ボカロに興味がなくなったという話

ボカロに興味がなくなったということを一応書いておく。
原因は2つある。

1つめ。
俺は2013年1月6日にこう書いた。

よくボカロのヒット曲は「全部同じ曲に聴こえる」と言われるが、これは音楽の諸要素自体とヒットとの間に密接な関係がある一つの(有力かどうかはわからないが)証拠だ。そこにおいて音楽の要素に何らかの意味があることがほのめかされれば、後はその要素がその社会の中での人々の身体とどう結びついているかを考えれば、音楽の要素と身体との関係が見えてくるはずだ。ニコニコ動画の自由競争システムがいつまで続くかわからないが、音楽の流行を自由競争によって作り出すことでリスナーの身体と音楽の諸要素との関係を人類史上初めて可視化したのがニコニコ動画だと俺は思っている。
http://d.hatena.ne.jp/knowsur/20130106/1357501201

ところが、俺が2013年6月4日にまとめた次のマイリストでは制作者がほとんど2011年に有名になった人で占められている。
2012年9月〜2013年5月ボカロオリジナル再生数50万以上リスト(2013年6月4日現在) ‐ ニコニコ動画:Q : http://www.nicovideo.jp/mylist/37350011
これを見て俺はニコニコ動画の自由競争システムが終わったと思った。つまり、大量の無名のものからそのコンテンツの内容によって少数の有名なものを選び出すアルゴリズムがもはや機能していないと思う。
何が言いたいかわかりにくいと思うのでここから俺の憶測を付け加えるけど多分、今はTwitterや商業媒体の広告力が大きすぎてニコニコ動画のランキングの広告力が負けてるんだと思う。つまり、「何かいい動画上がってないかなー」と思ってニコニコ動画のランキングを見て動画に流れ着く人より、Twitterで既にフォローしてるPがツイートする動画URLをクリックしたりTSUTAYAでCDを借りたり雑誌でインタビュー記事を読んだり書店で曲のノベライズ・コミカライズを見たりして動画に流れ着く人の方が圧倒的に多いんだろうと。そうすると例えばカゲロウデイズで起きたような、無名のものがいきなり大ヒットするという現象が起こらなくなる。すると楽曲構造と伸びとの間の関係が間接的になる。すると楽曲構造と伸びとの関係を観察する遊びができなくなる。

2つめ。
Naxos Music Library( http://ml.naxos.jp/ )のおかげで無職でも現代音楽が聴けるようになった。そっちを聴くのに忙しくて他の音楽を聴いてる暇がない。

【7月8日10時半頃追記】
「1つめ」は、「楽曲構造と伸びとの関係を観察する遊びができなくな」ったからそういう遊びをしていた「俺」がその点ではボカロに興味がなくなった、という話であって、ボカロ曲やボカロ界隈が客観的につまらなくなったという話ではない。
Naxos Music Libraryは最近までNaxos(クラシック系の廉価CDレーベル)の音源を配信しているだけかと勘違いしていたが、そうではないことを最近知ったので最近契約した。
【7月8日11時過ぎ追記】
2011年は「同じような曲が伸びる」状況があってそれを観察するのが面白かったが、今はそうではなく「同じ人の曲が伸びる」状況になっているから観察しても面白くなくなった、というのが「1つめ」の話だ。ホッテントリに入ったためかクラスタの外にまで読まれているようなので、少し補足した。
【7月8日11時半頃追記】
「ボカロ」と「ニコニコ動画」の関係については俺はこういう立場に立っている。