「発展」と「アフリカ」

■アフリカが発展しない理由
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207

 アフリカ(これ自体、あまりにも大雑把なくくりだ)についてはあまりくわしくないのだが、このエントリがダメダメであるのは3秒で分かる。こんなエントリにスターが100個もついて、ブクマも800を越すという情況はあまりにもひどい。
 一番問題なのが、「発展」ということばを用いながら、あまりにも無批判に、欧米的な「近代性」原理を自明のものとして扱っていることである。そもそも、「近代」とはさまざまな形象をもった、複雑な概念である。人権概念、集権的な国家システム、資本主義的な生産様式、自然科学に基づく合理的な思考様式・・・、これらすべてが「近代」の語には含まれるが、それらは当然ながら一緒くたにできるものにあらず、ある社会におけるそれらの「受容」あるいは「押し付け」のあり方はそれぞれの形象ごとに異なるのである*1。そして、その差異において社会の矛盾や衝突は発生してきたのであった。
 ところが、このエントリでは「発展」こそが良いものであって、「発展」しないことは劣等の証なのである。そこでは、異文化間の相互作用についてはまったく考慮されていない。「アフリカ」が「アフリカ」であることは無視されてしまっているのである。しかし、極端なことをいえば、「汚職」という概念は、欧米的な国家システムの立場からみたときにはじめて「汚職」となるのであって、たとえば「賄賂」があたりまえに行われている社会があったとすれば、そこにはそれなりの合理性をもったシステムが成立しているのである。ただし、欧米的な国家システムと、その社会の「賄賂」依存のシステムが現在、組み合わさっているがゆえに、社会的な矛盾が生じているのだ*2。
 そもそも、欧米や日本のリーダーたちが、「私利私欲を抑えて社会のために献身的に働く」モラルをもった人々だとはよっぽどのアイコクシャでない限り誰も思わないし、かつてそうであったこともない。あるいは明治維新のリーダーたちが「長期的な国家建設を私利私欲に優先するリーダー」だったとすれば、かつてのアフリカのリーダーたちも(エンクルマ、ニエレレ、ルムンバ、ナセル)同様にそうだっただろう。問題は、アフリカのおかれた政治的、歴史的、社会的情況が彼らの計画を頓挫させたことにある。それは当然、植民地宗主国をふくむ先進諸国にも大きな責任がある。このエントリでは

・ 最大産業である“国際援助(ODA)獲得産業”を超える他の産業が生まれないのはなぜか。

が”素朴な疑問”として提出されているが、もちろんアフリカの指導者だって独立した当初は自国資本を形成し、産業を育成しようとしていた。ところが、独立した時点ですでに遅かったのである。植民地支配によって浸透していた市場経済の搾取はあまりにもアフリカを蝕んでいた。もともと自前の資本はゼロ。そのうえ、産業を育成するために自国資本を保護しようとすると、まだ何もできていないうちに、たちまちヨーロッパを中心とする資本は手を引いた。そのために、自前の経済体制をつくろうとした国家は多くは経済破綻したのである(c.f.ニエレレのタンザニア社会主義)。海外の資本に逃げられては国がなりたたないから、それらを呼び込むような政策を行った国は、破綻は免れたものの、もちろんゼロからのスタートで何の保護もなく海外の先進企業と競争可能な産業なんてないから、自国資本はちっとも成長せず、結局は海外の援助にたよるしかない。
 また、アメリカ大陸では先住民を白人が駆逐して社会を形成したこともあって宗主国との結びつきが強く、さらに早い段階で独立が成功したことから、比較的早期に(白人主導の)自国資本を形成することができた。アジアも「発展」は遅れたが、「開発独裁」を可能にするような集権的な国家システムの歴史的経験があり、また中国とインドという世界的な大市場を抱えているという「地の利」もあった。しかし、アフリカの歴史にはそもそもそのような集権的「国家」は若干の例外をのぞいて存在しない。
 しかし、もちろんそれがアフリカの後進性を意味するわけではない。ヘーゲルは「アフリカは歴史の一部ではない」といったが、これは西洋人の目からみて、アフリカには歴史はないといっているにすぎない。西洋人にとって「歴史」をもてるかどうかは「国民国家形成能力」の有無にかかっている。アフリカはそれを所有しない「野蛮な」大地だとみなされていた。『新書アフリカ史』によれば、こうした見方にたいして1960年ごろから、「アフリカの歴史」の復権がはじまったという。たとえばグレート・ジンバブエなどの石造文明や、ブガンダの中央集権国家システムを紹介して、「アフリカにも国民国家形成能力はある(あった)」と主張しはじめたのである。これは、独立したての若い新興国家のナショナル・ヒストリーとしては意味があったが、しかしこれ自体歴史の歪曲であった。たとえばそれは、部族的な国家なき社会の自立性を捨象していた。つまり、(国民国家の基盤となる)「中央集権的国家システム」こそが「文明」であるというヨーロッパの価値観を無批判に前提としていたからである。それにたいして、現在、国家にとらわれない地域のダイナミズムを重視した視点や、アフリカでは圧倒的に不足している文字資料だけでなく、口述資料にも注目するといったかたちでの、新しい歴史研究がすすんでいる。
 アフリカの未来をどうするか(どうするか、というのがそもそも植民地的な見方である)、について、今ぼくたちが何かいうことは難しい*3。しかし、ひとつだけいえるのは、ぼくたちはアフリカの複雑性、重層性についてあまりにも知らなさすぎるし、また、にもかかわらず生半可な知識で、アフリカの未来について絶望するなんてのは(ましてもう一度植民地に!なんて放言するのは)、あまりにも西洋中心主義、近代進歩史観的な見方であろうということである。

 世間一般の緩い基準においてでさえも、「単なるお喋りを止めて、何かを行いなさい!」という昔からの格言は、口にすることのできるもっとも愚かな事柄の一つである。最近の私たちは、沢山のこと――外国への干渉や、環境破壊――を行い続けているのだ。おそらくは、一歩下がって正しい事柄について考え、発言するときである*4。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100123/p2「「いずれにせよ近代化したのは良いことである」という近代化賛美も、「いずれにせよパターナリズムはよくない」という伝統賛美もどちらも単純にいえるわけではなく、じっさいは植民地主義とは近代性と伝統性が複雑に絡み合った問題系である、というのがまず前提にあるはずです。」

*2:念のため書いておくが、ぼくは別に「汚職」を「肯定」しているわけではない。しかし、そのような「汚職」をはびこらせしめるモラル――エトス(倫理)といったほうがよいかもしれないが――の相対性は考慮しなければならないと考える。じっさい、われわれが当然としているような「モラル」(あるいは「エトス」)は、結局は資本主義的な生産様式の要請(たとえば「勤勉」。アフリカ人は怠け者だ!という批判があまりにもナイーブなかたちでなされる。)でしかなかったりするのである。

*3:あるいは、現地で活動している多くのNGO・NPOの人などなら、より具体的で個別的な方策について語ることができるだろう。しかし、「もっと行動の指針を!」のひとたちが今まで、そのようなことばに耳をかたむけたことはおそらくないだろう(たとえば、アフリカの土地を投機の対象にするのをやめることだhttp://www.diplo.jp/articles10/1001-3.html。しかし、このような「反グローバリズム的」解決策は、――「非現実的」など、なんだかんだの理由をつけられることによって――葬られるのである。)。そして彼らは、アフリカの問題はアフリカの人々にその原因がある、とするような言説が登場したときにのみ現れ、我が意を得たりと納得する。そして、勝手に絶望するのである。

*4:http://d.hatena.ne.jp/flurry/180008#25