移民もまた人間である

昨日の Lilac さんのエントリはよく書けていたけれども、見た瞬間から嫌な予感がした。

不景気だからこその移民政策のススメ - My Life After MIT Sloan

案の定、このエントリのコメント欄は、移民反対論で埋め尽くされた。条件付の賛成者でさえ、高機能移民にとって魅力的な国づくりをするにはもう手遅れだ、という論調。これらのコメント群の否定的なエネルギーに感化されて、昨日からずっと気分が悪い。

日本はこれからも日本人だけで運営できるはずだ、という能天気さ。外国人など犯罪予備軍だし、社会保障負担を増やすだけだ、という断定。外国人が持ち込むであろう、わずかな軋轢さえ受け入れられない肝の小ささ。高機能移民を受け入れようって言ったっていまさら手遅れだよ、という知的な冷笑。

Lilac さんは、こういう反応をすべて事前に予想して、かつ、それでも日本のためを思ってあえてこのエントリを書いてくれたのだ。そのことを思うと私はたまらなく悲しかった。

私は、かつてカナダの永住権保持者だった。つまりカナダの移民だった。カナダの永住権を取得するのに、1年半ほどかかり、その複雑な申請手続きのなかで、カナダの移民政策の哲学を否応なしに思い知らされることになった。

カナダもかつては、中国人の単純労働力を大量に輸入して、西部への鉄道建設に従事させたりとか、移民を道具のように扱っていた時代もあった。だが、移民の世代を重ねるにつれて、その移民政策はより合理的で人道的なものに進化していった。現在のカナダの移民は、基本的に家族・熟練労働者・投資の3つのクラスに分かれている。人道的観点から、カナダ人の近い親類は優先的に移民できるけれども、それを除くと、カナダ経済に貢献する可能性の高い人物を選抜できるように、移民の審査過程が設計されている。

カナダ人の中にもいろんな意見があり、当然、移民に対して否定的な思想の人たちもいる。移民に基本的に賛成でも、景気後退期には、新規移民を減らすべきだと主張する人たちもいる。ただし、私が4年間暮らした経験でいうと、カナダに住む実に多様な民族 - 欧州人・アジア人・ラテンアメリカ人・中東人等々 - は、見事な調和を保って暮らしていた。カナダが世界でもっとも成功した移民国家の一つであるのは間違いない。

もちろん、カナダの移民当局の本音としては「カナダに役に立つ人間だけ来て欲しい」ということなのだが、移民はまず第一に「人間」として扱われていたと感じる。カナダで永住権を取ると、「カナダへようこそ。これであなたもカナダ人ですね」と言われる。国として、移民を仲間として認めてくれるのだ。これがどれほど嬉しかったことか。一生懸命働いて、カナダに貢献しようという気にもなるものだ。

翻って日本はどうだろうか。外国人は犯罪予備軍扱い。日本人にとって役に立つ間だけいてもらって、不要になれば、まるでモノを捨てるように、祖国に帰れ、という。日本人は、そもそも移民を同じ人間だと思っていないのではないか。日本人は、自分たちの人種差別意識にあまりに鈍感だといわざるをえない。こんな精神的態度を取っているかぎり、優秀な人たちがやってきて、日本のために一肌脱ごうなどと思うものか。

欧州は、かつて大量の単純労働者を導入し、その後始末に苦労した。日本が同じ轍を踏む必要はない。アメリカやカナダの高機能移民(高技能・高学歴の移民)は明らかにこれらの国の発展に大きく寄与している。日本でも高機能移民は積極的に受け入れるべきだ。遅すぎるという人は何を以ってそういうのか。いまや世界中の才能を引き寄せる移民大国になったシンガポールだって、40年前には何もなかった。日本だって、条件を整えれば、これから先も優秀な人たちを引き寄せることは十分だ。(その「条件を整える」という部分が、絶望的に難しいがゆえに、皮肉なことをいうひとの気持ちは理解できるけれども・・・)

いまの日本の閉塞感の多くの部分は、同質的な日本人たちだけで物事を進めようとするあまり、新しいアイディアが浮かばなくなり、内輪受けだけの陳腐な話に終始するようになってしまったことによる。同じ土地で同じ作物を作り続けると収穫が減ってしまうという連作障害のようなものだ。あるいは、近親結婚を繰り返した結果、子孫が病弱になる現象に似ていると言ってもいいかもしれない。いずれにしろ新しい血を外から入れる必要があるのである。

日本とは根本的にやり方が違う、外国人の文化を導入することは、日本人に新鮮な衝撃を与えるだろう。そこで平和ボケした日本人の頭がはじめて活性化し、日本文化を新しい段階に進化させるだろう。歴史をひもとけば、日本という国は、外国の文化に謙虚に学ぶたびに、飛躍してきたではないか。

日本人は、日本人である以前に、地球人である。そして、外国人もまた地球人であるのだ。「移民を導入すれば、日本が外国人の食い物にされる」などという情けない発想ではなく、優秀な移民たちをしかるべき待遇で歓迎しつつ、逆に、彼らの力を利用して、日本という国を力強く成長させようというしたたかさこそ強く求められているのだ。世界中の英知の力を借りて、日本を再建したらいいではないか。