ライフハックによってビジネスマンは幸せになれるか?

「仕事の出来る人」への意見


目を引く記事を見かけたのでご紹介。id:sirouto2氏の記事。
なぜライフハックスで忙しさが解消しないのか?

これの元記事は↓で、先日私も読んで思うところがあった。何となく読後に違和感を感じてしまったからだ。
『忙しい人』と『仕事ができる人』の20の違い


まず、sirouto2氏の元記事に対する意見については、「なるほどこの違和感はそこから来るのだな」と納得させられた。現状とのギャップについて的確に述べられていると思う。

元記事では「仕事が出来る人」と「ただ忙しい人」「要領がよいだけの人」との違いがいくつか挙げられている。この記事を読んで「あー、自分もこういう人になりたいなー」とは正直思えなかった。実際に思ったのは単純に、
「あー、こんな人いるかな〜・・・いたら会ってみたい」
あるいは、
「あー、こういうスタイルを目指してて実際使えないヤツ多いよな」
であった。更に言うと、
もしこのような「仕事の出来る人」を目指してしまったら、現実とのギャップに思い悩まされるだろうなあ
と。


shirouto2氏の意見。

現実の現場はこうではないか。
「仕事ではなく納期が前倒しになる」
「2つ以上の仕事を同時並行処理させられる」
「誰でもできるような仕事が中心だが、頼まれてしまった仕事は断れない」
「仕事遂行中(前)から関係者からの異論が出始め、完成物の手直しなどが発生する」
「携帯電話などで、常に思考や作業を邪魔される環境におり、緊急事態・トラブルでスケジュールが乱される」
「学習時間・適切な運動・十分な睡眠・プライベートの時間は犠牲になる」
「お客様や上司から誉められることはなかなかない(むしろクレーム対応が大変)」。

作業は携帯電話で中断させられ、上司からは明日までに資料を作れと命令され、クレーム対応で1日中仕事が進まなかったりする。「仕事の出来る人」のようにやろうとしても3日と持たないだろう。
それが現実。

こういった現実を踏まえた上で「仕事ができる人」は実在するのだろうか、という違和感があった。

「要領だけがいい人」との違いで納得


小林英二氏の記事「『忙しい人』と『仕事ができる人』の20の違い」に読後の違和感を感じた私であったが、これに続く形でエントリーされた「『仕事ができる人』とは『要領だけがいい人』なのか?」を読んで、少し心が落ち着くのを感じた。

1.要領だけがいい人は、物事の判断基準が短期的。目先がうまくいく事ばかりを考えている。
できる人は物事の判断基準が中長期的。その場を乗り切るだけでなく、少し先をいつも見ている。

仕事が出来るように装って周りに迷惑を掛ける人。
彼は短期的な視野でしか物事を見ておらず、長期的に考えれば本人にとってマイナスであることに気づかない。


下記で市井賢児氏が述べられているように、成熟したチームにおいては個人がいかにプロジェクトに貢献できるかが求められており、要領のよいだけの人はいずれ消えていくということのようだ。

http://ichy.seesaa.net/article/58493867.html

と、いうのも少なくとも私がいた外資系企業はプロジェクトへの貢献がすべてなので、他人が自分の皿に盛ったものを片付けるだけなんて働き方はありえません。(そういう無能な人は気づくといなくなっています)

 私たちが誰がやるかわからない空白地帯を見つけたら、ミーティングの場で明らかにして誰がそれを in charge of で対応するか決めます。
 そしてそれをいかに素早く察知できるか、つまりいかに初期のうちにリスクを排除できるかは優秀か否かの1つの指標でもあり、プロジェクト完了時における評価項目にもなります。

このような素晴らしいチームにいつか入りたいと思わせてくれる。真に優秀な人は、チームや周りの状況、今後の予定や自分の目標などを見据え、ベストな選択をしているのだと思う。

この意味で、小林英二氏の記事には説得力があったと、私は思っている。

ライフハックはビジネスマンを幸せにするか?

「ライフハックで忙しさが解消しないのはなぜか?」というshirouto2氏の問いは、日本の職場や社会構造、日本人のメンタリティにヒントを見出そうとしている。

だが、しばしば日本の職場では、むしろ真面目で几帳面な人ほど忙しくなるという現象が見られる。優秀な人や責任感のある人の方から先に潰れていくケースがある。

ではなぜそうなるのか。それはまず、自分のスケジュールではなく、会社のスケジュールが、絶対的に優先されるからである。しかも、日本の仕事は、仕事の区分が曖昧で、誰がやるか分からない空白地帯があり、相手への即応性が求められることが多い。それに、別に仕事を能率的に早く終わらせたから、残業代が出ないからといって、さっさと定時に帰れないだろう。「そんなの当たり前じゃないか」と思われるかもしれない。しかし、アメリカはそうではない。それぞれの領分を決めて仕事しているので、他人の仕事を勝手にすることはない。また残業代が出なければ、本当にさっさと帰る。

もちろんこうした日本的な文化が全て悪いわけではない。が、優秀な人には仕事が集まり、どれだけ効率よく仕事を捌いてもスキマを埋められるように仕事が積み上がっていく。
ライフハックが忙しさを解消しない理由はこのあたりにあるとshirouto2氏は述べている。


これについての私の考えを述べたい。


私も「LifeHack」と呼ばれるTipsの中には眉唾なものも多いと思う。実際「仕事術」というカテゴリーで「こうやれば仕事でよさげな方法」をアップしている私の記事の中にも、他人にはどうでもいいものもあるのだと思う。


私は、Lifehackとは「忙しさから脱する」ためではなく「日常のなかにブレイクスルーを見出す」ものであると考える。


あるアイデアで物の見方が変わったり、つまらないルーチンワークが宝の山に見えてきたりすることがある。イヤイヤながらにやっていた仕事が、楽しみを発見する場になることがある。
こういった発見をするヒントのことを「LifeHack」と呼ぶのだろう。


中には、
「これって伊藤家の食卓みたいなTipsだな」
と苦笑するようなものもあるが、それもご愛敬。ご本人がそのことによって日常にブレイクスルーを感じたのであれば、きっと素晴らしいことなんだろうなと思うし、それを公表することによって誰かのヒントになればよいと願う気持ちも素晴らしいと思う。


結局LifeHackを求める人が欲しているのは「モチベーション」なのだろう。
日々の忙しいクソったれな状況の中でもポジティブに生きるための糧として、LifeHackを探そうとしている。私自身の考えだが、「ハイパフォーマー」と呼ばれる人たちにはこうした何気ないTipsを見つける能力が備わっているのではないかと考えている。


最近LifeHackという言葉が一般的になってきて、これはどうかなーと思えるものも正直存在するように思う。それでも、日常に楽しさを見出す能力を高めていくことはすごく大事なことだと、私は思う。


※記事を引用させていただいた皆様、有り難うございました。