レベルデザインなんていらない 前編

 タイトルは内田裕也

 こんな記事を読んで思ったことを色々と。

 http://ameblo.jp/logicalpanda/entry-10389091155.html


 うーん、なんだろう。この記事では、薄っぺらなゲームシステムを考案する日本の企画者に対比するような形で、ゲームシステムなんて考案してる暇があったら、レベルデザインに勤しむ海外の企画者がいるってなことが述べられている。でもさ、そもそもゲームシステムとレベルデザインて対比して語るようなものなんだろうか?俺は違うと思うよ。つーかまずこの記事ってまた例によって例のごとく海外のFPS/TPSの最良の部分と、日本の凡庸なJRPGを比較して書いてるんでしょ?だから俺もその前提に乗っかった上で記事を書くね。


 もう一辺太字で言っとくと、 ゲームシステムとレベルデザインってのは不可分のもので、対比して語るようなもんではない。


 横スクロールアクションというシステムがあれば、それに適したレベルデザインが存在するし、FPSというゲームシステムがあればそれに適したレベルデザインというものがある。システムがあって、そこからレベルデザインというものは導き出されるもので、システムに対する考察、理解が無いレベルデザインなど碌なものではないし、レベルデザインがまるでなっていないのならばそもそもそんなゲームシステムは存在する意味が無いのだ。確かに、日本によくあるRPG、いわゆるJRPGってマップのデザインとかスゴく適当だし、苦言を呈したくなる気持ちはわからなくもないのだけど、JRPGにはJRPGなりのレベルデザインってものが存在すると俺は思うんだよ。そしてそれは決して海外のゲームと比較してそう捨てたものでもないし、JRPGなりのオリジナリティだって充分にあると思う。でもこれは説明すると長くなるんで、また後で触れます。


 既存のシステムを小手先だけ変えたようなシステムを考案する企画者に対する苦言として適当なのはレベルデザインをちゃんと考えろなんてことでは全く無い。ってか浅薄なシステムしか考えないから日本の企画者は駄目ってそりゃ浅薄な企画なんだからそうでしょうよ。駄目な企画だから駄目な企画者ってそりゃそうでしょうよ。ならレベルデザイン云々以前に、浅薄なシステムなんかじゃなくて、もっと奥深いシステムを考案すべきじゃないですか。しょうもないシステムからは、しょうもないレベルデザインしか生まれない。だからそのような企画者に対して言うべきはもっと面白いゲームシステムを考案しろ、そしてその上できっちりレベルデザインまで練り上げろってことではないのか?システムに対する洞察が浅いのなら深くするしかないじゃないと俺は思う。それに、昨今のTPSに採用されているカバーリングアクションとかビハインドビューだって立派なゲームシステムなんだよ。これらのシステムがなければTPSはもっと全然違う形になっていただろうし、求められるレベルデザインだって全然違うものになる。これらのシステムがなかったら、ギアーズオブウォーとかアンチャーテッドなんかはそもそも存在しないし、それらのゲームのレベルデザインで存分に腕をふるっている海外の有能な企画者達なんて、存在ごと消えちゃっててもおかしくないわけ。


 ではなぜ、このようなシステムとレベルデザインをまるで別物のように捉えた記事が、本業のゲームデザイナーから書かれてしまうのだろうか?俺が思うに、その最大の理由は、FPSというゲームシステムがあまりにも完成度が高過ぎるからなのだ。

FPS、そのあまりに完成されたゲームシステムについて

 以前に何度か記事にしたのだけれど、3Dゲームとして、FPSというゲームシステムはあまりに完成度が高い。まずなんと言ってもカメラと照準の操作系を一体化しているため、3Dゲーム最大の鬼門とも言えるカメラシステムにほぼ完璧な解を提供してしまっている。そして第二の問題、TV画面という平面に擬似的に3次元空間を描写するため、目標との距離感が掴みにくいという問題に対しても、対象との距離を一瞬にしてゼロにしてしまう銃という武器を使用することで、繊細な間合いを気にせずプレイできてしまう。視点の問題、対象との距離の問題という2点にここまで高いレベルで解を提供している3DゲームジャンルはFPSくらいしか存在しないんじゃないだろうか?俺はそれくらいにFPSというゲームシステムの完成度を高く評価している。


