ジョブズとぼくらは勝ったのか?

アップル社のスティーブといえば、いまだとジョブズだが、30年以上前、アップル社の最初のヒット作品であるAPPLE IIの時代には、もうひとりいた。スティーブ・ウォズニアックだ。APPLE IIを設計した天才エンジニアであるウォズニアックはウォズの魔法使いとか呼ばれて、パソコンマニアの中では、もっとも尊敬される人物のひとりだった。だから、当時のアップルファンにはスティーブといえば、ジョブズが好きか、ウォズニアックが好きかという定番の話題があったのだ。


もちろん、ウォズニアック派がほとんどだった。ジョブズは天才エンジニアのウォズニアックをうまくつかまえて大儲けをしたビジネスのひとだと思われていたから人気がなかった。


第一次パソコンブームの当時、日本でもそういう天才プログラマをうまくつかって大ヒットソフトをつくって大儲けするビジネスマンや大人たちといった構図はあちこちで見られたから、まあ、ジョブズはそっち側の人間と思われていた。金に汚いやり手のビジネスマンという評判は太平洋を越えた日本にも伝わってきていたのだ。


だから、彼がMacintoshをつくった最初、画期的だといわれながらもまったく売れなかった時代に、もういちどウォズニアックが設計したAPPLE IIの後継機種をつくってくれれば、アップル社は復活するのにとか思っていたアップルファンは多かった。ウォズニアックが本当のクリエイターなのに、ジョブズは自分に才能があると勘違いして趣味みたいなパソコンをつくったから失敗したのだと思っていた。


だいたい、あのMacとかいうのはなんなんだ。いまどき白黒モニタだし、メモリが少ない。というか、別にそれほどメモリも当時の感覚では少ないってほどではなかったのだが、無駄に重いUIのOSのせちゃったから、全然、メモリが足らなくなってしまった失敗作だ、というのが、当時のパソコンファンの一般的な認識だった。まだMacファンなんて本当に少数派だったのだ。アップルファンですら、APPLE IIの真の後継機を期待していたのだ。


だから、ジョブズがジョン・スカリーによって追放された事件もざまあみろと思った人が少なくなかったはずだ。みんな、もうこれでジョブズは終わったと思っていたし、いったん、失敗してから復活したパソコン界の伝説のひとなんて見たことなかった。


ジョブズが日本でもカリスマを獲得していくのは皮肉にも、この追放劇のあとのマイクロソフトウインドウズの大成功である。スティーブジョブズといえばWindowsはMacのパクリ発言をあちこちでやっているイメージがあるが、その多くはアップル社のCEOとしてではなく、アップル社を追放されたもはや無関係の第三者の時代のものだ。ある意味、昔に捨てられた女のことを忘れられずにいつまでも自分の女みたいにいいつづける男みたいで見苦しい光景だ。しかし、Macintoshの先進性と素晴らしさがWindowsの大ブームによって商業的にも証明されたことはMacの評判をあげると同時に、Windowsにシェアでは勝てないMacにファンはアップル社へのいらだちとビルゲイツへの憎悪を生んだ。そしてMacをもともとつくったジョブズ復帰の待望論がはじまったのだ。ぼくはジョブズがアップル社へ復帰できた要因として、ビルゲイツとWindowsの悪口をいいまくったことはとても大きかったと思う。


さて、ジョブズはMacintoshを超えるコンピュータをつくろうとNext Computerとピクサーをつくったのだが、結局、どっちも失敗したことはいまでは忘れられている。なのになぜアップル社に復帰できたのかとかというと、ピクサーはコンピュータ会社としては失敗したのだが、アニメ会社として大成功したことで、ジョブズの経営者としての株があがったからだ。ピクサーの立ち上げスタッフの中にコンピュータをつくることに関心のない人間がひとりだけいた。ジョブズは彼を気に入り、CGのアニメをコンピュータの宣伝用につくることを認めた。それが後にトイストーリーを作ったジョン・ラセターだという。ピクサーはコンピュータメーカーではなく、CGアニメの制作会社として大成功して上場をはたす。このピクサーがあって、ジョブズはビジネスの世界の表舞台にもどれたのだ。だからトイストーリーがなければジョブズはアップルに戻ることはなかっただろうし、そうするとiPodもiPhoneも世の中に存在しなかったことになる。


