映画「ジョン・ラーベ」、監督・出演者インタビュー


以下は2008年3月12日号の「ニューズウィーク日本版」に掲載された、映画「ジョン・ラーベ」の監督フローリアン・ガレンベルガーと、朝香宮鳩彦役で出演した香川照之のインタビュー。元々ミクシィの『映画『ジョン・ラーベ』が観たい』コミュで紹介したのだけれど、せっかくなのでこちらでも紹介しておく。


「日本人を糾弾する映画ではない」 監督 作品への思いと知られざる舞台裏


2001年にメキシコを舞台裏にした『キエロ・セール』で米アカデミー賞の短編実写映画賞を受賞したドイツ出身の監督フローリアン・ガレンベルガー。今回の『ジョン・ラーベ』にかける思いなどを本誌アレグザンドラ・セノが聞いた。


――監督、そして脚本家としてジョン・ラーベという人物をどう表現した?


ジョン・ラーベという人は矛盾に満ちていた。彼は1937年当時の典型的なドイツ人だった。当時のドイツの人々は、中国人に対して優越感をいだいていた。一方で中国で29年間も暮らした彼は、ドイツ人のなかではかなり異質な存在だった。

英雄ではなかった男が、最後には驚くべき英雄になった。彼はさまざまな出来事を通じて、自己中心的な人間から思いやりのある人間へと変わった。


――日本人はどう描いたか。


むずかしかった。南京の歴史において、日本人は好かれる役回りではないが、正確に伝えるためには一面的な表現で終わらせたくなかった。

日本人を指さして「これが奴らのしたことだ」と言うようなことはしたくない。絶対に。私たちがやろうとしているのは、真実を伝えること。日本軍のなかにも、あれは正しくないと思っていた人たちがいたが、戦争の方向性を変える力にはなりえなかった、ということを伝えたい。


――ラーベがナチス党員だったことはどう扱ったか。


ラーベは1931年を最後に、ヒトラーが権力の座に就いてから、(38年に南京を離れるまで)一度もドイツに帰っていなかった。だから彼が得ていた情報はナチスのプロパガンダだけ。ナチスを信じていたが、国家社会主義とはどういうものか真に理解していなかった。

だが彼は、ナチス党員だったがために大きな犠牲を払った。中国での人道行為を理由にナチスから見捨てられて投獄された。第二次大戦後は、まだナチスの一員だとみなされて連合国側から見放され、貧困にあえぎながら1950年に亡くなった。


――どうやって日本人の俳優を選んだのか。


かなりの数の日本人俳優が「南京虐殺を扱う映画にかかわりたくない」と言った。キャリアに傷がついたり、日本の右翼の圧力を恐れていたのだと思う。

だが幸い「過去と向き合い、何が起きたのか見つめ、なされたことに対して、責任を取るべき時に来ている」と、出演を申し出てくれた俳優もいた。香川、柄本、杉本といった有名俳優が出てくれた。このキャストは、私の願いである日本公開の可能性に現実味を与えてくれる。

ドイツ人として言わせてもらうなら、自国の歴史を振り返って史実と向き合うことは重要だ。たとえそれが苦い過去であったとしても。


――中国での映画製作に苦労はなかったか。とくに撮影許可の手続きなど。


昨年12月の70周年までに完成させるという計画には無理があった。政治的なテーマだったので、許可が下りるまでに思っていたより時間がかかってしまったが、最終的にはうまくいった。内容の検閲については、なんの問題もなかった。


――脚本では中国のシーンで終わっているが、ジョン・ラーベの悲劇は忘れられたままベルリンで貧しく死んでいったところでは?


最後のシーンをベルリンにするか中国にするか、私たちは長い時間をかけて何度も話し合った。脚本の段階では、南京の人々に祝福されるラーベで終わったほうが強い印象を残せるだろうという結論に落ち着いた。

編集段階でやはりベルリンのほうが良いという話になったら、撮り直しもあるだろう。後になってみないとわからない。


「文化や国籍の違う人たちに対話を」 俳優 香川照之が出演を決めた理由





さまざまなジャンルの映画で存在感ある演技を見せる香川照之(42)。フローリアン・ガレンベルガー監督の『ジョン・ラーベ』では、あえて朝香宮鳩彦王の役に挑んだ彼に、本誌アレグザンドラ・セノが話を聞いた。





――どんな経緯で出演を決めたのか。


最初は受けたくなかった。日本人にとって南京事件は非常に微妙なトピックだからだ。

2年ほど前、陸川<ルー・チョアン>監督から『南京!南京!』への出演を打診されたときはお断りした。陸は僕が前に仕事をした姜文<チアン・ウェン>監督に大きな影響を受けていて、ぜひにと頼んできた。しかし、南京事件を露骨に描く内容だったから断った。

それに比べて『ジョン・ラーベ』はドイツ人商人が主人公で、「南京虐殺」そのものに焦点を当てていない。静謐かつ国際的な視点で描かれたものだ。だから、虐殺を命じた人物の役(朝香宮鳩彦王)でも引き受けた。


――どんな役作りをしたか。


姜の映画(『鬼が来た!』)に出たとき、かなり徹底的な軍隊式訓練を受けた。だから今では、軍服に身を包むとすぐに役になりきれる。姜は一生の宝を授けてくれたようなものだ。

朝香宮は地位の高い人物だから、軍人らしさをつくり上げるというよりも、むしろそぎ落とす必要があったくらいだ。


――皇族である朝香宮は、他の軍人とどう違うのか。


最初、僕は皇族のような話し方にすることを提案した。映画『太陽』で(昭和天皇役の)イッセー尾形さんが表現したように、皇族には独特の話し方がある。でも監督からは、完璧に皇族を演じる必要はないと指示された。むしろイギリス英語のように正確に、はっきり話すよう言われたので、演じ方を変えた。


――こうした映画は日本で受け入れられるか。


南京虐殺は一方的な描き方をされていると、日本ではとらえられがちだ。多くの人が見に行くとは思えない。ただ『ジョン・ラーベ』には、日本でも有名なスティーブ・ブシェミなど、著名な役者がさまざまな国から参加している。彼らの存在が抵抗感を和らげるかもしれない。もし中国人と日本人だけの映画だったら、日本の観客を獲得するのはむずかしいだろう。


――現場はどんな雰囲気か。


もっと中国色が強いかと思っていたが、それほどでもない。中国で撮影した映画はこれで3本目になるが、ヨーロッパ映画に出ているみたいだ。


――この映画は戦争の複雑さを描いた作品だ。


観客の心に残るのは非道さや残虐さではなく、物語としての側面じゃないかと思う。


――観客にはこの映画をどのように受け取ってほしいか。


21世紀の世界はよりグローバルになっており、人々は対話を求められている。この映画を通じて、文化や国籍の異なる人たちに対話をしてほしい。


――ガレンベルガー監督との仕事はどうか。


素晴らしい監督だ。細部にこだわるけれど、必要ないものは切り捨てる。日本と違って、たくさんのアングルから撮影するのが好きだね。それに耳がいい。僕が日本語でせりふを言っているときも意味を理解している。


――中国映画に出演する機会は増えているか。


日本人スタッフと意思疎通が取れるので、日本映画に出るのが好きだが、中国のスタイルに触れていたいと常に思っている。


――中国のスタイルとは?


より混沌としていて、何度も撮り直しをしたりする。俳優として創造力を高めるにはうってつけだ。痛みがなければ得るものもない。痛みは大歓迎だ。