教育現場を引っ掻きまわすより文化行政をちゃんとやってほしい

小坂文部科学相は2日、教育基本法改正案の「愛国心」に関連し、「日本の伝統、文化、芸術、音楽について、学校現場でしっかり植え付けていくことが必要だ」と述べた。青森県八戸市で開かれた「教育改革タウンミーティング」で、会場からの質問に答えた。

「植え付け」という言いかたがすごい。「愛国心」に関連してのことらしいので、単に言葉の選び方がウッカリだったのではなくて本当に「植え付け」たいのかもしれない。


それはそれとして。

「日本の伝統、文化、芸術、音楽について、学校現場で」教えていくということ自体は結構なことだと思います。もっとちゃんとできるといいと思う。だって自分を含めてだけど、あまりに知らなさすぎるもの、日本の文化を。たとえばですね、「ダヴィンチ」と言えば「モナリザ」が出てくるでしょう?だけど「雪舟」と聞いて具体的な絵が思いうかぶ人がどれだけいるかというと、かなり心もとない。これは淋しいです。

学校でやるなら、ある程度いわゆる「大文字の文化」が中心になるのはやむをえないと思うし、そんなに悪いことでもないと思います。もちろん地域ごとの固有の文化(お祭りとかね)にも大事だけど、これは地域社会にコミットするような活動を学校がやっていければ(あくまでそういうことができれば、ですが)、それなりにフォローできるだろうと思いますし。


だけど今すぐ学校現場で、カリキュラムに組みこんで必修化!とかいうのは、あまり意味ないと思うんです。なぜなら、自分が実感できる対象として「芸術」に限りますが、先生たちだって日本の芸術なんてよく知らないもの。知らない、というのは知識としてじゃなくて「芸術の面白がりかた」を知らないってことです。ルールがわからなければスポーツなんて楽しめないのと同様、芸術にだって「面白がりかた」ってものがあるんです(見ただけでわからないような芸術はダメだ、という考えには僕は与しません)。

中学生のときだったかな、市民ホールかなんかで狂言を見させられたことがあります。ろくな説明もないままに。当然爆睡しましたよ。んでテキトーな感想文書かされて、以上終わり。こんなの苦行でしかない。先生が面白いと思ってないのに、どうしてその面白さがわかるはずがありましょうか。そして面白さもわからないのに「日本人の / 国際人の教養として」とか言うなら、そんなのさらに情けないだけです。


だから学校の先生は教養を身につけろ!…と言うのではありません。違います。


文科省には、日本の文化や芸術を国民がもっと豊かに享受できるような社会基盤を整備してほしいわけです。そこをしっかりやれば、学校で子どもたちに「これはこんなに面白いんだよ」と伝えられる先生だって増えるでしょう。家庭で芸術を語りあったり、家族で古典芸能を見たりする人も増えるでしょう。
だけど「文化行政」と言えるほどのこと、文科省はやってますか?総務省だか財務省だかに押されて「効率化」ばっかりじゃないですか。指定管理者制度とかさ、あれじゃ専門家が育たなくなるだけでしょ?文部官僚の皆さんは、そんなの、わかってるんでしょう?もっと戦ってよ。こんなことやってるうちは期待できませんよ。文化に関する社会基盤が貧弱なのは文科省の責任なのに、そこに手をつけないで学校でなんとかしろ、みたいな話にだけは是非ともしないでいただきたいものです。


文化が大事だと思うなら、「愛国心」を法律に「植え付け」る前に、やることたくさんありますよ実際。


それでね、そういう基盤整備をやった上で、また学校でしっかり教えてほしいんです。

その時、自文化が無から生まれたような話にしないで、いかに諸外国から多くを学びつつ、かつ創造性が発揮されてきたか、きちんとバランスとって教えてほしい。明治時代の芸術家はたくさんヨーロッパに留学したけど、雪舟だって中国に留学(?)したしね。景徳鎮→伊万里→マイセン、とかね。建築技術も中国・朝鮮にかなり学んで、さらに独自のものを展開してるし。

特定の文化単体じゃなくて、色々な有機的な結びつきの中で教えてあげられるといいなーと思います。世界史の中に位置付けてやるとか。能が被差別民から生まれてきたこととか。高校生くらいになれば、そういう多角的なアプローチをしてやったほうが面白がってくれると思うなー。