コーシンしたんだぞお

今日は実は会社最後の夏休みをとって運転免許の更新に行っていたのであった。
朝8:30からやってるというのでその時間に行ったら平日なのに結構人がいてちょっと萎えたけどな。これが休日だとどうなるのかしらん。オレは運転はペーパーみたいなもんで、殆ど運転なんかしないから当然のようにゴールドカードなのだよ。5年で更新ってやつだな。ただ心配だったのは視力で、日常生活でも最近視力衰えたなあ、と感じる事があるので、検査引っ掛かるかなあとちと心配だった。まあそん時は眼鏡買えばいいだけの話だが、この歳から眼鏡だとなんだか老眼っぽくてさあ、いや、老眼な歳なんだから仕方ないんだけどさあ…(ブツブツ)。
とまあ心配はあったものの検査は検査官が「ん?」「ん?」とか言いながらも何とかパス。きっとギリギリだったのね。きっと5年後はもう駄目だろうなあ、と思いながら30分ほど教習を受けめでたく新しい免許へ。
で、新しい免許証の写真を見たら、なんかこう、自分で言うのもなんだが、前回よりは顔つきが優しくなってるのね。オレも丸くなったからなあ、と感慨に耽っていたが、よくよく考えると、性格が丸くなったから、というより、顔が更に丸くなった、というのが真相なのであった…。そこん所はあんまり突っ込まないでくれ!
でまあ、免許の更新は10時前には終わったんだけどね。折角休みだし。何やってたかというとね。ええと、…家帰って日記書いてました…(号泣)。もうね。アホかと。バカかと。会社の休み取って日記書いてんじゃない、と。日記ジャンキーかお前は、と。
夕方になってやっと出掛けて有楽町のABCマートでPATRICKのレザースニーカーとHAWKINSのサンダル買って来ました。
とまあそんな一日でありました…。 あとはビールでも飲んでDVD観て寝ます。でわでわ〜〜。

ディアスポラ / グレッグ・イーガン

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

西暦2975年の未来。人類の一部は意識をデータ化したプログラムとして生き、また様々な肉体・精神改変を行ってそれぞれの”ポリス”を作り生きていた。ある日トカゲ座における中性子星同士の衝突によるガンマ・バーストの余波により、地球で肉体を持った人類の殆どが死滅する。プログラム知性たちはこの原因と次なるカタストロフの予兆を探索するため、銀河中の星々へと離散=ディアスポラする。西暦2975年から始まるこの物語は時空を超え267兆9411億7638万3514の並列する宇宙レベルをまたぎ遥か80億年の未来へと繋がる人類の意識の旅を描きます。

…いやあ。凄かったです。よくここまでやったなあ、というか。
プログラム化された知性。電脳空間。肉体・精神のテクノロジカルな改変。ナノテクノロジー。宇宙規模のカタストロフ。超古代宇宙文明。恒星間探査。ワームホールによる量子ジャンプ。「ソラリス」を思わす異星生命体。平行宇宙。多次元世界。”SF小説”というものが手掛けてきた様々なテーマを網羅し、それを最新科学のデータと想像力で持って窮極の形へと突き詰めた力作です。これがSFの最新形といってもいいのかもしれません。これまで読んで来たイーガン作品は、アイディアもさることながら、どこか人間臭いベタな描写も多く、ハイテクロジーの中での人間的なものを描くことを物語の中心に据えた作風のように思えましたが、「ディアスポラ」では徹底してSF的なものに拘っています。


そして文章の殆どはこれでもかとばかりに科学・物理学用語が飛び交い、これまでハードSFを好んで読んで来た方なら狂喜すること請け合いでしょう。ですがあまりSFを読まない方が読んだらチンプンカンプンな記述を延々読まされることになるかもしれません。ブランク・ホイーラー長?リーマン空間?しかし大丈夫です。オレもチンプンカンプンだったのですが、ガンガン読み飛ばしたけれど面白さは変わりありません。「なんかすっごいことが書いてある…みたい」と雰囲気を味わえればいいのではないかと。


連作短編というわけではありませんが、章ごとに独立した物語として読める部分もあります。特にもともと短編として発表されていた惑星オルフェウスの生物「ワンの絨毯」は凄かった。一個の巨大分子、重さ2万5千トンの2次元ポリマーという生物、というだけでも圧倒されますが、その”真の姿”というやつがまた、今までのSF小説ではお目にかかったことの無いようなとてつもない正体を持っていたりします。


それとグレッグ・イーガンが描く科学的なアイディアは科学・物理学の理論を駆使し正確に積み上げたハードSF的なものというよりも、そのような現実的な理論を摘み食いしながら作者の想像力で架空の理論をぶち上げているあくまでフィクショナルなものなので、逆にその想像力のアクロバットを楽しめればいいのではないかと思います。そんな「よくまあこんな尤もらしく書くなあ」という楽しさがこの作品にはありますね。