ユーザ・インターフェイス標準化からパクリは擁護できる

ヤコブ・ニールセンのAlertbox -そのデザイン、間違ってます- (RD Books)を読んで面白いな、と思ったのは以下の指摘でした。

デザイン標準に従うということは、単にユーザに伝えたいことをより確実に伝える上で役立つという意味しかない。ドキュメントを作成するときには、自分で編み出した言葉を使うのではなく、英語の単語を使うというのと同じだ。どのようなストーリーを語るのか、デザイン要素をどうやって組み合わせるかは自分が決めるのである。

前掲書 pp105-106

ここで言う標準化されたデザイン要素というのは、「ページ左上にロゴを配置する」「ホームページに検索ボックスを設ける」「ショッピングカートへのリンクを右上に配置する」などユーザが特定の動作を期待する要素のことです。
このユーザ・インターフェイスの標準化をニールセンが推奨しているのは、

ユーザがウェブ全体を大きなひとつの資源のかたまりとして見ている今、サイトのデザイナーは全体の中の部品を作っているにすぎない。
前掲書 p209

という認識があるからです。
ハイパーテキストが採用されているため、ユーザは自由に行き来できるように設計されています。ユーザがwebの海を泳ぎまわるとき、海を構成しているものがどこに帰属しているかはあまり意識されません。
ニールセンは著作権云々についてはひとまず留保していて、それぞれのサイトが独自のデザインを主張したり、互いを参照しなかったりで標準化がなされないことで、ユーザのユーティリティが低下することを恐れています。部分最適化が全体の効用を押し上げないのは周知の通り。


さて、OpenPNEを開発する手島守氏はインタビューでこう答えています。

―mixiにユーザー・インタフェース(UI)が非常に似ていますね。

 当初はいろいろなSNSを分析して,それぞれの良いところを取り入れようと思いました。ただ,取り入れているうちに,自然とmixiの要素だけが残ったのです。やはりmixiは使いやすくて楽しく,ユーザーのことを考えて作られています。特にUIが優れていると思います。

 mixiを参考に開発するうちに,2005年7月にリリースしたOpenPNEのバージョン1.2で,ほぼmixiと同等の機能になりました。そこからは徐々に機能を追加し,mixiと異なる機能も取り入れています。例えば,mixiは完全に閉じた世界のSNSですが,人によってはオープン制にしたいという要望もあるでしょう。そのような機能やレイアウトを変える機能,「足あと」を付けない「忍足」機能などを実装しました。


http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060726/244367/?ST=web20&P=2

手島氏のこの発言も、このような文脈にそって考えれば正当性を持ちえるかもしれません。
もちろんmixiがデザイン標準で良いのかどうか、そしてmixiがデザインに行き着くまでの手間隙を保護しなくて良いか、両者はどれくらい似ているのか、などの論点はあるでしょう。
個人的には、もしmixiが特許を取っているのならパテントを払って使わせてもらうというのが妥当かとも思いますが。mixiも他のSNSの蓄積を参照したということもあるでしょうし…。そもそもwebはそうやって発展してきたのですし。まあ実際問題は裁判で戦ってみないとわからないですね。
でもSNSはもう一分野として確立しようとしてきていると思います。blogサービスでユーザ・インターフェイスの類似性が問題提起されないように、SNSが特に問題提起されることもないでしょう。SNSが発展途上であることは考慮されなければならないとは思いますが。


そもそも、参照項なき表現は存在しません。極論を言えば、コンテンツはすべからくパクリの上に成り立っていて、それでしか成立しえないのです。*1
なぜなら、作り手の側から言うと過去の作品なくして創作はできないからです。上の例で言うと、言葉は他の誰かが作ったものですし、描画にも技術的なあるいは表現的積み重ねが存在します。
また読み手・鑑賞者の側から言うと、過去の準拠枠など何らかのとっかかりが無いと、どのように見て良いかわからなかったり認識すらされなかったりするのです。*2
創作はシュミラークルでしかない、という視点が議論において見落とされがちではないかと思います。



【追記】
なんだかたくさんブクマしていただいてるようで、ありがとうございます。
id:otsuneさんからはてブコメント欄にて

っていうか2005年LLDNで手嶋社長は「ある有名なSNSのインスパイヤ」って明言しているわけで。このインタビューは建前というかイイワケ

というコメントをいただきました。
仮に日経の記事通りにOpenPNEがデザインをパクっていたとしても、デザインの継承や、汎用性を考えた私の考察はぶれることはない、と思います。
ただし、だからと言ってもし仮にOpenPNEが実際にmixiのデザインを完全に模倣してデザインを構成していたのであればこれはまた別の問題として取り上げられなければならないでしょう。
このOpenPNEの記事にはいろいろなレイヤーの話が混在しています。ソースがGPLで公開されている、ということとデザインをパクってもいい、というのは話のレイヤーが違うので、そこを混同すると面倒なことになるかもしれません。
もし「インスパイヤ」を手嶋社長が明言しているのなら、「建前」や「イイワケ」せずに開き直っていただいて、ネット界のORANGE RANGEになっていただけると挑発的で面白いことになるのではないでしょうか。


また「エントリの本論とは全く関係ない」けれど「レイアウト・デザインに関する話」に関してid:atsushienoさんが関連エントリを書いてくださいました。ありがとうございます。
詳しくはこちらをご覧くださればわかりますが、オンライン・オフラインを問わず、具体的な表現内容を伴わない「デザイン」について、著作物性を認めた判例というのは無いようです。少なくとも東京高裁H11.10.28判決(「知恵蔵事件」)と大阪地裁H12.3.30判決(「積算くん事件」玉虫色の判決だそうです)では否定されています。

*1:このことに関しては雑記帳:[MEMO][Creative Commons]型 - 「守・破・離」を参照されるとさらに理解が深まると思います。むしろそっちを見てください。

*2:だからと言って「OpenPNEはオープンソースのライブラリ以外,すべてゼロから書かれているので著作権的には大丈夫だと考えています。」という発言はよくわかりませんが。論点がずれてますね。