文学フリマ

日曜日に行われた文学フリマに行ってきました。twitterで知り合った人で出店/参加するが多かったというのもあり、またゼロアカにちょっとウォッチ的な興味があったということが主な理由です。
ゼロアカの目的自体にはほとんど興味はないんだけど、この企画の副産物として得られるかもしれない批評の広がりみたいなのには期待していて、そういう側面を自らの目で確かめておきたいというところもありました。

突撃インタビュー!

ゼロアカと言えば動画やustreamなんだけれども、門下生はおろか筑波批評社のメンバーも両手がふさがっている状態。これは一肌脱ごうと勝手にustreamを開始し、リアルタイムでインタビューなんかをしたりしていました。事前に宣伝したわけではないので、あまり集客できなかったというのがちょいと残念。

そんなこんなで、twitterなどで見知っていた参加者にインタビューをしながらも、隙をうかがって東浩紀に突撃!簡単に自己紹介したところ、「ああ、ブログ見てる見てる」と軽く返されて、「ヲチしているつもりが、ヲチされていたぜ」とマジでビビリました。ほんと、どれだけチェックしてるんだ!?
せっかくなので、ずっと気になっていた「データベース消費がポストモダン特有の消費活動ということになってるが、そうとは言い切れないと思うのだが?」という主旨の質問しました。
東浩紀曰く、「動物化するポストモダン」は書いた当時の潮流からポストモダンという歴史的なものに位置づけて書いてしまったけど、今だったらインターネットのインフラの方から攻めていく。つまり量の臨界点を突破したという視点から書き直すだろうという意見でした。
ここでちょっと悪いクセがでちゃいまして、さらに突っ込んで「データベース消費と言ってますが、記憶の外部化ならば活版印刷機の発明が、情報検索技術としては17世紀のインデックスの発明があるわけで……」と続けていたら、さすがに面倒くさいヤツがきたと思われたのか、華麗にスルーされてしまいました(笑)
しかし、ここでスルーされた質問が、筑波批評社の内容やXamoschiの円城塔インタビューに繋がってくるとは……

で、結局の所、自分が購入したのは以下の三冊です。ガッツリ内容をチェックして善し悪しで決めたと言うよりは、目次を見て自分の興味の対象であるかどうかでセレクトしました。なので中身も全部読んでいるわけではなく、自分に興味がある部分しかまだ読んでません、あしからず。

筑波批評社「筑波批評」

まずソワカちゃんの言及があるという時点で何はともあれ買い。またid:ggnicによる「文芸批評家のためのLugology入門」が読みたかったというのも大きいです。

「文芸批評家のためのLugology入門」

ガチの論文スタイルで、ラフ・コスターの理論をわかりやすく紹介。興味があった内容でもあって、非常に面白かった。あえて文句をつけるなら「文芸批評家のための」というタイトルの内容が、最後の最後にしかでてこないところだろうか。

「工学の哲学序説」

話が超巨大なわりに、短すぎるのが難。心意気は買うし、言わんとしたいところはなんとなくわかる。
ただし気になったのが工学と言っておきながら、テクノロジーに対する気配りがいまいちかなというところ。風呂敷を広げずに、ある特定の工学的問題と哲学的問題を結びつけるという論旨にもっていけばよかったのではないかと思われる。

「フラグメンタルアプローチ」

円城塔、舞城王太郎をはじめとしてポストモダン的な小説が再評価と、断章形式の小説、そして物語の強度というものを、ボルヘスの「バベルの図書館」の網羅的データベースを根拠につなげてゆくという論考。問題設定は惹かれるし面白いんだけど、筋道がいまいちだ。話のネタとしては、断章、つまり物語素に還元しているのだが、「バベルの図書館」はどちらかというと物語素よりももっと細かい文字とか概念の素の話である。ここはカルヴィーノの「宿命の交わる城」を持ってきて、大塚英二の論などと比較しながら語った方が筋が通っただろう。
なんにせよアルス・コンビナトリア的なネタは、書き手に恐ろしく教養を要求するので、半端に書くと痛いだけになってしまう。しかし、ここに切り込んでゆく書き手もなかなか少ないので、今後も是非頑張って欲しいところだ。次回に期待。