さて、ジョブズ復帰以前のコンピュータファンの間で議論されていたテーマがあった。なぜ、MacはWindowsにやぶれたかということだ。それはWindowsのオープン戦略とMacのクローズ戦略の差であるというのが一般的な理解だった。ビルゲイツ自身がMac OSが外部にライセンスされていたらWindowsはなかったとかいっていたとかいう話もよく喧伝されていた。だから、Windowsに負けていることが悔しいアップルファンはアップル社以外でもMacがつくられるようになったら、Windowsに勝てるのにとか言っていた人間が多かった。そういう世間の声に押されてか、Power Computingと他数社からMac互換機が実験的に発売された。あと、いわれていたのはアップル社の流通に対する傲慢な態度である。もっと販売店を大事にして流通ルートを広げないとMacはPCに勝てないといわれていた。そんな時期にジョブズはアップル社にもどってきたのである。


そしてジョブズがアップル社にもどって最初にやったのが、そういうアップル社の改革路線をすべてストップして逆回転させることだったのだ。互換機ビジネスは中止。Macはアップル社のみで発売。そして流通網は選別して大幅に縮小するばかりか、直営のアップルストアとかを各地につくって、ネットで直販を開始したのだ。みんなが指摘するアップルの問題点と改革について、まったく逆のことをやって成功させたのだ。ぼくがジョブズをやっと尊敬しはじめたのはこのあたりからだ。


さて、ジョブズの復帰後もアップルファンの誇りはなかなか回復しなかった。みんなの憎悪の対象のマイクロソフトから出資を受けて救済してもらったことにも当時のアップルファンは非常なショックと敗北感を感じた。iMacは素敵なデザインだったが、それだけだった。もはやコンピュータの未来をつくっていたアップルの力はないということをみんな再確認した。アップル社の倒産の危機はなくなったものの、Windowsとのシェアの差は一向に縮まらなかった。むしろ、Macがなくなったら、マイクロソフトが独占禁止法が適用されて困るので、アップル社を潰さないのだとかいう話もまことしとやかに流されて、うれしいんだか、情けないんだか、複雑な気持ちを抱かされた。


iPodの登場。ひさびさの大型新製品だった。でも、もうアップルはパソコンの世界では勝てないんだな、隙間ビジネスを狙っていくしかないんだなという寂しさをアップルファンは感じていた。


それが気がついたらiPodが売れに売れて、iPhoneがでて、なんかよくわからないうちにアップル社はIT企業としてマイクロソフト社を抜いて世界一の時価総額の企業になっていたのだ。じゃあ、アップルはついにマイクロソフトとの戦いに勝ったのかというと、それもなんか違う。いまのアップルのライバルはグーグルとかアマゾンというらしい。アップルの永遠のライバルであるマイクロソフトはビルゲイツがとっくに引退していて、グーグルとの覇権争いにも敗れていた。


そして今日、スティーブ・ジョブズが死んだというニュースが流れた。APPLE IIが発売されたのはぼくが小学生のころだ。それから今日までずっとITの世界に生きてきてジョブズはずっと中心人物のひとりだった。


彼の生涯をふりかえるとまあ世間の評判なんてあてにならないということがよくわかる。彼は嫌われ者だったし、クリエイターとして能力あるとも思われてなかった。ビジネスマンとしてもしょせん運がいいだけの青二才とみなされていたのだ。


ジョブズは偉大だった事実と、ジョブズが世間から偉大だと思われている事実は、たまたま幸運にも重なり合っただけの偶然の産物だ。


MacもNextも素晴らしい製品だと一部のひとに思われていたが、本当にすごいと世間が認めたのはMacの真似をしたWindowsが大成功したからだし、ジョブズがやっぱりすごいと再評価されたのはCGアニメをつくる会社を成功させたからだ。そしてアップルファンの心をつかんだのはビルゲイツとWindowsへの悪口だった。最終的には時価総額でマイクロソフトもグーグルも抜いて、やっとジョブズはだれもが認める伝説となったのだ。そしてそれは真に素晴らしいコンピュータであるMacの成功が原因なのではなく、音楽プレイヤーと携帯電話をつくったことだった。


いったい、アップルの戦いとはなんだったのだろう。アップル信者は本当に勝ったのだろうか。ぼくらはついにビルゲイツ率いる悪の帝国を打ち破ったと思っていいのだろうか。


Windowsが勝利をおさめたとき、22世紀の未来にこの時代をふりかえったら、残っている名前はビルゲイツだけだろうなと思った。スティーブジョブズは知る人ぞ知る名前でしか残らないだろうと思った。いまとなっては現実はたぶん逆になるだろう。


しかし、ジョブズは死にビルゲイツはまだ生きている。ぼくらもまだ生きていて、きっといままで伝説の世界に住んでいて神話の時代に立ち会っていたんだなと思うのだ。