カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

東京都議選

2005年東京都議選は、6月24日(金)から選挙運動が始まり、7月3日(日)に投票が行われます。
http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/h17togisen/h17togisikkou-keikaku.pdf
2005年東京都議選の立候補予定者リスト一覧
http://gikai.fc2web.com/togi.htm
http://www1.odn.ne.jp/toseishinbun/05kouhohyou.htm
土屋たかゆきをキッチリ落とそう。

冷戦後の、外務省の三大グループ

色んなブログで話題になっている『国家の罠』より。

 ここで、外務省の基本的な外交スタンスとその組織の実態についても言及しておくことにする。
 一般に日本外交は対米追従で、外務省には親米派しかいないという論評がなされている。この論評は、半分はずれていて、半分あたっている。日本外交は常にアメリカに追従しているわけではない。捕鯨問題、軍縮問題、地球温暖化問題など重要問題で日本がアメリカの方針に従わないことも多い。しかし、私〔佐藤優〕を含め、外務省員は全員親米派である。
 ただし、親米の中味については、日本はアメリカと価値観を共有するので常に共に進むべきであるという「イデオロギー的な親米主義」と、アングロサクソン(英米)は戦争に強いので、強い者とは喧嘩してはならないという「現実主義」では、「親米」という結論は同じだとしても、その論理構成は大きく異なる。ここで強調しておきたいのは、外交の世界において、論理構成はその結論と同じくらい重要性をもつということだ。
 〔略〕一九九一年十二月にソ連が崩壊し、新生ロシアは自由、民主主義、市場経済という西側と価値観を共有する国家に転換したので、反共イデオロギーに基づく親米路線はその存立基盤を失った。
 〔略〕外務省内部でも、日米同盟を基調とする中で、三つの異なった潮流が形成されてくる。〔略〕
 第一の潮流は、冷戦がアメリカの勝利により終結したことにより、今後、長期にわたってアメリカの一人勝ちの時代が続くので、日本はこれまで以上にアメリカとの同盟関係を強化しようという考え方である。
 具体的には、沖縄の米軍基地移転問題をうまく解決し、日本が集団的自衛権を行使することを明言し、アメリカの軍事行動に直接参加できる筋道をきちんと組み立てれば、日本の安全と繁栄は今後長期にわたって保証されるという考え方である。この考え方に立つと日本は中国やロシアと余計な外交ゲームをすべきではないということになる。これを狭義の意味での「親米主義」と名づけておく。
 第二の潮流は、「アジア主義」である。冷戦終結後、国際政治において深刻なイデオロギー上での対立がなくなり、アメリカを中心とする自由民主主義陣営が勝利したことにより、かえって日米欧各国のエゴイズムが剥き出しになる。世界は不安定になるので、日本は歴史的、地理的にアジア国家であるということをもう一度見直し、中国と安定した関係を構築することに国家戦略の比重を移し、その上でアジアにおいて安定した地位を得ようとする考え方である。一九七〇年代後半には、中国語を専門とする外交官を中心に外務省内部でこの考え方の核ができあがり、冷戦終結後、影響力を拡大した。
 第三の潮流は「地政学論」である。「地政学主義」とせず「地政学論」としたのは、この考えに立つ人々は、特定のイデオロギー(イズム=主義)に立つ外交を否定する傾向が強いからである。その基本的な主張は次のようなものだった。
 東西冷戦期には、共産主義で西側陣営が結束することが個別国家の利益に適っていたので、「イデオロギー外交」と「現実主義外交」の間に大きな開きはなかったが、共産主義というイデオロギーがなくなった以上、対抗イデオロギーである反共主義も有効性を喪失したと考える。その場合、日本がアジア・太平洋地域に位置するという地政学的意味が重要となる。つまり、日本、アメリカ、中国、ロシアの四大国によるパワーゲームの時代が始まったのであり、この中で、最も距離のある日本とロシアの関係を近づけることが、日本にとってもロシアにとっても、そして地域全体にとってもプラスになる、という考え方である。
 この「地政学論」の担い手となったのは、冷戦時代、「日米軍事同盟を揺るぎなき核としての反ソ・反共政策を貫くべきだ」という「対ソ強硬論」を主張したロシア語を専門とする外交官の一部だった。さらに、彼らは日本にとっての将来的脅威は、政治・経済・軍事面で影響力を急速に拡大しつつある中国で、今の段階で中国を抑え込む「ゲームのルール」を日米露三国で巧みに作っておく必要があると考えたのである。「地政学論者」の数は少なかったが、橋本竜太郎、小渕恵三、森喜朗までの三つの政権において、「地政学論」とそれに基づく日露関係改善が重視されたために、この潮流に属する人々の発言力が強まった。
  〔佐藤優『国家の罠』*1新潮社、2005年、54-58p。〕

