たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「エコール」に見る、少女達の閉ざされた楽園観

  • 美しい少女を描くための映画「エコール」


エコール公式
やっと見てきましたー。見れたー。シアターキノありがとう。
 
大分前から絶対見ようと思ってたこの映画、最近「ロリだ!」とネットで評判だったので、なんか逆に見に行くの恥ずかしくなってたんですが、見終わって、いい意味で「ロリって受け取れるよなあ」と思いました。だって、少女達があまりにもキレイなんだもん。
 
どんな映画かというと、少女がいっぱい出てきて少女だけの世界で少女だけの学校に通って少女だけの日々を過ごすという映画です。
全身全霊をこめて監督は「少女美」を極限まで描こうとして、そして実際ありえないくらい少女達が美しく描かれています。
公式のサイト見ると分かるんですが、目が緑色になるんじゃないかってくらい、緑と白と肌色で画面がびっしり埋まるんですよ。肌色ってのは脚です。もうとことんまでキレイな少女の脚をいかに描くかに魂がこもってます。スカート丈や靴などもいかに脚を際立たせるかのために計算されています。実際ストーリー上でも「脚は大事にしなさい」と言うようなセリフが何回か出てきます。これから映画を見る人は、脚に注目するのがカギだと思います。
ストーリーは深読みしたほうがいいのか考えないのほうがいいのかわからなくなるような、非常に不条理じみていてオチがわからない話です。ベルギー・フランス・イギリス合作とのことで、ヨーロッパ映画らしいっちゃらしいです。なんか心にもやもやずるずる残って、やたらあとを引くんですよほんと。そこがまた少女の園から抜け出せなくて、最高にいいんだな。
少女達の通う謎の学校エコールは、深い森に覆われていて、どこにも逃げることが出来ない場所。と言っても追い詰められるような空間ではなく、そこで楽しく仲良く暮らしていれば、幸せに、かつ完璧な少女になれるというシステム。実際中にいる6歳から12歳までの少女たちはほとんど外に逃げようとせず、平和に暮らしています。

  • ファンタジーな教育環境の中で。

そこで習うのは、生物とダンスのみ。
ものっそい普通にこの二つしか習わないんですが、冷静に考えたらおかしいですね。これってようは「いかに自分の体を美しく育てるか」の一本教育です。見た目の美しさだけ育てばよろしい、と言わんばかり。読み書き計算絵画など一切習いません。遊んで健やかに育てばいい、という雰囲気です。実際少女達はひたすら遊んでいます。一瞬「この空間が永遠に続けば幸せなのに!」と思ってしまいます。

中盤から、話はただ美しいだけではなく、「逃げ出したら一生罰としてここで働かなければいけないんだ」という漠然とした不安が画面を覆いはじめます。基本的には自然光で覆われた空間が少女達を包んでいます。しかし、夜中は森の中に不自然に街灯が灯り、その中を年長組の生徒が毎晩通い、その幻想的ながらも行ったら帰ってこないんじゃないの、っていう不安感が画面にあふれてきます。

そこは完璧なユートピア。
少女たちはどこから来て、どこへ行くのか?

