ネットカフェという現代ニホン


http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200611020029.html


そりゃあ利用するよなぁ。
私も、夜遅くまで東京にいて、友人宅で宿を確保できなかった時とか良く利用しましたわ。
カプセルホテルより安いし、なによりネットに繋げられて漫画も読めるしねぇ。
某ネットラジオに出演した、某声優さんなんて「ネットカフェで住んでる」とか言ってましたし・・。
ネットカフェって本当便利ですよ。
そして、それだけ便利だからこそ色んな人が寄り集まり、色んな使われ方をされる。
金が無かったりホテルに入れないガキがラブホテル代わりにペア席でセックスしてたり、家出少女が宿代わりに使い、そしてネットで自分を泊めてくれる者を募集したり、自分を買ってくれる者を募集したりする。
別に少女に限らなくても、家出してきた人や帰る場所が無い人はネットカフェを良く使う。
狭い個室だが、冷暖房完備で毛布もあり、リクライニングで眠れるし、ネットもでき漫画や雑誌も読め、シャワーもあり、飲食に困らない。
本当、良く充実している。
だから「家」が食事や寝るための場所でしかない人にとっては、ネットカフェも家も大差なんてないのかもね。
でも、そう考えると家を基盤とした近代的な「家族」という形は、もう相当崩壊しているんでしょうね。
人も金も家すらも流動化する時代か・・・。

可視化されないホームレス

低料金でシャワーや個室などを完備するネットカフェで生活する若者が都市部で増えている。彼らの多くが、生活が困窮し、家を失った若年フリーターだ。「不安定な生活を抜け出したい」というSOSもインターネットを通じて、支援団体に寄せられ始めている。

いや、これさぁ・・普通にホームレスでしょうが・・・。
フリーターなんかじゃなくて、ホームレスでしょうに・・。
日本では公園や河川敷でブルーシートやダンボールでテント暮らししないと、ホームレスとは言われないのでしょうか?
これは間違いなく、イギリスやアメリカなどで問題になっている『若年ホームレス』です。
ヨーロッパでは1980年代には若年ホームレスの問題は顕在化していたのですが、ついに日本でも出てきましたか・・。
『ある子供』という映画は、そんなヨーロッパの若年ホームレスをえがいた映画だったが、日本もいつかは・・・いや、もうすでにそうなっているのかもしれない。
そしてこの若年ホームレスの問題ですが、日本ではたぶん中々認知されないと思うのです。
なぜかといえば、そうした現状があまり可視化されてないから。
そう、路上や公園にホームレスがいれば、それが「見えます」。彼等がみすぼらしい格好をし200円のビックイシューを売っていれば、彼等が困窮していたり社会的弱者である事もわかるし、そうしたホームレスが増えれば社会が抱えてる「問題」にも気付きます。
しかし、見えなければどうでしょう・・・。
普段ネットカフェで寝泊りしていれば、そうした人々がいるという事は見えませんし気付きません。それはつまり問題が認識されない事でもあり、言うなれば彼等のような若年ホームレスは可視化されないホームレスなのです。

不便な都市、便利な都市

http://d.hatena.ne.jp/kaizenai/20060918#1158519119

そして、もっと理解に苦しむのは、都市の不便さである。人の少ない田舎は不便であり、逆に人の集まるところはなるべく不便でないようにしようとするのが日本人の性質、しかしイギリスでは全く異なる。ロンドンの不便さには本当に閉口させられた。物価は日本の数倍、インフラはぜんぜん整備されてない、コンビニも自販機もない、そもそも店がない、トイレすらない、あっても有料、とまあ、わざと不便にしているとしか思えない有様だが、たぶん本当にそうだ。田舎のほうがよっぽど便利である。つまり、イギリス人の価値観からすれば「都会は不便なのが当然」ということなのだ。

 なぜって、ロンドンといえばイギリス中のみならず、ヨーロッパ中、世界中から人が集まる年である。言語、宗教、風習、年齢、それら全ての多様性を包括し十全に満たすサービスなど存在するだろうか? ないのである。だからイギリス人はそんなことは考えない。誰にとっても不便なままにして放っておく。ある意味、万人に平等なように。

西欧の都市というのは、不便な都市が多いのですが、不便ゆえに問題はすぐ可視化され共有されます。
あんな便利なネットカフェなんてありませんから、ホームレスは路上や公園で寝泊りしますし、スラムだって形成されていきます。犯罪だって増えるし、ホームレスではなく移民が増えても同じです。
不便ゆえに他者との交流をしなければやっていけませんし、日本のように誰とも話さず無視し続ける事はできないのです。その結果、問題が可視化され他者との交流は議論を生み、そして公共性が生まれ、そこからデモや暴動が起き、社会や国を変えていく力になっていきます。
では、日本はどうでしょう。
私達の都市は、物凄く便利です。少し歩けばコンビニがありネットカフェがあり、そして各種サービスはとても手厚く対応してくれます。
それはとどのつまり、煩わしい人間関係を構築しなくとも、異なる他者と交流しなくても生きていけるという事であり、その分自分の興味がある範疇しか見ようとしなくなるという事でもあります。
だから問題が有っても、可視化されなかったり、見えたとしても無視されてしまう。

日本の社会や日本人は、こうした「便利さ」というモルヒネを打ち過ぎて、自分の病気がなんなのか、はたまた自分は病気なのかすら分からなくなっているのかもしれません。