*1:

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

1991年(平成三年)の「子供向けポルノコミック撲滅」請願ラッシュ

1991年(平成三年)の「子供向けポルノコミック撲滅」請願ラッシュ。紹介議員を研究してみよう。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/121/0020/main.html
第121回国会 内閣委員会 第2号
平成三年十月三日(木曜日)
九月九日
子供向けポルノコミックの法的規制実現に関する請願(粟屋敏信君紹介)(第三二号)
青少年向けポルノコミック雑誌の法的規制に関する請願(原田憲君紹介)(第三三号)
子供向けポルノコミック有害図書追放に関する請願(綱岡雄君紹介)(第九二号)
子供向けポルノコミック撲滅の法制化に関する請願(岡崎宏美君紹介)(第九三号)
 同(土肥隆一君紹介)(第一三二号)
 同(永井孝信君紹介)(第一三三号)
 同(吉岡賢治君紹介)(第一三四号)
同月十八日
子供向けポルノコミック撲滅の法制化に関する請願(後藤茂君紹介)(第一五〇号)
青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に関する請願(西岡武夫君紹介)(第一七七号)
青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に対する法規制化に関する請願(岡島正之君紹介)(第一七八号)
青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願(粟屋敏信君紹介)(第一七九号)
 同(金子徳之介君紹介)(第一八〇号)
 同外四件(谷川和穗君紹介)(第二七九号)
 青少年健全育成のためポルノコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願(山本拓君紹介)(第一八一号)
 青少年の健全育成のため有害図書等追放対策の強化に関する請願(村田吉隆君紹介)(第一八二号)
 青少年向けポルノコミック等有害図書に対する法的規制に関する請願(増子輝彦君紹介)(第一八三号)
 同外一件(北川石松君紹介)(第二八〇号)
同月十九日
 青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願(塩崎潤君紹介)(第三四九号)
 同(山本有二君紹介)(第三五〇号)
 同(粟屋敏信君紹介)(第三七二号)
 青少年向けポルノコミック等有害図書に対する法的規制に関する請願(倉成正君紹介)(第三五一号)
 同(柳本卓治君紹介)(第三五二号)
 同(中山正暉君紹介)(第三七三号)
 青少年健全育成のためポルノコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願(丹羽雄哉君紹介)(第四六四号)
同月二十四日
 青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に対する法規制化に関する請願(粟屋敏信君紹介)(第五三一号)
 青少年向けポルノコミック等有害図書に対する法的規制に関する請願(原田憲君紹介)(第五三二号)
 同(中山正暉君紹介)(第五九八号)
 同外一件(春田重昭君紹介)(第六九四号)
 青少年の健全育成のためポルノコミック誌等有害図書の対策強化に関する請願外一件(前田正君紹介)(第五九六号)
 青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願(河村建夫君紹介)(第六三九号)
 同(岸田文武君紹介)(第六四〇号)
同月二十五日
 青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願(武藤嘉文君紹介)(第八三〇号)
 青少年向けポルノコミック等有害図書に対する法的規制に関する請願(相沢英之君紹介)(第八三一号)
 同(鈴木恒夫君紹介)(第八三二号)
 同(自見庄三郎君紹介)(第八七九号)
 同(瓦力君紹介)(第九三一号)
 同(中馬弘毅君紹介)(第九三二号)
同月二十六日
 青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願(岸田文武岩紹介)(第一〇三二号)
 青少年向けポルノコミック等有害図書に対する法的規制に関する請願(中村正男君紹介)(第一〇三三号)
 同(中山成彬君紹介)(第一〇三四号)
 同(中村正男君紹介)(第一一一七号)
 青少年健全育成のためポルノコミック誌等有害図書の規制強化に関する請願(柳本卓治君紹介)(第一一一五号)
 青少年健全育成のためポルノコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願(山本拓君紹介)(第一一一六号)
同月二十七日
 青少年向けポルノコミック誌規制の対策強化に関する請願(中村正男君紹介)(第一二六八号)
 青少年健全育成のためポルノコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願(松田岩夫君紹介)(第一二六九号)
 同(松田岩夫君紹介)(第一四四九号)
 同(森喜朗君紹介)(第一四五〇号)
 青少年向けポルノコミック等有害図書に対する法的規制に関する請願(福田康夫君紹介)(第一二七〇号)
 同(柳本卓治君紹介)(第一二七一号)
 同外一件(中山正暉君紹介)(第一四五一号)
 同(野田実君紹介)(第一四五二号)
 青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書の排除に関する請願(山口俊一君紹介)(第一四四四号)
 青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に関する請願(近江巳記夫君紹介)(第一四四七号)
 青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に対する法的規制に関する請願外四件(渡部恒三君紹介)(第一四四八号)
同月三十日
 子供向けポルノコミック有害図書撲滅の法制化に関する請願(自見庄三郎君紹介)(第一六三二号)
青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に関する請願(左近正男君紹介)(第一六五一号)
 同(中野寛成君紹介)(第一六五二号)
 同(菅野悦子君紹介)(第一六五三号)
 同(藤田スミ君紹介)(第一六五四号)
 同(中山正暉君紹介)(第一九一九号)
 青少年向けポルノコミック等有害図書に対する法的規制に関する請願(田村元君紹介)(第一六五五号)
九月二十日
 有害な少年少女向けコミック誌・単行本の自主規制等に関する陳情書(金沢市広坂二の一の一 石川県議会内米沢利久外六名)(第一一二号)
は本委員会に参考送付された。