 そんなFPSにもいくつか弱点があって、その中の一つに身体感覚の希薄さというものがあるんですが、それらを解決するために三人称視点のシューティングゲーム、所謂TPSというものがあるんです。これはこれでいくつか問題があったりするんですが、前述した、ビハインドビューとかカバーリングアクションっていうシステムによって、TPSの弱点を克服し、むしろFPSに無い魅力を提供するに至っているため、現在ではFPSとTPSというゲームジャンル、ゲームシステムは3Dゲームを代表するゲームジャンルとして昨今のゲームシーンに君臨しているわけです。そしてFPS、TPSが作るのが苦手な日本のゲーム業界は遅れてるとか揶揄されたりもするのですが、それについてはまた後ほど。


 話を元に戻すと、FPS、TPSというのはそのあまりに完成度の高いゲームシステムが故に、下手に手を加えて変化球的な内容にするよりも、素直に素材で直球勝負したほうが良い場合が非常に多いんです。素直に第二次世界大戦を模したり、素直に近代戦闘をシミュレートしたりするのが一番楽しいんです。下手に調理しないで、刺身で出すのが一番なジャンルとでも申しましょうか、だからこそ、FPSとかTPSみたいなゲームをつくる上で海外の企画者達は、レベルデザインに最も注力するんですよ。小手先のシステム改良なんぞよりも地道なレベルデザインがものを言うジャンルなんです。


 だからこそあえて苦言を呈したいんですが、海外産のFPSとかTPSってシステムに対する洞察とか批評意識みたいなのが弱いと思うんですよね。悪く言っちゃうとあまりに完成度の高いシステムに胡座をかいているというか。昨今のTPSに決して少なくない影響を与えてるビハインドビューを一つのシステムとして練り上げたのは日本から発売されたバイオ4だったりするし。FPSの主観視点という部分を発展させてFPA(ファーストパーソンアドベンチャー、要は主観視点で冒険するゲームってこと)というジャンルを提唱したメトロイドプライムのバイザーシステムの提案をしたのは、宮本茂だったりするし。上記の記事を書いた人は、海外のゲーム開発者はシステムなんて考えないでレベルデザインに心血を注ぐって言ってるけど、俺はそれじゃマズくないか?って思うんだよね。あまりに既存のジャンルに寄りかかった上でモノ作りをしてしまっているような感じがしてしまう。だって、どれほど質の高いFPSのレベルデザインをする技能があったとしても、FPSっていうジャンルそのものが潰れちゃったらそんなレベルデザイン技能はまるで無意味になるじゃないですか。


 FPSっていうジャンルは最早完全に定番となっているし、ゲームジャンルとして消滅するなんてことはさすがに無いだろうと思う。でも、昨今のランキングとかを見るに、完全に一部の人気タイトルとその他大勢との対比が明確になっちゃってますよね。ヘイローとかCoDシリーズなんかは今後も売れ続けるんだろうけど、それらブランドタイトルに真っ向から勝負するためには、それ以上の金かけて内容つくりこんで、宣伝費つぎこまないと無理ですよね?いや、でももう一つだけ道があるか、既存の人気タイトルと差別化したかったら、やっぱりシステムに変化を加えるしかないと思うんですよ。だってヘイローだってCoDだってレベルデザインは良く練られててスゴく良く出来てるんだから。それらのゲームと張り合っていくなら、なんらかの違いがなければ存在する意味も価値も無い。かつてギアーズオブウォーがバイオ4のビハインドビューをより洗練させてかつ非常にシンプルで軽快なカバーリングアクション(それと圧倒的に美麗なグラフィック)を引っさげてゲームシーンに登場したように、新しいシステムの提案が無いと今後の激烈なFPS/TPS戦争には生き残れないと思うんです。


