たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

唯の誕生日に寄せて、改めて平沢唯という子について考える。

で。
唯誕生日絵でごったがえしていてそれはもう至福なのですが、うちではなんとなく「味のあるけいおん!絵特集」にします。後からじわじわくるタイプの。一度見たら忘れられなくなるタイプの。
意味はないです。
 
「純ちゃんが考え事をしています」/「しいたけ鍋つかみ」の漫画 [pixiv]
純ちゃんまじ純ちゃん。
つかこれ純ちゃんじゃなくてもいいだろ。だが純ちゃん。
「中野さんと鈴木さん」/「しいたけ鍋つかみ」の漫画 [pixiv]
この人のマンガ・絵、くせになるなあ。ちゃんとした絵も描いている方なんだけど、このゆるさが癖になる。
pixivに投稿しませんでした しいたけ鍋つかみ 純ちゃん4コマ on Twitpic
純ちゃんかわいい。
 
「おめでとう。」/「うなやよしみ」のイラスト [pixiv]
お誕生日祝ってるのか祝ってないのかわかりません!
東京メトロ風。和ちゃんがすごいことに。
 
「らあめん!」/「けんほう」のイラスト [pixiv]
ハフハフハフハフハフ
ポイントは純の鼻水。
 
「たんじょうび!」/「ナカイ」の漫画 [pixiv]
ほあああ! ポッキー!ポッキーゲーム!
 
以上。味のあるけいおん!絵特集でした。
ここまでは前置きというか、これが載せたかったのでついだよ!わざとだよ!
 

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改めて、唯ちゃん誕生日おめでとうございます!
 
なんとなく唯って18になったら「18歳になったので18禁を借ります!(フンス)」とか言ってえっちなビデオ借りたはいいけど見始めたら「もうだめ!」とかノックアウトされて憂に返させるとかしそうです。
あ、憂はだめだった。
 
まあそれはさておき、HTTで一番精神的に強いのは唯であり、一番コンプレックスを抱えているのも唯なんだろうなーとか考える今日この頃。時々天才だけど、自分の失敗をすごく引きずる子、色々迷惑をかけてしまっている、というのはわかってるんだろうなーと。
天真爛漫、という一言だけでは表せないのが人間。ちょっと自分の中にある「平沢唯像」を確認してみます。
 

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一期の2話での唯はすごかったですよね、ほんと。
原作でもトロい子でしたが、思考の散漫さは二期が終わって成長した彼女を知っているからこそ、もう一度見てみると改めてビビリます。あと数メートルでたどりつけない子……!
今思えば、あの時の「気になるものに夢中になる集中力」こそが彼女の才能だったんでしょう。
努力家な澪や梓よりも、ひょろーんとテクニック的に上に行ってしまう……こともあるのでみんなにビビられます。だがしかしひょろーんとダウンもするので、侮れません。曲順とかコードもすぐ忘れます。
 
それを受け入れられちゃう子、なんだと最初は思ってました。
あんまり考えてないのかなーと。天真爛漫の権化なのかなと。それはそれでかわいいかなと。
でも今になって思うと、違うんですよね。2年・3年の学園祭で、毎回自分の失敗を引きずっていました。みんなに迷惑をかけてばかりで、と涙を流しました。
これが唯の本質の一部だったんだなあと。
憂に甘え・甘えさせられの関係を築いていたりするのは素だと思いますが、みんなでキャッキャしながら、最初の頃は漠然とコンプレックス感じているところもあったんだと思います。
 
コンプレックスの解消法は、努力で乗り越えるか、さもなくば「コンプレックスと思わないこと」だと思います。
唯って後者だったんだろうなあと。澪があがり症を克服したのは前者+友人の力ですね。
正確には、唯は「コンプレックスだと思わない」のではなくて「すべて今を楽しむことに全力を傾けた」んだと思います。
考えても仕方ない。凹んだときは泣いたり謝ったりする。やることなすこと子供っぽいんだけど、子どもっぽい自分が大人に近付いている自覚もある。
この、ちょっとアホっぽいんだけど微細なバランスでリアルな思春期のブレを持ち合わせているから、唯というキャラ、実に重みがある。
 

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最後のほうで、梓に対して唯が愛情を注いでいるのは、自分を受け入れるという段階を経た上で、さらに相手への気配りができている状態です。
彼女が梓に抱きついたりしているのは、天然な部分もあるでしょうけれども、梓の気持ちを理解できているからなんじゃないかなーと思ったりもします。どこか似てるんですよねこの二人。梓は努力型だし、思ったことはきちんと口にするタイプですが、やっぱりどこかにコンプレックスをもっていて、それが発露しきれていない。もやもや溜め込んじゃう。
唯はその「私は何が出来るんだろう」というモヤモヤを、軽音部のみんなや和ちゃんや憂や純ちゃんやさわ子らによって昇華してもらいました。あれがなかったら……軽音部に入らなかったら、彼女はきっと行き惑ったままだったんじゃないかと思います。恐ろしいほど社交的なので上辺の友達はいっぱいできる子だと思いますが、軽音部の仲間ほどディープな部分にまで踏み込める友人は出来なかったかも。クラスのマスコットになっていたかもですね。そしてそれが本人も心配で不安だったのは、一期一話と最終話の比較でわかります。やはり「自分はどこにいくのだろう」という漠然とした不安を抱えていたのでしょう。
 
しかし、彼女は昇華し、自分を受け入れました。他の言い方すると「開き直った」とも言えます。なぜなら受け止めてくれる器があったから。
それでいいじゃん。
時折彼女は空気の読めない発言をします(例・さわ子に対してとか、律がドラムいやがったとき分からなかったりとか)。もちろん悪気なし。天然です。
天然だけど、叱られたら謝ります(例・マラソン大会など)。その点成長しているんですよね。一期の最初は謝ることもままならなかった。気づいてなかった。
愛してくれる仲間がいると分かります。自分の欠点にも気づきます。その上で謝り、凹んでいるよりも楽しもう、という律の考え方に引っ張り上げられます。唯と律が仲がいいのはお互いの足りないところを埋めあえるからなのかも。単に暴走仲間であるのも間違いないですが!
 