1991年4月内閣委員会

http://www.n-yamaguchi.gr.jp/profile/log/910416.htm
120-衆-内閣委員会-8号 1991年04月16日
平成三年四月十六日(火曜日)

三月二十日
 子供向けポルノコミック撲滅の法制化に関する請願(小沢辰男君紹介)(第一九八二号)
 青少年保護育成のため有害図書等追放対策の強化に関する請願(住博司君紹介)(第一九八三号)
 子供の健全育成のため子供向けポルノコミック撲滅の法制化に関する請願(鳩山由紀夫君紹介)(第二二四八号)
 子供向けポルノコミック撲滅の法制化に関する請願(町村信孝君紹介)(第二二四九号)
同月九日
 子供の健全育成のため子供向けポルノコミック撲滅の法制化に関する請願(渡海紀三朗君紹介)(第二三二五号)
 同(木村義雄君紹介)(第二三四四号)
同月十六日
 青少年健全育成のためコミック雑誌等有害図書に関する請願(園田博之君紹介)(第二四八〇号)
は本委員会に付託された。

三月二十二日
 子供向けポルノコミック撲滅の法制化に関する陳情書外十三件(岡山市倉益七七の二岡本和雄外一万千六十五名)(第三号)
は本委員会に参考送付された。

1990-1993年の「有害」コミック規制

http://sky.zero.ad.jp/~zaf13638/nenpyo.html
1990
8/9 和歌山県のローカル誌「紀州新報」に運動のきっかけとなる投書2通が掲載される。
8/23 東京都生活文化局婦人計画課が「性の商品化に関する研究」報告書を発表。
9/4 朝日新聞社説に「貧しい漫画が多すぎる」が掲載される。
9/4 「紀州新報」がコミック批判キャンペーンを開始。
9/上旬 和歌山県田辺市の主婦らによる「コミック本から子供を守る会」が規制を求める運動を展開。
9/18 雑協傘下のコミック関係出版社が意見交換の場を設ける。この時点ですでに各社とも発売日の延期や保留などを検討していた。
9/26 総務庁青少年対策本部が出倫協に自主規制の努力を要請。このあと何回か同様の要請を行う。
10/5 出倫協の会合で、「青少年への配慮についてのお願い」の文書の発送を決定。
10/22 出版問題懇話会、「編集倫理綱領」「編集倫理規定」を策定。また「青少年育成への出版配慮のお願い」を採択。
10/23 和歌山県田辺市長、教育長らが出版社5社に要望・質問状を送付。
10/30 大阪府の青少年を守る母の会、大阪府PTA協議会、大阪府私立中学高校保護社会連合会、府および出倫協に要望書送付。
11/1 大阪府で書店、コンビニエンスストアの立ち入り調査。
11/18 福岡県久留米市の母親が出倫協にはがき攻勢。
11/21 出倫協2度目の「自粛」要請。
12/1 徳島県と青少年育成徳島県民会議が出倫協、雑協を訪問。
12/5 徳島県子供を守る親の会と徳島市よい子育成会が出倫協・雑協・取協・日書連を訪問、自粛要請。総理大臣、総務庁長官にも陳情。
12/6 北九州その他の子供を守る親の会が署名持参で総務庁長官に陳情。
12/8 大阪府松原市教育委員会、小中学校長会、PTA協議会は主要出版社に「要望と質問」書を送付。
12/13 雑協「コミック本に関する少年少女への配慮について」という文書で識別マークなどの対応を表明。
12/18 出倫協3度目の自粛要請。識別マークの表示を通知。
12/中旬 主要出版社が、取引書店に「有害」指定コミックの回収を要請。