「ニコニコ世代に歴史はあるか?」

まずここで使われている「歴史」というのは伝統的な哲学用語というよりは、どうやら記憶の連続性という意味で用いられているらしい。そしてニコニコ世代のオタク達は、元ネタをたどらないから歴史がないというわけだ。これには色々と細かい分析が差し挟めると思うんだけど、そこはちょっと割愛。
それよりもニコニコをはじめとしてwebサービスを「読む」ためには、そのアーキテクチャの設計思想を「読む」ことが絶対に欠かせない。アーキテクチャと、それに乗っかっているコンテンツをセットにして語らなくては片手オチだ。たとえばニコニコで言うなら、画面がコメントで埋まらないために過去100件までしか表示されない、しかしそれの副作用としてコメントがループに陥ることがよく見られる。制作者の意志と、利用者の意志のバランスの元でなりたっている文化なのである。そういうところにもちゃんと目配りが聞いて欲しいなと思った。
また個人的な意見を言わせてもらうなら、消費においては歴史を強制する必要はないけど、面白く批評し普遍性という楔を打ち込むために歴史は絶対に必要だ。あとソワカちゃんは教養主義的じゃ無いよ!!

「まとめ」

「筑波批評」は全雑誌中最もフックが弱い。批評とか興味のない人に対しての釣り要素がない。よく言えば硬派を貫いているとも言えて、個人的には好感が持てた。
最後の座談会に顕著なんだけれども、筑波批評社には人文系だけでなく工学系の人もいるのだろうから、そういう知識を補い合った論考をしてゆくべきだろう。方向性としてはとても面白い、もっとやれ!だ。


形而上学女郎館「チョコレート・てろりすと」

非常に買いづらい表紙だったのですが、百合を批評というレベルで取り上げているというところに興味を引かれてのセレクト。ちなみのこの買いづらいというのは「エロ本買いづらい」みたいな意味でなく、自分の本棚に調和するところがないという意味です。
実は表紙のために帰りの電車内で読むことができず、まだほとんど読めてないのです……

「百合の二重拒絶論」

論理的というよりは内的体験を通した、印象批評に終始している。そのため批評としては、弱い。でも、このふわふわ感、嫌いじゃないぜ。
またこれに続く本書のメイン批評は、「批評小説」と銘打った小説になっている。これも言ってみれば、理論というよりは、明確に言語化できないものをそのまま出力しているということになるのだろう。自分は批評と文学には明確な境界はないという立場なので、こういった形の批評はもちろんアリだと思うし、論理化できない部分をを語りうる方法論として小説は有効だと思っているので、そこのところは大いに共感。
だがガッツリとした形式で現代の百合ブーム?の分析を読みたかったのも事実だ。

「論壇人チャート」

Yes,No,No,Noで宇野常寛でした。まあ個人的にはどこにあたっても微妙……だったりするんですけどね。

「まとめ」

形而上学女郎館のお二人に関してはゼロアカのプロフィールを見たときから、筑井さんはライプニッツ好きという点で、雑賀さんはネクタイ女子という点でずっとチェックしていたので、その二人が組んだというだけでも感慨深かったりするのでした。
というわけで何が言いたかったのかというと、せっかく雑賀さんがネクタイで来てくれたのに、それを強制的に剥奪し、微妙なデザインのゼロアカTシャツを強要した講談社は万死に値する、地獄の火の中に投げ込むものである、ということです。


ざもすき「Xamoschi」

買わないでしようかなと思ったんだけど、円城塔のインタビューがどうしても読みたくて購入。

「6,660,000,000」

円城塔インタビューこれだけで元がとれた。特にデータベースの話が目から鱗で、わかってる人は違う。
鈴木謙介「カーニヴァル化する社会」 - モナドの方へでも言及したんだけど、人文系の人がデータベースというとき、ある種の胡散臭さが見えてしまう。円城塔はアルス・コンビナトリア的背景と技術的背景の両方がわかった上で確実に発言していて、データはとにかくためればいい、だがインデクシングは社会的コンセンサスが必要なので難しいと言う。データをため込むのは今やコストが安いので簡単にできるからやればいい。だけどそれをどうやって引っ張ってくるか、あるいは順序づけるかには主義や思想、社会的コンセンサスがどうしても必要になってくる。ここではひとつのインデクシングを利用することはディストピアだと述べていて、ようはGoogleだけあれば良いみたいな思想のを批判している。
従って論点はデータの集合という意味でのデータベースではなく、そのエンジンあるいはアルゴリズムの部分なのだ。この部分を断言してくれる人ってなかなかいない。
あとインタビューアーの思想的な質問を円城塔が全部スルーしているのには笑った。北海道のくだりはよかったけれども。
余談だけれども円城塔の、のらりくらりとした、だが的確な受け答えは、kihirohito氏に近いものを感じた。

