力を受け入れなかった。それで、BlackberryとかPalmとかのqwertyインターフェースが、長い長いことかけて、試行錯誤の末できあがった。Blackberryはページャー時代から数えれば20年選手だし、アメリカ式スマートフォンのパイオニアであるHandspring Visorは1999年に出ている。

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欧州では、料金体系や相互接続などといった業界的な背景のせいで、日本と同様、番号ボタンによるテキスト・メッセージの文化が育ったために、これまた番号ボタン入力インターフェースが主力になっている。そういう意味では、qwerty式スマートフォンというのは、まさに「アメリカ版ガラパゴス携帯」なのだ。

ただ、サイズや消費電力の制約の大きい携帯端末での入力インターフェースはいろいろな面で難しく、こうした過去長い間にわたる試行錯誤にもかかわらず、日本でもアメリカでもまだ「コレ」というほど決定打が出たわけでない、と思っている。少なくとも、現在の「最適化」というのは、その端末が「どの目的」を最優先にしているかをベースにした部分最適に過ぎない。

つまり、入力インターフェースの試行錯誤は、その「目的」やユーザーの好みの変遷とともに、今もこの先も続く。その一つの試みがiPhoneだった。qwertyインターフェースをべースにした、種々の細かい作りこみや試行錯誤が20年続いているアメリカで、その延長上に、それまでのBlackberryやPalmと違う新しい試みとしてiPhoneのタッチスクリーンがある。

前にも書いたように、アメリカ式ガラパゴス・スマートフォンでもiPhoneが他を圧しているわけではなく、まだマジョリティはBlackberryだし、そのスマートフォンはまだ携帯電話の一部にすぎない。第二四半期の売り上げベースでは、スマートフォンは米国の携帯電話端末の12%、そのうち46%がBlackberry、15%がiPhoneとなっている。*2第二四半期は3G iPhone発売直前なので、実力ベースではiPhoneはもうちょっと多いのだが、Blackberryがまだまだ強いというのはわかる。iPhone的なインターフェースがすべてを圧する決定打ではない。しかし、それでもiPhoneがこれだけの「大きなニッチ」になったというのは、番号ボタンよりBlackberryより、こっちのほうがいい、という思い入れのあるユーザーが数百万人分ぐらい、いたということなのだ。日本で本当にiPhoneが20万台なのかどうか知らないが、そうだとしたら、アメリカほどの長い助走期間がないにもかかわらず、20万人というそれなりのニッチ分、こっちの方向性に思い入れのある人がいたということになる。

そして、そのニッチは、入力方法だけではなく、これまでメーカーやキャリアが想定していたような携帯端末の「目的」とその「最適化」とは少し違うものを指向している。

ユーザーの「思い入れ」や「慣れ」の要素が大きい携帯電話では、こういうのはビジネス的にリスクが大きいけれど、でも試行錯誤をやめてしまったら、新しい方向性の芽をひとつ摘むことになるんじゃないだろうか。いわゆる日本式ガラパゴス携帯のほうが、支持派が多いのは決まっている。しかし、それをもって「こっちのほうが優れている」とか、「いや、日本じゃこーゆーのはダメだよ」とか決め付けられると「むぅー・・・」と思ってしまうのは、冒頭のような私のひがみ根性のせいもあるのだけれど、産業の話として、「試行錯誤をする勇気」の芽をつぶす発言だという気がしてしまうからでもある。

ユーザーがどっちに思い入れがあるかはその人次第だし、何が好きか嫌いかをブログで言いあってもぜんぜんオッケーだけれど、携帯業界人、それもかなり重要な業界人ならば、新しい指向性を示しているそれなりの数のユーザーを大事にして、「試行錯誤の勇気」を失わないようにすべきだ、と思うんだけど。私が前に「黒船」と言ったのはそういう意味だし、その新しい方向性が大きなビジネスにつながるには、まだ時間がかかると思うんだけど。

それとも、そう思う私は、やっぱり規格外なんだろうか。

*1:番号ボタンを数字として使うことは、もはや滅多にない。最初に番号をアドレス帳に入力するときだけだ。スマートフォンでは、それすらPCで入力して同期するだけだから、番号ボタンは滅多に使わない。「番号」の配列は、過去の遺産に過ぎない。

*2:出典: Synergy Research