1991
1/10 雑協加盟の13社は、「コミック誌・コミック本に関する申し合わせ」を作成。「成年コミック」マークの表示基準と、コミック特別部会の設置を決定。
1/中旬 講談社・小学館・集英社が連名で取次の広報誌上に、指定されたコミックスの回収を書店に要請する通知を掲載。
1/18 総務庁青少年対策本部は出版問題懇話会に対し、出倫協と同一歩調での自主規制を要請。
1/14 出倫協、「コミック特別委員会」設置を決定。
1/25 出倫協、「成年コミック」マーク表示等について記者発表。
1/28 出版問題懇話会、出倫協の「成年コミック」マーク受け入れ。
2/6 講談社が「成年コミック」マーク表示図書の第一号を刊行。
2/7 広島県青少年と社会環境に関する懇談会が出倫協に自粛要請文書を送付。
2/8 自民党政調会長がコミック規制の請願文例を添えた「コミック雑誌等有害図書への対処法について。
2/15 自民党有志議員が「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成。
2/21 徳島県幼少中高PTA連合会連絡協議会が、出倫協、雑協に要望書送付。
2/22 警察庁保安1課と所轄署は都内書店3店をわいせつ図画販売目的所持容疑で摘発。
2/26 青少年育成国民会議主催の「青少年と社会環境に関する懇談会」開催。コンビニ関係者が「有害」、「成年コミック表示」図書を扱わないことを報告。
2/27 倉敷市青少年を育てる会が出倫協に要望書送付。
2/27 新宿区の各青少年対策委員会が連名で出倫協に要望書を持参。
3/1 出版労連中央執行委員会は「小売書店(員)への『わいせつ図画販売目的所持』による現行犯逮捕についての見解」を発表。
3/15 子供向けポルノコミック等対策議員懇話会業界関係者を招致。自主規制の現状について説明させる。
3/15 熊本市サンブックス健軍店が「県少年保護育成条例」違反で摘発される。コミック関連で条例による検挙はこれが初めて。
3/末 和歌山県田辺市の住民らによる出倫協あての抗議ハガキ200通を越える。
3/28 東京都はコミックス2点を「不健全」指定。東京都のコミックスの指定はこれが初めて。
4/25 出版労連中央執行委員会は「自民党・行政・警察などによるコミック規制に反対する見解」を発表。
5/8 第120国会で、衆議院本会議と参議院本会議はコミック規制に関する請願を採択。
5/9 小学館労組「コミックスの『有害図書』指定問題についての執行委員会見解」を発表。
5/27 岡山県で、指定図書を青少年に売ったことにより青少年条例違反の備前市内の書店主を検挙。
5/29 出版労連シンポジウム「コミック(性表現)は有害か?」を開催。
8/20 出倫協、都の要請に応じ、新たな自粛策として「コミック単行本に関する自主規制の申し合わせ(案)」を策定。
8/29 東京都生活文化委員会は規制強化をもとめる請願13本を審議付帯意見付きで主旨採択。
10/26 出倫協代表者が、大阪・京都のマスコミ各社、行政、議会を訪問。
11/9 育成者12団体は「有害図書追放都民大会」を開催し、約2000名が参加。
11/25 京都府警察本部はパソコンゲームソフトを製作する会社を「わいせつ文書図画頒布」容疑で捜索。
12/3 大阪弁護士会は、府知事、府議会議長に対し意見書を提出。条例改正の問題点を指摘。