「地球村から村祭りへ」

2ちゃんねるはごく一部分しかチェックしないので詳しいわけではないけど、東浩紀スレをサンプルに2ちゃんねるを論じ、一般化するのはあきらかに無理がある。その無理を、豪奢な用語で飾り立てているのが、どうしても鼻についてしまった。観測範囲には限界がある。ならば個人的な没入体験を軸に、良い意味での印象批評を展開していった方が、参考文献や借り物の言葉で飾り立てるよりは共感を得やすいだろう。
結局は、2ちゃんねる全体だってネットのひとつの側面にしかすぎないのだ。

「遠心分離機の彼方に」

イーガンの「順列都市」論。あらすじとネタのまとめとして楽しんで読んだ。
順列都市は人間知性がチューリングマシンであるという仮定を前提としている。もちろんそれの正否はわからない。イーガンの著作は思想的示唆に満ちたものだけど、その前提はちゃんと確認しておかなくてはならない。
だから本論では、それを思想という形ではなく、あくまで「教訓」という言葉をつかっているのだろう。

「まとめ」

藤田さんが展開するジャスコワールド(笑)の話は、twitterでも結構噛みついた通り、個人的にも気にくわないし、一般的に見ても「余計なお世話」的な話だと思うので、思想的には反感を持ちながら読まざるを得なかったと付け加えておく必要があるだろう。
当日はustreamで簡単なインタビューを二回ほどしたけど、太田点がゼロという事実にはマジでへこんでいて、さすがに見ていて可愛そうになった。本当は55点だったという話がどこまで真意かは置いておくとして、そんなこと言うくらいならちゃんと評価してあげればいい。でなければ黙ってゼロ点にしておけばよかったと思う。


全般的に気付いた点

参考文献としてweb情報がでてくるのが避けられない昨今、クソ長いURLがずらずらと誌面をのたうっているのがどうしても気になりました。これ実際に打つ人いる?のという感じだし、特にcgi系のURLはパラメータだらけで、間違わずに手入力するのは不可能と行っても過言ではない。
同人誌だけに限らず、紙媒体にURLを印刷する場合は、オリジナルのURLと共にTinyURLのような一定の信頼がおけるURL短縮サービスのURLを併記すべきです。
また今回はすべての同人誌がblogを作っているわけですから、そちらの方でもレジュメと参考文献一覧表を提供すべきだと思いました。


総括

もっとも悲惨な結果は落選と同時に大量の在庫と負債を抱えてしまうことでしょう。もちろんそういう覚悟はあって皆参加しているのだろうけど、やはり怖かったはずだと思います。
しかし、ふたを開けてみれば半分のチームが完売、すべてのチームが400冊越えという快挙。
釣りだろうが自演だろうが祭りだろうがなんだろうが、おそらくすべてのチームが黒字になったということは手放しで賞賛すべきでしょう。
文学フリマも終わりの時刻を迎えたころ、一言、総括をうかがいに東浩紀に再び突撃しました。そのときはかなり興奮しながら、売れないとされていた批評でも盛り上げれば一万部も夢物語ではない、と熱く語っておりました。このインタビューだけは録音してあります。
http://www.ustream.tv/recorded/851244

そんなわけで、かなり斜に構えて行った文学フリマですが、結論としては行って良かった。ゼロアカの熱気を感じられたのもさることながら、商業出版でもなかなかお目にかかれないくらい硬派な同人誌もたくさんあって、次はもっとチェックして行く必要がありそうです。
ただ自分の興味対象が、やはりマイナーなのだなーというのも改めて感じさせられました。