 おそらく今後のFPS/TPS市場は一部の人気タイトルの寡占化が進むだろうから、そんななかで企画者として生きていくなら、素直に良質なレベルデザインをすることに勤しむだけじゃなくて、新しいゲームシステムの考案の一つもできなきゃマズくないか?と俺は思うんだよ。あまりに堅牢すぎるFPSというジャンルに胡座かいてないで、自分で独立したジャンルを確立してやるっていう気概のあるクリエーターが生まれないと、海外のゲームシーンってこれからドン詰まりじゃないのって思うんだよね。だから、オイラ的には、上記の記事での海外の開発者は小手先のゲームシステムの考案なんてしないってな記述には、逆に海外ゲームシーンの先行きの暗さしか伝わってこない。たとえ小手先の浅薄な提案だったとしても、もっとゲームシステムに対する洞察を深め、新しいゲームを提案しろと海外の開発者達には言いたい。


 でも厳しいだろうな、FPSってそれくらい一つのシステムとして完成され過ぎてるし。まあFPS級のジャンルの発明に成功したら今後10年はゲーム業界は好景気だね。


なぜJRPGは変な成長システムとか戦闘システムを採用しているのか?

 では、次の問題です。なぜ日本のRPG、いわゆるJRPGは海外から嘲笑の対象になるほど変態的なゲームシステムを搭載しているのでしょうか?なぜ彼らはレベルデザインに心血を注がずに、ゲームシステム考案に明け暮れれいるのでしょうか?(実際はシステム考案してる暇なんてそんななくて雑務に追われてるんだろうけど)。


 冒頭の記事ではレベルデザインに勤しむ海外の開発者のことをこのように解説しています。


彼らは、わかりやすく一言で言ってしまうと、

 「その場所を通るプレイヤーを、最高にエキサイティングな気持ちにさせること」

に心血を注ぎます。


 なるほど、海外の開発者達は、プレイヤーを楽しませることに必死だと、それにくらべたら日本の開発者達はシステムに拘泥し過ぎだと。確かにそういう側面は否定できません。スクエニのタイトルなんかはちょっと変態システムに凝り過ぎてる感はあります。それにくらべたら海外のレベルデザインのなんとエキサイティングなことよと。


 でもね、日本の開発者だってプレイヤーを楽しませようとはしているんだよ。エキサイティングな気持ちにしようとしてはいるんだよ。なぜなら、かつて自分たちが新しいゲームシステムによってエキサイティングな気持ちになったんだもの。



 日本のRPGがシステムに変化を加えることで、独自の発展を遂げてきたことは確かで、特にSFC時代のスクウェアなんかは、システムとグラフィックの二大看板によってあそこまでの黄金時代を築いたと言っても過言ではないんじゃないかと思う。


 自分的にもFF4のアクティブタイムバトルは衝撃的でした、RPGなのになんでこんなハラハラするのかと。FF2で自らを傷つけて体力増強するサイヤ人システムを導入(先取り?)してみたり、FF3でジョブシステムを導入したりとFC時代から色々チャレンジしてたスクウェアでしたが、やっぱりSFC時代は次々と斬新かつ画期的なシステムを提供していたし、それでユーザーがエキサイティングな気持ちになる幸福な時代だったと思う。ロマンシングサガ2の必殺技ひらめきシステムなんかはいまだに後継的なシステムも現れていないし、未だに語り継ぐべきシステムだと思っている。


 今現在のRPGの新しいなんちゃらバトルシステムやら、なんちゃら成長システムが浅薄だし小手先の改良に過ぎないってのは確かにそういう部分はある。でもそれはかつて確かに新しい戦闘システムとか成長システムによってユーザーが魅了されてきた時代があったからなのだ。かつてたしかにシステムの改変によって成功していたからこそ、その成功体験にからめとられてしまっているからなのだ。日本の企画者が楽しませる気概に乏しい意識の低い開発者だというわけではないと思う。小手先の改良だけじゃなくてもっと深いゲームシステムに対する洞察は必要なんだけど、レベルデザインを改良すれば良くなるってな問題でもないよ。


 うーん、ここまで書いてきてまだ書きたい内容の半分にも到達できてない、、、、続きは後編で!JRPGとは変態システムを通して一体なにをしようと(させようと)しているジャンルなのか?とか日本ならではの串団子型レベルデザインについてとかまだまだ続きます。