「エコール」のコピーより。
作品世界の中が、少女の美しさ追及が完璧すぎるのでちょっとした変化に非常に不安にさせられたのは自分だけではないでしょう。

  • 「少女像」が持つ、成長過程の身体感覚

主人公は3人いました。
一人目は年少で、棺に乗って運ばれてきたイリス。聡明で明るい子です。大人っぽい大きな瞳の少女で、彼女はわりと冷静にこの世界を見ています。
二人目は、青いリボンの中堅の少女アリス。外へ出たい一心でダンスをしますが、ある日ショックで自我喪失してしまい、この楽園からの脱出を試みるようになります。
三人目は、最年長のビアンカ。毎晩開かれる謎の発表会でダンスを披露しますが、純粋培養されたこの世界で純粋に育っているため、エコールのシステムに特別に疑問を抱いていません。そんな彼女も体に成長が訪れ、心と体の葛藤が起きます。
ちょうど年齢的な発達段階の3視点が描かれていて、個性もあわせて彼女達の身体感覚が面白いです。
6歳くらいの幼いときに漠然と世界と自分との差を感じ、他の少女との対立も経験します。
8歳くらいの成長過程で反発することと全てがうまくいかないことを覚え、また自身の容姿が気になり始めます。
12歳くらいで生理が訪れ、ぼんやりした不安も抱え、異性や外界に興味を覚えます。
ちょうど女性の成長過程、特に身体面での矛盾やジレンマををうまくなぞっているのかもしれません。だから女性が見たら、キレイすぎるこの世界ではあっても、時折むきだしになる凶暴な精神にはっとすると思います。
一方男性から見たら、少女だけという違和感と、あまりのキレイな映像ってか脚と、背景にありそうな漠然とした不安で酔ってしまうと思います。そこで「これは何か意味があるのだろうか」と立ち返るのもいいんですが、流されるままにはいってくる情報に不安になったり「脚きれいだなあ」とだけ思っておく方がきっと楽しいと思います。いやね、ほんとマジで脚きれいだから。見ておくのがいいですって。
 
はて、今の話を「見られる側(少女)」と「見る側(男性)」と分けなおしてみます。
少女が見られるのを意識するのは8歳くらいの青リボンからです。(ここでは年齢別にリボンの色が違います。)
最初は外界に出れる可能性があるという、校長審査。正直この校長審査、どう好意的に見ても怪しげな雰囲気ぷんぷんで、うさんくさいことこの上ないのですが、それはさておき「見られる」ことへの第一関門になります。やたら校長が身体(うなじとか!)を見るから、このへんで自分をキレイに見せることに興味がいかざるをえません。
12歳の謎の発表会も、謎すぎるわ地下劇場だわでうさんくさいどころの騒ぎじゃーない。自分はてっきり人身売買の場かと思っちゃったですよ。いや!自分が汚れてるわけじゃなくて、そう思っちゃうってコレ。あ、汚れてますけど。ただ、そこで「見も知らない男性達が見ている」という恐怖やら好奇心やらがうずまきます。
これって、わりと現実の少女たちも、同時期に経験していることだと思うんですヨ。劇場はないけど、生理になったあとに体見られることの羞恥心や、急に性が芽生えて、男性の視線があることが気になりだしたり恐怖を感じたり。
キレイでいたい!という願望があり、ソレに対するなんらかの衝突があり。そんな生々しい心理がたっぷりと、愛情や悪意ではなく「崇敬」に近い形でイメージ化されています。
少女像の崇敬は、時として人形的。生々しい血の通った少女でありながら、スクリーンに映る姿は時として「人形」のようです。

  • 密閉空間の純粋培養少女たち

以前も書きましたが、少女は「美しく輝く存在」であると同時に「一瞬で失われていく存在」だと思っています。
だからこそ密閉空間で人形のように育まれればいい、という「上から」視点で見ると、超究極型少女培養映画としてあまりにもエロティックです。そういう視点で見るのは大いにありです。どんどんキレイの究極系をみて、「脚のキレイな映画だな!」と思うべきです。思いましょう。
しかし密閉空間の閉塞感に一旦目が行くと、不安で息ができなくなりそうなくらい苦しくなる映画です。ネタバレになるので言わないですが、とりあえず一旦不安になるとわりと後半まで微熱に襲われたような苦しさに責めさいなまれます。それがまた楽しいのですが。
 
どっちから見るのもオススメ。できれば映画館という、自分も密閉されてしまう空間で見ましょう。
そして「脚キレイだね」と言いながらじっくり後味をひきずりましょう。
いやもうほんと、脚キレイなんだってマジで。
 
一番気になったシーン。
「こうして進化の最終段階としてあなたたちがいるのよ」と指差した先には、サルから少女に進化した絵が。
少女が人類の究極形とですか!!そういう思想キライじゃないゼ。
 
関連
Ecole(エコール)―Les poup´ees d’Hizuki dans l’Ecole
吉田良さんの人形写真集だ!うおおぉぉ、ほしい。やっぱり人形的、なんだなーと納得。
美幼女(wikipedia)
なんか聞きなれない言葉がwikipedia入り。個人的には「少女」でくくった方が音の響きがいいなあと思いました。十六宵の話はとても気になります。