12/5 出版労連、その他による集会「異議あり!『有害』コミック規制 漫画家・編集者・フェミニズムの立場から」を開催。
12/11 岩手で条例改定、包括指定を導入。
12/16 日本ペンクラブ規制強化反対を表明。
12/17 広島で条例改定、「有害指定」を開始、緊急指定を導入。
12/18 大阪で条例改定、「有害指定」を開始、個別指定、緊急指定、包括指定、通報制度の導入。
12/19 自民党は事業税減免延長について「さしあたり1年度間延長する」と決定。
12/20 京都で条例改定、「有害指定」を開始、個別指定、緊急指定、包括指定を導入。
1992
1/14 文部大臣、文化庁長官は業界関係者を招致、事業税減免のための「ガイドライン」作成のための政府業界共同での協議機関を設置を提案。
1/14 東京都書店商業組合は、青少年条例の強化に反対する特別委員会を開催。
1/21 福島県で「有害図書警告制度」を発足。
1/23 日本マスコミ文化情報労組会議、「出版への法規制につながる東京都青少年条例改悪に反対する声明」を発表。
1/24 東京都青少年問題協議会は「いわゆるポルノコミックへの対応について」と題した意見具申を都知事に提出。図書規制の強化は慎重にすべきと表明。
1/24 日書連、青少年条例の改定・強化に抗議する「声明書」を採択。
1/28 政府は第120回国会で採択された図書類の規制強化を求めた請願の「処理意見」を回答。
2/28 東京弁護士会、都知事と都議会議長に対して「東京都青少年の健全な育成に関する条例の『改正』についての意見」を提出。
3/13 漫画家、編集者らが「コミック表現の自由を守る会」を旗揚げ。
3/18 東京都議会生活文化委員会は都条例の改定を審議。翌日可決。
3/23 青森で条例改定、緊急指定、罰則規定、立ち入り調査などの導入。
3/26 東京都は「BLUE」を不健全図書として告示。
3/27 東京都で条例の改定、申出規定、小委員会の設置。
4/27 文部省、文化庁、出版関係者による第一回「有害図書問題に係わる諸問題に関する検討会」を開催。
5/6 コミック表現の自由を守る会、アピール広告の掲載を開始。
5/14 出版労連「事業税減免をてこにした文部省・文化庁の『出版・表現の自由』への介入に反対する中央執行委員会声明」を発表。
5/22 政府は、121,122国会で採択された図書類の規制強化を求めた請願の「処理意見」を回答。
7/下旬 宮崎県で全国初のパソコンゲームソフトの有害指定。
8/15 出倫協、あらたな「申し合わせ」を策定。配本段階での自主規制が主眼。
9/18 パソコンソフトメーカー「ガイナックス」が宮崎県での有害指定に対し異議申し立て。
9/25 京都府内に住む藤田孝夫氏(農業)が府当局に対して、条例強化にともなう公金支出を「違法不当」として監査請求。その後住民訴訟をおこす。
11/25 出倫協は東京都以外が有害指定したコミックに関しても「勧告」制度の適用を決定。
12/9 コミック表現の自由を守る会は静岡県の青少年条例の改定強化に反対する意見書を送付。
12/12 東京弁護士会によるシンポジウムの開催。
12/17 自民党税調総会で1年度間に限り事業税の減免措置の延長を決定。
1993年
2/下旬 パソコンソフトメーカー「ガイナックス」が宮崎県での有害指定の取り消しを求める行政訴訟を宮崎地裁におこす。
3/19 静岡で条例改定、写真誌、ビデオに関し包括指定導入。

