ブクマされたりニュースサイトに取り上げられたりしてわかったこと。

3/26に書いたエントリがニュースサイトに取り上げられ、ブクマ1つ、スター2つ。
3/31に書いたニコニコ動画に関してのエントリにブクマ2つ、スター1つ、コメント1つ。
いままで2年ほどブログを書きつつも、リアルの友人からはともかく、
自分の知らない人からリアクションをもらったことがほとんどなかったんで、
短期間に2エントリもリアクションが帰ってくるのは新鮮だった。
そのとき感じたことをいまさらながら書いてみる。
なお、つらつらと思うままに書いてて、文章としての流れはほぼありませんのであしからず。

ネットの向こうには"人"がいる

「ブログ=不特定多数に開けているもの」ということを頭でわかってはいても、
そういう事例に巻き込まれたことがなかったんで、
なんとなーく対岸の出来事みたいに感じてた。


確かにオンラインで交流をすることもあったけど、
それはリアルでも交流のある人との交流であった。


でもこうしてリアルでは完全に交流のない人、知らない人から
ほぼ初めてリアクションをもらって、
「あ、やっぱネットの向こうには人がいるんだな」と実感。

有名人にまで声が届く。

不特定多数、というとなにかよくわからん抽象的なものに感じてしまうのだけれど、
ほんとにいろんな人がいるもんで、
取り上げてもらったニュースサイト(まなめはうす)は自分も聞いたことのあるぐらいのサイトだし、
ニコ動のエントリにブクマしてくれたkoizukaさんは何を隠そうニコ動の中の人。
ちょっと前になるけど、情報法の学部授業がなくなることについて嘆いたエントリにも
その情報法を担当していた先生であり、またmiauの発起人であり、
いまやネットスターにまで出演した(なんかすごい偏った紹介だな)しらた先生からコメントをもらった。
もうどの人も自分からしたらすごい有名人。手の届かないところにいる人。
そういう人が自分のブログにリアクションしてくれた。


ネットのなかったときは、こういう有名人たちにどうやって声を届けていたんだろう。
手紙?電話?先生の場合は大学にアポを取る?なんにせよすごいコストがかかったと思う。
こういう有名人に声を届けるのはきっと難しかったんだと思う。
当然コストに比例するぐらいの内容が求められたんだと思う。
(そもそもこういう有名人を知る機会も少なかったんじゃないかな。)


でもそれが、こんな零細弱小偏狭ブログでも、ちょっとした思い付きの内容でも、
寝る前のほんの10分しかかけてないものでも、今回みたいにできてしまうことがある。
これってすごくない?


(ちなみにニコ動のエントリに関しては、koizukaすごい速さでニコ動関連エントリを漁っていることを知ってたんで、絶対見てくれるだろうっていうほぼ確信犯的感覚で書いてたり。まさかブクマコメントまでつけてくれるとは思わなかったけど。)

やる気が出てくる

有名人に声が届くってのもそうだけど、
こうしてコメントもらってスターつけてもらって
リアクションを受けると、
やる気が出てくるよね。
あ、オレを見てくれている人がいるんだって。
やっぱうれしいもんだよ。

思わぬ考え方を知ることができる。

まなめさんに取り上げられたほうは、ほんとあの程度のことで思考を停止してたんだけど、

だから、自分の好きでたまらない世界を羅列するニュースサイトは自分と世界を共有する人を増やすツールとしても最高なんですよ!

ってコメントをしてもらって、あ、そういう考え方もあるのか、って。
思わぬ考えを知れて単純に楽しかった。
こうやっていろいろ知を与え合ってるんだな〜って。

力の入れ具合に評価は比例しない

ニコニコ動画のほうはともかく、まなめさんの取り上げられたほうは、
あれの前日のロハスに関する短文エントリに友人からのコメが集まって、
ちょうどそのタイミングでそのロハスエントリに絡められるホットなエントリを見かけたんで、
これも興味を示してくれるかもってことですげ〜適当に短時間に書いたものだったり。


それが結果的にニュースサイトに取り上げられる。
一方でいままで力を入れて書いたエントリは、箸にも棒にもかからず。
いやはや、ブログに関しては力の入れぐらいなんて評価にはあんま関係ないもんだ。

以上、ネットをやってる人にはごくごく当たり前のことを書いてきたけれど。

言われてみればすごい当たり前のことで、
ネット論・ブログ論的なサイトを回れば多分どこでも目にするような内容だし、
当然自分も頭では理解していたのだけれども。
でもやっぱこうして実際に巻き込まれることで、より実感できた。
芯まで理解できたというか、心で理解できたというか。


「百聞は一見にしかず」ってのはすごい言葉だ。