日本的組織内部の村落共同体を破壊すれば合理性を回復できる

前回、

日本的組織の非合理性を破壊する方法 - Rails で行こう!

というエントリを書いたところ、次のような興味深いコメントをいただいた。

日本の組織には、目標が無いとおっしゃいますが、私から見れば、タチの悪い組織ほど、行動原理は明白です。


《1》個人、派閥の所有する既得権は神聖である。全体の利益は、実は、そうでもない。
《2》失敗を認めるより、もっと『前・向・き・に』頑張ろう。やってみなければ分からない。
《3》そのための犠牲は、あまり考えないようにする。


これは、和を以て貴しと為す話ではなく、自分の目先の損失を最小化したい上の方の人たちによる、単なるガチガチの個人プレーの集合体ですよ。彼らにとって和とは、自分の利益を下に(ないし外部に)強制する手段ないし、名目にすぎません。別に、名目が『和』じゃなくてもいいんですよ、敢闘した部下に自殺を強いるような外道な参謀にとっては。

これは重要な指摘だ。今回はこの点について考えてみることにしたい。

日本の組織には合理性がない、と書いたが、これは正確ではない。日本的組織には、全体を統率する公式の目標が欠落しているか、あっても非常に弱いのは確かだ。しかし、日本的組織をもっと近づいて観察すると、そこには無数の半自立的集団が存在し、その連合体としての性格を持っていることがわかる。

アメリカの組織から日本の社畜問題について考える - Rails で行こう!

というエントリで考察したように、日本の組織はもともとトップの権力が弱く、権限が広く下部に委譲されている。そして、各部門は半自立的な性格を持っていて、トップダウンの改革に対して激しく抵抗する。

私は、システム構築を長らく仕事にしていたので、この事情はよく理解できる。日本で、ある会社のシステム部が、全社的なシステム導入と同時に全社的な最適化を図る業務改革を行おうとする。すると、そういう試みは現場の激しい抵抗を受けて挫折したり大幅な妥協を強いられるのが通常である。会社全体の目標がはっきりせず、トップには改革をやり通す覚悟がない(アメリカならコーポレートガバナンスが効いているので、改革をサボるトップは株主から訴えられるリスクが常にあるのとは対照的だ)。あるいはトップに覚悟があっても、現場の人間たちに社内クーデターを起されて追放されることもある(最近の富士通社長の追放劇を巡る醜聞もこれにあたるだろう)。

考えてみれば、日本軍の一部門に過ぎなかった、満州の関東軍が東京の大本営のいうことを聞かず、暴走したのも、日本的組織の各部門の自立性の高さの左証かもしれない。いまもまた霞ヶ関の各省が「省益」を死守しようと勝手に振る舞い、政治家さえコントロールできないのも同じかもしれない。

なぜ下部組織が自立してしまうのか。日本人が組織を作るとき、それは第一に仲良しクラブなのであり、ある合理的な目的を達成する機能的組織ではないからではないか。まず第一に人間的な紐帯を重視する。それ自体は悪いことではないが、いつの間にか本来の目的は忘れられ、その下部組織の維持発展自体が目標になってしまう。

私が大学を卒業してある都市銀行に入ったとき、違和感を感じたのは「同期」という概念が当たり前に共有されていることだった。「何年入行」というものを後々まで従業員たちは気にするのである。そのため、先輩後輩という意識も同時に発生する。あるいは飲み会で従業員の間の親睦を深めようというのも日本的組織の共同体的性格を表している。社内運動会で披露する芸を新入社員たちは必死で練習しなければならない、というのもそうだ。

そうやって、ガチガチの人間関係を構築していく過程で、自分たちがそもそも何のために組織にいるのか忘れてしまうのだ。組織が本来、社会の中で果たす役割より、目の前の仲間たちといかに目の前の仕事を守っていくか、ということが最重要になっていくのである。そして、日本的組織はトップの力が弱いので、こうした自立的な各部門の力を抑えることができない。

「村」としての下部組織

日本の自立的な各部門の有様は、古典的な村落共同体に良く似ている。村はその定義からして機能的集団ではない。ある狭い地域に住む人々の運命共同体である。存続自体が目標であって、外部から定義される特定の目標に貢献するために存在するわけではないのだ。その構成員は基本的にその村で生まれ育った人たちであり、外部との間に出たり入ったりする人間的な流動性は非常に低い。そのため、人々は極めて同質的な信念を共有している。

ガラパゴス化が起こる一つの原因は、こうした自立的な各部門が組織全体の最適化と関係ないところで、いままでの活動をひたすら強化して行おうとするところにあるのではないか。

たとえば、ある時代遅れの事業があり、経営者は本来それを閉鎖しなければならないとしよう。この場合でも、その事業部はその事業の存続自体を目標として自動運動を続けており、それを妨げようというすべての動きに激しく抵抗する。そのため、経営者は妥協して、多くの時代遅れの事業をそのまま続けざるをえなくなる。

実際にはその時代遅れの事業部の現場で働いている人たちの中には、その事業がもはや経済的合理性を失っており、持続可能ではないことに気づいている人たちがいる。しかし、その事業部は「村」であり、人間関係のしがらみから、そこから出て行くことはできない。その事業に反対することもできない。こうして多くの人たちが疑問に思いながらも、その事業が継続していくのである。

ここで異質な要素が大量に各事業部に注入されたとしよう。彼らは「村」の外からやってきた「よそ者」たちである。彼らは「なぜこういうことをしているのか」と疑問を公言するだろう。ここで初めて、その事業部の責任者は合理的な説明を与えなければならなくなる。その説明が満足行かなければ、彼らはそこを去ることもいとわないだろう。こうして土着的共同体としての「村」が少しずつ機能的組織に脱皮していくのである。

日本的組織は、それが誕生した直後は、合理的目標に向かって進んでいく。日本人持ち前の勤勉さでそれは華々しい成功を収める。問題は、この成功の後である。日本文化の特徴から、組織の中に極めて同質性の高い土着的な共同体(村)を多く作り出してしまうのである。これらの「村」は、かつての封建的な領土のように組織のトップの命令に素直に従わない。村の存続自体が最大の目標に転化してしまい、経済的合理性に基づく説明は受け入れられなくなる。村の維持発展という部分最適が、組織目標の遂行という全体最適に優先する。そして、最後は新しい環境に適応できなくなった日本的組織全体が自壊するのである(自壊したあとは、また合理的な小組織が至る所に誕生し、成功し、巨大になり、各部門がまた村落共同体になり・・・という繰り返し)。

日本的組織は1945年の太平洋戦争で一度自壊した。そしていま、また新しい自壊へのプロセスが始まりつつある。環境からの強制(外圧)による破壊によって、多くの犠牲を払いつつ再生するのではなく、過去の教訓を学ぶことにより、自ら環境に適応して変化し続ける柔軟性を得ることが、いまの日本的組織に求められているのではないだろうか。