「有害コミック」問題研究論文

マンガの社会的評価についての一考察
加藤正志
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/lab/sotsuron/97/kato/0-contents.html
〔富山大学 人文学部人文学科社会学コース〕
第二章 マンガの歴史http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/lab/sotsuron/97/kato/2-rekishi.html
第三章 マンガはどのように語られてきたのか

マンガ規制略史

http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/lab/sotsuron/97/kato/2-rekishi.html
第二章 マンガの歴史
・マンガの社会問題化
 これまでにも所々で触れたように、マンガ、特に子ども向けのマンガはしばしば非難の対象になってきたが、実際にマンガの出版に影響を受けたのは、戦時中というあらゆる物が規制された特殊な時代だけであった。しかし、この「悪書追放運動」においては運動が盛り上がるにつれて行政機関や警察までが動き、(主に青少年の保護をうたう)法律による規制や取り締まりがおきた。〔略〕
 事の発端としては、1955年3月に二つの出来事が起きている。一つのきっかけは「日本子どもを守る会」と「母の会連合会」や各地のPTAなどがマンガのみならず映画、放送、レコードなど広範囲の物に対して非難の声を挙げたことによる。そしてもう一つは『日本図書新聞』に「児童漫画の実態その一」(以降その五まで続く)という特集が組まれたことである。これらに呼応する形で全国紙がマンガを非難する記事を展開していくわけだが、この新聞報道によって運動(騒ぎ)が大きくなっていったふしがある。まず第一に、「日本子どもを守る会」と「母の会連合会」の主張はマンガのみならずさまざまなメディアに対するものだったのだが、新聞はそのうちからマンガや絵物語(前出)だけを大きく取り上げた点、第二に「悪書追放運動」というセンセーショナルな名前は、どうやら新聞の見出しが名付け親であるという点である。特に第二の点に関して、それまで統一した呼び名のなかったこのタイプの運動及びその対象になっているマンガ本に「悪」書、そして「悪」を追放する運動であるという定義を与えることにより、運動の盛り上がり、先鋭化を招いたと言えよう。一部では運動は魔女狩りの態を示し、焚書すら行われた。「行き過ぎ・大人の一人よがり」という意見・非難も少なくはなかったのだが、「悪」を懲らしめる戦いは行政をも動かすのである。
 運動が一番の盛り上がりを示していた4〜5月という時期の真ん中、4月28日に警視庁防犯部が警官 500名を動員し、特価本の発行所・取次店など42箇所を一斉捜査し、37種の雑誌を押収するという出来事が起きた。また5月9日、中央青少年問題協議会が、青少年に有害な出版物・映画等対策専門委員会の結論に基づき、政府に答申している。そして8月19日、文部省が悪書・映画対策として指導方針を決定し、全国の教育委員会、国立学校長に通達を出した。また、地方でも1955〜56年の間に神奈川県、北海道、大阪府が青少年育成条例を公布している。
