なぜ経営をしたいのか

私がベトナムに渡ってきた理由は、ここで「経営」というものを経験するためである。私は、どちらかというと内省的なタイプで、イケイケの体育会系営業マンとは対照的な性格だ。そんな私が、なぜ経営などという面倒なことを目指すかというと・・・私はこの経済現象を実体験として経験したいからだ。

私は、高校時代の後半から経済現象に深い関心を抱いていた。大学は経済学部に進んだ。日本の経済学部生は普通勉強などしないのだが、私は、その通例に従わず、死ぬほど経済学勉強し、一時期は経済学者になることを目指していた。しかし、その美しい数学的な理論が、現実にはまったく役に立たないのを見て、深く絶望した。むしろ、経済現象そのものに飛び込んで、自らそれを体験するべきだ、と考えた。

私は、大学卒業後、ある都市銀行に入った。そこまではよかったと思う。しかし、私は、保守的な日本の大企業の雰囲気にまったくなじめず、一年もせずに退職した。実力主義の外資系金融機関であればもう少し伸び伸び仕事ができたのではないか、という気もしなくもない。しかし、当時、外資系金融機関といえば、帰国子女が行く特殊な場所だと思い込んでいて、選択肢として考えなかった。思えば馬鹿だが、若さというのはそういうものだろう。

この3年ほどは私は実質フリーランスプログラマーとして活動した。プログラムを書いて、それを顧客に渡す。顧客は、対価として私に金を払う。極めて単純明快な経済活動だ。このやり方の問題点は、私は生きていくために一生プログラムを書き続けなければならないという点だ。プログラムを書いて世界を変える。これも一つの生き方とは思う。だが、プログラムが真に社会的影響力を持つにはビジネスとして成立させなければならない。そこにソフトウェア技術とこの実社会との接点がある。それに携わることなく、一生を終えるのはあまりに惜しい。

だが、どこからはじめるべきなのか。出発点が見えない。何かを始めなければならない。しかし、どうしたらいいのかわからない。そこになんともいえない焦りを感じる。

私がもし失敗するとすれば、それは私自身の責任だ。ごく単純な話で、私は自分がすべきことを自ら定義できないがゆえに失敗するのだ。