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今思うと「けいおん!」シリーズの子達って、ものっすごくお互いに気を使ってるんですよね。
そして、言葉よりも行動を重視する。
もちろん大事なポイント、例えば二期20話や一期ラストの学園祭では、唯に「みんな唯のことが大好きだ」と言葉にします。
しかし普段は逆にほとんどそういうことを言いません。言わずに寄り添うんです。例えばそれは梓にしがみつく唯だったり、梓を抱きしめて「よしよし」という純だったり、いつも唯を影から必ず見ている和ちゃんだったり。
 
最近は和ちゃんと唯のことを考えるだけで涙が止まらなくて困ります。
和ちゃんという存在によって唯は中学生まで彼女は道から大きく外れずに生きて行けました。高校に行って、最初は頼り切りだけれども、途中からは……今までおんぶにだっこだったのが、「マリみて」風に言うと「片手だけつないだ」状態になります。全依存ではないのです。和ちゃんもまた唯に救われるようになるからです。
そしてお互いに新しい友人ができはじめます。唯なら軽音部メンツ、和ちゃんなら生徒会や、高橋風子グループ。
最終回、和ちゃんと唯は別の大学に進むことになります。その時、二人は言葉を交わしませんでした。
「帰れたら一緒に帰ろう。」
これが二人の距離。それはちょっと離れたように見えてとても寂しいけれども、実は「離れていても信じることができる」という唯と和の成長でした。
 

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唯は努力をしない子です。
正確に言うと「努力を喜びに感じる子」です。
実は軽音部メンツの中で、練習時間が一番長かったのは唯の可能性もあります。
他の子も見えないところで(本当にほのめかすだけで、徹底して描かれない!)練習をしていますが、唯のは「練習」ではなくて「遊び」なんですよね。楽しい。もうギターを触っているだけで幸せで仕方ない。
この集中力はそれこそザリガニ取りで一心不乱になって取り過ぎていた頃と殆ど変わらないと思います。
 
「けいおん!」で努力とか根性とかは描かれていませんが、実は「努力・根性論」と同じだけの積み重ねはしていると思います。じゃないとあんな演奏は出来ない。走りがちらしいけど、少なくとも高校生やライブハウスの観客が「楽しい!」と思えている。
この「努力」ではなく「楽しい!」重視の生き方を作ったのは、やはり唯だと思います。
みんなが唯の、ただひたすらに「楽しい」を積み重ねていく姿勢に引っ張られたのではないかなと。特にでかく引っ張られたのはムギでしょうね。二期で炸裂しますが。
 

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「私を置いて大人にならないでよ?」
「大人になったら、大人になるのかな?」
唯と「大人」というキーワードは切り離せません。
唯は何も考えていないようで、実際何も考えていない事のほうが多いですが、だけど常にこれから来る未来のことを考えています。その場しのぎな子では決してないです。無論他の子たちの方が進路相談等においても冷静に考える力がありますが、唯は視界が一度狭まるとそのまま錐のように細く長くなるので、先の可能性が見えなくなったときにものすごく不安を感じる子でもあります。
しかし軽音部の仲間、後輩梓の存在、さわ子達大人の世界を垣間見ることで、彼女は今を楽しみながら未来を信じる力をも身につけました。
だからこそ、今の彼女は強い。卒業式で、泣かない。
コミック版のラストシーンもいいですよね。「楽しい!」の力をおろそかにしちゃあかん。何よりも強い。
そして彼女は後から気づくでしょう。ああ、私あの時すでに、大人に一歩進んでいたんだなと。
 
彼女なりの悩みを抱え、不安もいだき、だけど「楽しい」の力に突き動かされ、熱中し、みんなと手を取り合うことで二歩も三歩も、唯にしてみたら人生が変わるほどの出来事に出会えた。一生の仲間に会えた。
三年生最後の学園祭の後の、彼女の汗と、本当の涙は、永遠の放課後への大切なパーツ。
 
全員が成長をしている作品ですが、中でも唯の成長はやはり顕著。大学に行っても恐らく、パッと見「唯は全然変わらないね」と言われるでしょうし、それでいいと思います。そこが彼女の持ち味だから。
だけどテレビの向こうで、唯たちと共に過ごしてきた視聴者は、ちゃんと唯の成長を見ている。
先生が生徒を、親が子を、部室が部員を見守るように。

 
だからこそ。
平沢唯さん、お誕生日おめでとうございます。
いつまでも、「楽しい」を忘れないで。
笑っていて。
ぼくも笑うから。
 

 
けいおん!がくれた、失われたはずの三年間
正直なところ、軽音部個々の存在もでかいけど(ぼくにとっては律はかわいいってだけじゃなくて、すごくでかい存在なんだよ(以下略))いろいろな人の話を聞いていて思った。
アキヨさんの存在は恐ろしいほどでかかった。