「丹念」かつ「適確」に読むこと

しつこいと自分でも思うのだが、この前の仲俣のエントリー記事(8月11日)が、やや気になったので、それについて書いておきたい*1。
エントリーでは、8月10日の朝日新聞(夕刊)の記事(「戦後60年の透視図 第3部・物語空間」)のなかで「極西」が言及されていたと書いている。その文章について仲俣は、こう感想を記している。

この記事を書いてくれた記者(大上朝美)はたぶん、ぼくと近いか、少し若い世代の方だろうけど、これまでぼくの書いてきたことを丹念かつ的確に読んでくれている。「貧しい自己像」「しょぼさ」という、ぼくや阿部和重氏の言葉からの引用もじつに的確だ。

仲俣は、なんだか知らないけど、すぐに世代論にもっていく癖(ほかに「〜〜チルドレン」という言い方もどうかと思う)があって、これも仲俣のダメなところなのだが、今回はスルーしておこう。
私が気になるのは、この短い文章のなかで「適確」という語が2回使われ、さらにこの記事を書いた記者が仲俣のこれまでの文章を「丹念」かつ「適確」に読んでいると述べている点である。わざわざ、「丹念」「適確」と強調しているところが、「極西」が理解できないと批判した私への当てつけのように思える。
おそらく仲俣はこう言いたいのではないか。つまり、「ぼくの文章を、「丹念」に「適確」に読めば、「極西」ということで何を言わんとしているのか理解できるのですよ」と。したがって、このエントリーは、私が仲俣の「極西」は何を意味するのか全く分からないと批判したことへの、仲俣からの反論なのではないか。つまり、私が「極西」の意味を理解できなかったのは、『極西文学論』を「丹念」に「適確」に読んでいなかったからだとほのめかしているのではないか。
しかし、このやり方は気に入らない。というか、卑怯なやり方だと思う。批判されて、その内容が気に入らないのであれば、自分のブログできちんと反論すればいいではないかと思う。それをノーコメントだと無視しておきながら、私への当てつけのような文章を書いている。
「天下の朝日新聞の記者様は、ぼくの文章をぼくの意図通りに理解している。それなのに、一方で「極西」が理解できないと言っているのは、読解力がないからじゃないですか」と仲俣は言いたいのだろうか。これでは、虎の威を借る狐ではないか!
この解釈は、私の自意識過剰からくる誤読なのかもしれない*2。そういうことを配慮しつつも、それでも、この仲俣の書き方は私の「極西」批判に対する反論を読み取ることが可能なのではないだろうか。仲俣自身がこのエントリーを書いているときに、私の「極西」批判のことを考えていたか考えていなかったかという問題は、この際関係がない。ここでは、この記事を書いた朝日新聞の記者が「丹念」に「適確」に仲俣の文章を読んでいると、仲俣が強調していることが重要なのだ。そして、この「丹念」「適確」という強調は、仲俣のどんな意図もって書いたかとは関係なく、私への反論だと解釈することが可能だと思う。こじつけめいた読み方であることを承知しつつも、私はこの仲俣のエントリーは、『極西文学論』批判に対する反論であると受けとめておきたい。『極西文学論』を批判する者は、仲俣の著書や文章を「丹念」にかつ「適確」に読んでいないということを、仲俣のエントリーは主張しているのだ。
読解力不足から、朝日新聞の記者のように「極西」を私は理解できなかったのかもしれない。しかし、たとえ「極西」の意味がこの朝日の記事によって分かったとしても、『極西文学論』という本の論証過程は支離滅裂であり、「論」として成立していないという私の評価は変わらない。このことだけは強調しておきたい。
小泉首相は、やれ「構造改革」だ、それに反対する者は「抵抗勢力」だと、キャッチーな言葉をたれ流し、そして煽り続けたが、結局その「構造改革」が何なのかはっきりせず、無駄に4年近く過ぎたのではと言われる。言葉だけはなんだか人々を惹きつけるが、中身が伴っていないところは、仲俣の『極西文学論』にも当てはまる。両者は、同時代現象として興味深いものだが、その一方で空疎な批評から「文学」を守らなければいけないとも思う。

*1:以下、この私の雑文は批判ではなく言い掛かりに近い内容かもしれない

*2:この可能性はかなり高い