 これに対し、非難を受ける側である出版社・編集者・作家達も手をこまねいていた訳ではない。1955年4月15日「日本児童雑誌編集者会」が発足、当時の殆どの主要な児童雑誌の編集者が集まり、機関紙を出版して議論を広める働きをした。その活動は積極的で、父兄や児童文学者・教育者等との討論会なども行っている。ほかにも出版社側からの自主規制をはじめとして、非難をする側の圧力団体に於いてすら、行政・立法による規制を避ける働きがあった。後述する「有害コミック問題」の時との大きな違いである。
 〔略〕1960年代前半から半ばに大きく取り上げられたのは少年誌での戦記ブームであった。62〜63年頃一番盛んだったが、これにより戦争肯定論・愛国主義が子どもに植え付けられるのでは、と危惧された。さらには67年末から『週刊少年サンデー』で連載の「あかつき戦闘隊」の翌年3月での「あかつき戦闘隊大懸賞」が問題になる。ピストルのおもちゃから果ては1等は日本海軍兵学校の制服のセット(刀帯・短剣までも)が当たるという代物であり、全国紙でも取り上げられ、多方面から小学館に非難が集まった。
 ほかにも、1960年代後半になると非常に大きな非難を浴びたマンガが登場する。1968年創刊の『少年ジャンプ』で連載された、永井豪の「ハレンチ学園」(68年8月開始)である。ちょうど時代的にはTVで野球拳が話題になっていた頃であったが、「ハレンチ学園」ではスカートめくりなどの性の遊戯化や、権力と性の亡者である教師が描かれ、特に70年のTV化以降に大きく非難されることになる。70年1月8日(朝日)9日(毎日)に新聞の記事になったが、この時は非難のトーンは少なかった。しかしこの記事をきっかけに議論の輪は広がりを見せる。『週刊新潮』『週刊文春』やNHKの報道番組でも取り上げられ、また三重県四日市の中学校長会が追放を決定、県青少年保護条例審議会に有害図書に指定するよう働きかけた。その一方で『毎日新聞』では大人の性急な価値観で規制することに疑問を投げかける社説やハレンチ・マンガと精神発達の阻害との関連性が薄いという調査結果を掲載している。〔略〕
 1970年代のもう一つのマンガ界の動きとして、70年代後半にはエロ劇画ブームが訪れる。掲載される雑誌は月刊が主流で最盛期には40〜50誌にもなった。単に卑猥なものが受けたという訳ではなく、力量ある作家が多数出現し、作家の個性が評価されての人気がブームを支えた。78年の夏から秋にかけて、大阪の情報誌での特集記事やTVの深夜番組への雑誌編集者や劇画家の出演などエロ劇画が大きな話題になったが、78年11月6日に海潮社『漫画エロジェニカ』が、翌年2月5日には笠倉出版社『別冊ユートピア・唇の誘惑』がそれぞれ警視庁防犯部保安一課に”ワイセツ”として摘発された。『週刊朝日』『週刊新潮』『噂の真相』などのマスコミにも当然取り上げられるが、その反社会性を攻撃するでもなくむしろ編集者に「新左翼崩れ」らしくもっと反骨の姿勢を見せて欲しいと注文を付ける記事であったり、表現の自由といったきれいごと抜きの仕事だという制作側の意見を掲載したりと、同じ性的な表現が問題になった「ハレンチ学園」や後の「有害コミック問題」とは違う対応を見せている。
 さて、エロ劇画の次には、1980年代前〜中期にロリコンマンガのブームが訪れる。〔略〕
 さて、その「有害コミック問題」であるが、事の発端を挙げるとすると、1990年8月に東京都生活文化局婦人計画課が発表した「性の商品化に関する研究」と、9月頃から和歌山県田辺市を中心に起きた住民運動の二つということになろう。前者は色々なメディアに取り上げられた女性蔑視的な表現を調査したものであるが、第3章で触れられた「マンガの内容分析」が、『朝日新聞』で翌日「(マンガの)半数にセックス描写」と、大きく取り上げた。また後者は、8月初頭に地元の新聞の投書欄に取り上げられた「出版物の行き過ぎを規制するよう行政当局の対策を強く促したい」という内容の2通の投書をきっかけに、「コミック本から子供を守る会」を結成し、地元紙や市とも連携して運動を展開し、これも大きく取り上げられた。また、9月4日には『朝日新聞』に、先の調査をもとにした「貧しい漫画が多すぎる」という社説が掲載された。そうでなくとも地域ごとに問題視されていた性的な表現を含むマンガの問題は、これらの記事をきっかけに一気に全国規模に広がった。
