脱アドレナリンワークのすすめ


Leica M7, 50mm Summilux F1.4, PN400N


昼間は非常に元気なんだが、帰る時は虚脱しきっている人がいる。


例えば、僕の職場で比較的近くにいる、ある女性の場合、僕の方がどちらかと言えば早く来ているし、どちらかと言えば長く働いているのだが、何ともいえず、帰る時は圧倒的にか細くなってしまう。


僕は決してgood shapeとはいいがたいし、若い時に運動しすぎて、腰を痛めてから、それほど運動している訳でもないので、体力もさしてあるわけでもない。が、僕のようにぜい肉がついている訳でもなく、中年にさしかかっている訳でもない彼女は、明らかに僕よりも何倍も疲労困憊して帰る。昼間は人並みはずれて元気に声を出しているエネルギッシュな人なのに、である。


帰りにたまに声をかけて話をしてみると、本当に使い切ったと言う感じで帰るようだ。あれでは夜、まとまった活動も出来そうにない。仕事は確かに大切だけれど、人は仕事という畑だけから全ての欲しいものを得ることはできない。将来のための種まきも、目先の仕事だけでは無理だ。そう言う意味で、ちょっと心配している。


自分でも原因が分からないという。体力がない訳ではない訳だから、何か理由があるはずだ。

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彼女を見ていて、思い出したのは、学生の頃のある鮮烈な経験だ。


実験でウズラだったか、ニワトリの子供に、アドレナリンを相当に薄めて、ごく微量、投与したことがある。


その反応は劇的なもので、羽と言う羽が逆立ち、もの凄い興奮状態になった。ほぼ気がふれたという状態になって私も周りの人間も驚愕した。相当に希釈して(=うすめて)いたので、正直、想定の範囲を超えていて、これは自分たちに打つととてつもないことになるな、というのを実感した瞬間でもあった。ホルモンと言うもののパワーを見せつけられたし、このようなごく微量で存在するものを何千、何万という腎臓から取り出し(正確には腎臓とは別の副腎という場所から分泌される)、それを精製するサイエンスというものの力を見せつけられる一瞬でもあった。

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アドレナリンは、日本近代科学の父の一人である高峰譲吉先生が、1900年に世界で最初のホルモン抽出、結晶化に成功したあの物質だ。高峰博士は、理化学研究所の創設に深く関わり、ワシントンDCのポトマック川沿いに桜の木を植え、三共製薬の初代社長としても知られるのはこのブログの読者の方なら、ご案内の通りだ。


生物系、医学系の教育を受けた人であれば、よくご存知だと思うが、このホルモンはFight or Flight(闘争か逃走か:名訳!)のホルモンと呼ばれ、何か大変なことがあった時に、体中の余力を危機対応に回すという役割をなしている。消化などにエネルギーを回すのを停めて、酸素と糖を一気に脳と筋肉に回すのだ。


体中のエネルギーを一気に使い切るためのホルモンと言っても良い。緊急時の病棟でよく心停止になった患者に対して、エピネフリンを打っているが、あれがまさにアドレナリンそのものだ。*1

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まさにこれではないかな、と思ったのだ。


通常は、火事だとか、喧嘩だとか、アクシデントとか、これ的な非常事態で出るはずのホルモンなのだが、これが日常生活である仕事においても、ガンガン出ていて、それが仕事のドライブになっているのじゃないかな、と。


そういう話をしてみると、まさに確かにそう言う仕事のやり方をしていると思う、という。


でも、それが原因の一つかも、と意識できるだけでも、大きく変わる気がする、そう彼女は言ってくれた。


これでやられている人が、きっと、私以外にも、世の中に沢山いると思うので、広めてください。そういうので、小さな石ではあるものの、このブログの片隅に投げ込んでみたいと思った。

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彼女の話に戻る。


それでは疲れるはずだ。たとえ、どんな大きなことをやっているにしても、日常そのものであるはずの仕事が、危機だとか闘争では身体が持たないはずだからだ。


結果、消耗するし、よれよれになって帰ることになるのも無理はない。そうやって見回したり、これまでの色んな仕事であってきた人たちを思い出してみると、確かにある一定の、しかも結構な割合でそういう人がよく仕事をしている人に存在する。パニックになっている訳ではないが、こんなに毎度大騒ぎしていると、身体持たないけれど、大丈夫かな、なんて思った人もいた。(今有名になっている知人でもいる。)


一方、これまで出会った非常に大きな成果を出して、どんどん組織や世の中を変えているような人たちは、もっと落ち着いて、しかし力強く仕事をしている人が大半だった。なので、非常な事態になっても、その人の声を聞けば安心して、さて、正気に戻ってがんばろう!になったものだった。落ち着きすぎている訳ではない。が、異様な危機的状態になっている訳でもない、そんな「熱いが冷たい」働き方をしている人を見るたびに、力と落ち着きが与えられたものだった。僕が今、そう言う状態なのかと言えば、必ずしもそうではないと思うものの、アドレナリン的な状態はなるべく避けたいと思っている。


そう言えば、90年代の初めの頃、アドレナリンジャンキーという言葉があった。いつもアドレナリンが出ているかのような状態で、不思議なハイ状態の人に対して使った言葉だった。これが、この社会不安の中で、うっすらにしても、変な意味で広まっているのだとしたら、それはどうだろうと思う。


アドレナリンの要らない、もっとJoy of Life的な働き方が、世の中に広まることを願いつつ。


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*1:なぜエピネフリンという名前が医学の世界で使われているのかは、長くなるので省略する。エイベルなるアメリカ人がオレが先に見つけたと言い張り、その彼のつけた物質名がエピネフリンだったから、というのが話の発端。