プチ白田先生祭のまとめ

anondに掲載された「平成十九年六月十五日白田秀彰演説記録」がすごい勢いでブクマされています。先日のエントリでフォーラムのメモを公開したものの、白田先生の熱さが伝わらないかもなと思っていたので喜ばしい限りです。


さて、CNETの記事「YouTubeやコミケはコンテンツ業界の発展に有効か--著作権のあり方をめぐる議論」では白田先生が

イベント内で中心話題のひとつとなったYouTubeについては「他人の著作物をそのままアップロードしているだけで、何らクリエイティブ活動とは認められない」とバッサリ。「本来は(パッケージ商品の購入など)お金を出して楽しむべきコンテンツを無料で視聴するなどという下品なことはやめるべき。単なるコピーだけでは何の発展性もない」と日本でのYouTube需要そのものを切り捨てた。

http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20351001,00.htm

とする記述がありました。でもこれはかなりミスリーディングです。
すでにatsushienoさんの注やはてブコメント欄で指摘されていますが、白田先生がクリエイションの増大を可能とする制度に関心があり、できる限りファン活動からオリジナル・クリエイションへ誘導できないかという問題意識を持っているという話をされた後で、CNETの記者さんが「YouTubeにテレビ番組をアップするような行為についてはどう思うか?」と尋ねたため、白田先生は「他人の著作物をそのままアップロードしているだけで、何らクリエイティブ活動とは認められない」と答えていました。
つまり、YouTubeやニコニコ動画に投稿されているMADやFlashなどのファン活動が新たな創作につながるものだということは前提で、いわゆるデット・コピーのような著作権侵害行為は「何の発展性もない」と述べたのです。
この記事に反応する形で

もっと現場を見てから物を言ったらどうよ

勿論そのままアップロードの物は沢山ある。
が、今はそれだけじゃないでしょ?
おそらくこの人はMAD動画なんて1本も見た事が無いんだろう。それが「才能の無駄遣い」と言うタグまで付けられる程の物が日々アップロードされているなんて知らないで言ってるのだろう。

こう言う連中に議論されても困るんだよね。

で、分かってない連中に「それは現状と違うでしょ」と掣肘を入れられる参加者が居ないと言うのも困りもの。

http://teo.cocolog-nifty.com/column/2007/06/post_bf25.html

というエントリも書かれていますが、これも邪推というか間違った憶測です。むしろ日本でのYouTube需要を「単なるコピー」に限定して解釈したと思われるCNET記者の方が「『文化発展に寄与』の妨害をする輩」に該当すると思われます。それに、こういった著作権を考えるフォーラムで「『それは現状と違うでしょ』と掣肘を入れられる参加者が居ない」という方が考えられません。

デット・コピーが良くない理由とflash職人さんたちをオリジナル・クリエイションに誘導したいという理由は「もう一つの著作権の話」で詳しく述べられていますが、一部だけ引用しておくと以下の通りです。

排他的独占権の保護を考えるとき、どこまでもその範囲を広げていけば、私たちが情報機器を使って見たり聴いたりする情報のほとんどが誰かの財産ということになってしまい、私たちは何かを見たり聴いたりするたびにお金を払わなければならなくなります。逆に、その範囲を小さく小さくしてしまえば、創作者が手に入れることができる経済的利益がどんどん少なくなっていきます。そうすると、作品をわざわざ作成して世に送り出そうと考える人が減っていくことが考えられますから、結果的に私たちは十分な数の作品を楽しむことができなくなることが考えられます。排他的独占権はその強力な効果ゆえに危険な権利ですから、その権利をどの範囲にまで認めて、どの範囲からは認めないのかを決めることが重要になります。強い薬ほどその適量の判断が大切になるのと同じことです。

http://www.welcom.ne.jp/hideaki/hideaki/another.htm

ちなみに白田先生ご本人は、平成十九年六月十五日白田秀彰演説記録を見て「よくまとめてあるなぁ」とか「これでMAD作品でも作ってもらえると嬉しいなぁ」と仰るような方ですよ。


それにしても、例の演説にはたくさんの方が触発されたようです。そのなかに

じゃあ、白田先生の思想に共感した者が先生のために何ができるのか、何をして欲しいのか言ってくれないか。
(ç•¥)
何をすりゃいいんだよ先生。私たちだって、自分で思いついたことはやっている。でもそれじゃ足りないんじゃないか。どうすればいいんだよ。危機感は持っているよ。危機感だけが増大して困ってしまうだけなんだ。ミッキーマウスにどうやって対抗すればいいんだよ!

http://anond.hatelabo.jp/20070617233754

という悲痛な叫びがありました。ブクマコメント欄にも同趣旨の発言が散見されましたが、そういう方はcedさんが書かれたこの文章を是非読んでみてください。

その一言が世界を変える。日本人が好むのはそういった衝撃的なアイデアなのかもしれない。そして、そういうアイデアが出てくるのを待っているのかもしれない。でも、現状をより良い(と思われる)方向へ変えて行く意見、というものは、往々にして日常の些細な状況の改善から始まるのではないだろうか。そういう些細な状況の改善の集大成が、結果として社会の在り方そのものを変革していくきっかけになっていくのだろう。長期的視野を持つ重要性はたぶんそこにある。今日始めた何気ない行為が、10年後には当初考えていたこととは全く別の意味で重要になっているのかもしれない。ロージナ茶会に対してほんの少しの貢献しかできなかった私だが、そこで目の当たりにしたのはこういった小さな議論の集まりが結果として政府の政策レベルにまで反映され、実際に日本のコンテンツ政策の在り方を変えていくきっかけの一つになっていた、という現実だった。

http://d.hatena.ne.jp/ced/20070618/1182130599

漸進なんて待っていられない、という方は

それだけのエネルギ、頑張ったという自己満足を得たいがためというならばともかく、実現に少しでも近づきたいというのであれば、あちらこちらの講演で語り、雑誌記事で一般に訴え、オンライン記事でみなに訴え、審議会で官僚や学者に言いたいことを言い・・・というだけでなく、たったひとりでいいので、有力政治家を説き伏せることにその一部を割くことがよほどの近道だと思うのです。

http://bewaad.com/2007/06/18/172/

という意見もありますので、参考になさると良いでしょう。




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