我々の国には住宅政策をやる能力があるんだろうか?

朝日社説「雇用危機―住まいの安全網にも力を」(http://www.asahi.com/paper/editorial20090531.html)に対するfinalvent氏の文章を読んでちと考える。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090531/1243728939

 公営住宅の建設は抑えられたままでいいか。政府と自治体が家賃差額を補助して、民間賃貸住宅を低家賃で供給してもらう制度を拡充してはどうか。生活保護にいたる前の支援策として、公的な住宅手当の仕組みが必要ではないか。こうした議論も深めるべきだ。

 執筆子は東京郊外、また中都市圏郊外の、S40年代に作成された公共住宅の状況を知らないのではないか。住居率は20%を割っているようにしか見えない。

まず、S30年代後半(ひばりが丘団地)以降の公共住宅は耐用年数50年で計算してるとすれば、建て替えに向けて新規入居者募集を停止しているのではないだろうか?そろそろ新規提供が始まっている場所もあるはずだ*1。

10年ほど前にはこういう団地の商業区画の空きテナントが話題になった事がある。20年以内で退去しなければならず、10年後には客がガクンと減る所で成り立つ商売というのも考えにくいな、と思った事がある。

 昭和30年代の公団団地は、低所得者向けの住宅供給を目的としたものではない。明確に中流層に限定し家賃を高めに設定して、かなりの所得がないと入居できないようにしている。建築物やデザインも今時の自称高級マンション以上のライフスタイルの世帯を指向している。
 この国では若い勤労者は、たいていだれでも低所得者であって、そういう低所得者がそこそこの給与をもらい、子育てをしようかという時に公団が「理想的な子育て環境」を出口として提供する。公団の提供戸数に応じた分だけは低所得者向け住宅の空きができる。子育ての時期を公団団地で過ごした勤労者はやがてまた別の住戸にうつっていくだけの経済力を蓄える、と、そういう目論見だったはず。*2当時の報道も肯定的なものだった。

 この目論見を叩き潰したのは石油ショックによる建設資材の高騰で、S50年代には公団はインフレ下での家賃抑制ー低所得者むけ住宅施策に位置づけを変更された。「潤沢な緑や公園などいらない、それより家賃を下げろ」と言うタイプの人、公団団地から出て行く経済力のない人が選択的に入居した。

 もちろん、こんな事をやっていれば赤字の垂れ流しになるのは確実で、建て替えにあたっては場所によって原点回帰とも思える動きもあり、また、例によって規制緩和を活用し、従前より低水準の住宅供給に切り替えて現時点の入居者の収入水準に合わせる動きもあり、というところか。

 起きた経営方針の変化は、主に政治主導の事であって、民意*3やマスコミの論調に沿ったものだと思うが、そういうふうにフラフラと方針を変えて、

マスコミの論調の寿命<住宅政策の寿命<規制の寿命 < 住民の居住年数 ≦ 住宅の耐用年数

って事だけははっきりしたと思う。

新聞は住宅について政府や政治家を責める前に、自分が何を主張してきたかを整理すべきだ。

*1:ひばりが丘団地なら、ひばりが丘パークヒルズとして。

*2:国家的に相対的に低劣な住宅ストックを抱えるのではなく、全体として住宅ストックの水準が上がるような施策をやるべきともいわれていたのではないか。

*3:って誰の?