 この運動の大きな特徴は、世論が法規制を容認する流れに傾きつつあったという点であろう。以前の例、例えば1955年頃の「悪書追放運動」では、問題提起した側も行政も法規制を避けるために業界の自主規制を強く求めていったが、「有害コミック問題」ではまずきっかけになった田辺市の団体が出版社よりも先に行政に働き掛けて規制を求めたし、マスコミも擁護せず、国会議員も「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を設立したり、規制を求める市民からの「請願」への対応の雛形の準備するなど、できることなら法規制したいという姿勢が見られた。その理由として、1988〜89年にかけてマスコミを賑わせた少女連続誘拐殺人事件の犯人の部屋から大量のホラービデオと共にロリコンマンガ等が出てきたため、そのような本は規制すべしといった考えをその事件の時からずっと引っ張っていて、この「有害コミック」騒動の時に花開いたという背景があるのではないかという説もある(大塚、1991、80頁)。また、1989年9月には、岐阜県の青少年保護育成条例による有害図書の規制に関して最高裁が「合憲」の判断を下している。このことが自治体や警察にとって規制に対する「お墨付き」になったという背景もあった(中河、1993、80頁)。
 他の相違点としては、「悪書追放運動」が主に中央の動きが全国に広まっていったのに対して「有害コミック問題」は地方から起こった運動が中央に押し寄せた、「悪書追放運動」では出版側では編集者だけが頑張っていたが「有害コミック問題」では92年3月にマンガ家達がコミック表現の自由を考える会」を結成、マスコミに活動が取り上げられたりして一定の成果を挙げた、「悪書追放運動」では個別のマンガが名指しで批判されたが「有害コミック問題」では「性表現を含む子ども向けマンガ」というジャンル全体で非難された、などがある。3つ目の件に関して、特に槍玉に挙げられたマンガを1つ挙げるとすれば「ANGEL」(遊人、『ヤングサンデー』小学館)であろうか。「ANGEL」は大手出版社である小学館の雑誌で連載され、絵柄も可愛らしくその点が規制推進派に「子ども向けと見分けが付かない」と言われた原因でもあろう。このマンガは10月12日発行の『ヤングサンデー』の掲載をもって休載に追い込まれる。しかし、誌上では翌月に「有害コミックってナンなんだよ〜!? 『ANGEL』問題を考える!」という連載企画がスタート、読者とともに問題を考える姿勢を見せた。
 これに限らず、当然出版社側としては法による規制だけは何としても避けねば、と自己防衛策に乗り出す。出版倫理協議会・雑誌編集倫理協議会は自主規制として、内容のトーンダウンの他に、「成年コミック」マークをつけ、そのような本が子どもの手に入らないようにという手段をとった。しかしこれが実行に移された後にも出倫協・雑協への抗議は止むことはなく、しかも「成年コミック」マークが付いた図書に「有害」指定がなされるという事態も起きた。だが、最悪の事態である「中央法制化」だけは回避された。