被害者(遺族)は量刑とは関係ない

以前、「自分が被害者遺族になった時のことを考えたら、自分は犯人に死刑になってほしいと思う。みんなそのへんの折り合いをどうつけているんだろうか」という趣旨のエントリがあったんですが、その時点で反応できず今見つけられないので。

http://d.hatena.ne.jp/oono_n/20080429#1209415801

あー、刑事事件って、基本的に容疑者を裁き、罪の有無、そして量刑を審議する場だから、被害者は関係ないというのが原則。非情すぎると思われるかもしれないが、そういうことになっている。しかも、検察側の暴走を止めるために容疑者にも弁護士が付き、妥当と思われる審判を下すのだ。

ですよねえ。

被害者遺族に対するケアが今まで十分なされていなかったことは確かで、そこに改善の余地はあると思いますが、被害者遺族がどんなに悲しんでようと、それと量刑は関係ない、というのが原則ではないかと。そうでなければ極端な話、一家全員皆殺しにした方が罪が軽くなるかもしれないし、ホームレスならいくら殺してもOKなんてことになってしまうでしょう。
私は必ずしも死刑制度に反対というわけではありません。凶悪事件の犯人なんてのは社会にとって「特異点」であり、そんなのがどうなろうと大勢に影響はなかろうと思うからです。でも「遺族感情」を根拠に量刑が暴走するのはどう考えてもおかしい。

というわけで、元記事は探し出せませんが(心当たりのある型は教えてください)、
「自分が被害者遺族になった時のことを考えたら、自分は犯人に死刑になってほしいと思う。みんなそのへんの折り合いをどうつけているんだろうか」
という疑問に関しては、私としては、

  • 私自身の大切な人が殺された場合、私は「あいつを死刑にしてほしい」と言うかもしれない。でも、司法はそれに耳を貸す必要はない。
  • いざ本当にそういうことになったとき、私はこういうエントリを書いたことを後悔し、撤回し、「やっぱりあいつを死刑にしてほしい」と言うかも知れない。それでも司法はそれに耳を貸す必要はない*1。

ってことだと思っています。そうとしか言いようがない。

追記:
見つけました。これです。
だから死刑に反対しない。 - FreeBSDいちゃらぶ日記

トラックバックしておきます。

*1:もちろん現実にそうなる可能性は限りなくゼロに近く、その意味で、被害者遺族もやっぱり特異点なんですが