すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

非モテはほんとにモテたいのか?

p_shirokumaさんのエントリ周辺を読んで。

たとえば「お金がない人ってどうなんですか? 結局お金が欲しいんですよね?」って言われたらどうだろう。お金欲しいかって言われたらそりゃ欲しいわー、とぼくも思う。しかしここで「じゃあお金を得るために努力するか諦めるかすればいいんじゃないの?」と迫られたら、どうなのか。いやいやいやなんでそんな急な話になるわけよ……って思う、のではないか。と考えると、別にぼくはいますぐ努力するほどにはお金は欲しいと思ってはいないんだなー、と気づくことができる。

というふうに、現にモテようと頑張ってる人以外は、モテたいと思ってないんじゃないかなぁ、って気がします。現状に満足しているから動かないわけで。そういう「別に自分はモテたいとは思ってはいない事への気づき」が解決につながる人もいるんじゃないかなー。

そういう人たちに対しては、p_shirokumaさんのアプローチはあまり有効じゃないんじゃないかなと思う。だって現状すでに満ち足りているのに別の価値観を持ってこられて否定されるわけですからね。「そっとしておいてくださいよ」なんじゃないかなぁ。ああでもp_shirokumaさんは「だったら静かにしてろ」なのか。むずかしいですね。


追記:現状に満足している人になお「モテたいのか?」と問うた答えがYesになる理由は、この問いが裏に「そういう状況が訪れたら自分は現在より幸福を感じられると想像できるか?」という前提を持っていて、答える側がそれを感じ取っているからじゃないかと思う。別に宝クジに当たる努力なんてしてないけど、「宝クジに当たりたいか?」って問われてももちろんYesですよねー。

森の中で木が倒れて、

その木の枝がマウスのボタンをクリックして、パソコンにインストールされている自動作曲ソフトが起動して、曲をひとつつくりあげた、とする(それなんてピタゴラ装置?)。そしてまた別の木が倒れ、その枝が今度はいまつくられた曲を削除した、とする。

その時著作権は発生したのかどうなのか?

著作権の発生/消滅は物理世界にまったく影響を及ぼさない。まったくってことはないか。誰かの脳内のシナプスの結合くらいは、変わるかもしれない。でもそれは心身二元論で言えば心の側の話だと思う。ある曲に著作権があろうがなかろうが、その曲の聴こえ方が変わるとか、演奏/再生しにくくなるとか、そういったことはありえない。あるとすれば、それは著作権の有無を信じる・気にする人間が振り回されているだけのことだ、と思う。

ぼくはおおむねそんな感じで、権利や義務、責任といった類のものを考えている。それらは全部「脳内のおはなし」だ、フィクションだというふうに。それらが「ある」と認識する人たちだけに見えるものだ(どこかの国の人の人権とか?)。

そしてぼくはどちらかというとそういったものは「ない」とする側だ。だから、もしぼくが権利や義務や責任、あるいは法や倫理、などなどに「要求されていること」を守るような行動をしていると見えることがあるならば、それは、「自分の損得」や「誰かの感情」や「なにかに対する尊敬」、そういったものに従ったゆえの行動が、たまたま「要求されていること」に沿っているように見えている、ぐうぜん一致している、というだけのことだと思う。

秋晴れ神保町→秋葉日記

連休はずっと良い天気で、よかったですね。たぶん。雨のほうがいいとか天気とか関係ねえそれどころじゃねえって人もいるのでしょうけれど、たぶん多くの人には連休は晴れでよかったんじゃないかと。

いつものように、神保町を回って本を買って、24時間ぶりに食事をして(だめな生活だ)、コーヒーを飲みつつ読書。やー、室内で読書ったっても空があかるいのはいいですよ。それから秋葉方面へ歩く。


これが一昨日の日記で触れた交差点の現在。まぁそのうちビルになっちゃうんでしょうけどね。


さて今日買ったものは。


終わる世界、終わらない夏休み ~桜井深優の終末~ (ファミ通文庫)

終わる世界、終わらない夏休み ~桜井深優の終末~ (ファミ通文庫)

CROSS†CHANNELに似てるというラノベの上下巻、の下巻。評価難しっすな。テーマは違うとしても中心的なアイデアが同じだと、似てる元を知ってる分評価は割引になりますね。じゃ、知らなかったらどう?って考えても、書きたいことに比してちょっと長い〜かな。ループものだから長くなるのは仕方ない、ってことも、多分ないんじゃないかなぁ。ああだめだちゃんと評価できん。というのは、あきさかあさひ氏はこれ2作目ですが、デビュー作の「渚のロブスター少女 (ファミ通文庫)」の挿絵がMATSUDA98さん(←みちアキがファン)だからなんですね。頑張って続き書いてくれ!ってのがあって。あと鬱病持ちさん……らしいので。鬱の人があんな暗いシーン多いラノベ書いて自分もハマったりしないのか、とか、明るいエンドを書くのにどのくらいの努力がいるんだろう、とか、いろいろ考えてしまって。がんばれー。


聞き書き ダライ・ラマの言葉 (生活人新書)

聞き書き ダライ・ラマの言葉 (生活人新書)

勘で買ってきたのだけどアマゾンのレビュー見る限りではいい本らしい。

著者がダライ・ラマ14世と出会ったのは1971年。著者23歳、ダライ・ラマ36歳のときだ。それ以降、2人の出会いは36年にわたって続いている。心の名医ダライ・ラマの素顔と思想を、長年撮り続けた写真と対話で明らかにする。

そんな本が新書で800円ちょいで読めるとはニホン素晴らしすぎ。