涜書:ミンツバーグ『マネジメントについて』

夜食。

人間感覚のマネジメント―行き過ぎた合理主義への抗議

人間感覚のマネジメント―行き過ぎた合理主義への抗議

だからベムって誰のことなんだ、と。

誰か教えろ。



【追記】
芹沢さんのことだったらしい。
清水ってのは幾太郎のことか?

ニクラス・ルーマン「機能主義的方法とシステム理論」「真理とイデオロギー」



「最初期ルーマン読書会」、次回は20日です。
ところでイラストはまだですか。

応答感謝:本日の「批判さん」

トラックバックもコメントもできねーのはなぜ?

「エスノメソドロジーに関するよくある疑問・質問」に加えさせていただきました:


岸どん曰く:

ミクロな相互作用を見る、という方法論と、権力とはイメージの押しつけであるとする「過剰に認識論化された権力論」と、社会的ラベリングに抵抗するという政治的関心が一致するとき何が起きるかというと、世の中で最も深刻な差別は「研究者によるイメージの押し付け」であり、世の中で最も勇敢な抵抗は「相互作用の最中に口答えすること」になる。

わたしはこういうの↑を「反省さん」と呼んでいます。
「反省さん」と「批判さん」は、とても相性がいいです。

お買いもの:『ハイデガー「哲学への寄与」解読』

うひょぉ。

ハイデガー「哲学への寄与」解読

ハイデガー「哲学への寄与」解読

涜書:ミンツバーグ『マネジメントについて』

昼食。isbn:4478170258 2周目。
第2章「戦略を工芸制作する」


前フリ。「戦略」なる言葉のもっとも手短な説明。加えて、「マネージャーの仕事」についての研究と「戦略策定」研究とがどう関係するか、の手短な説明。ここで「ダーウィン的」と呼ばれているほうが、ミンツバーグ自身のスタンス。

 マネジャーが実行する比較的重要な物事の一つに、自分の預かっている組織のために戦略を策定するか、ないしは少なくとも、戦略を策定する際に自分や部下がたどる過程を監督する、ということがある。

    • 狭い意味で戦略策定とは、組織を市場のニッチに位置づけることであり、言い換えれば、どんな製品を、だれのために生産するかを決定することである。しかし、
    • 広い意味での戦略策定とは、組織と呼ばれる集合システムがその基本的志向をどのようにして確立し、また必要に応じて変化させるかということに関係したことがらである。

戦略策定はまた、集合的意図という複雑な問題を──多くの人々から構成される組織がどのようにして、いわば その心 というものをつくり上げていくかという問題を──扱う。
 戦略策定は興味深い過程であって、普通一般に戦略策定と結びつけて考えられている「計画立案」という一組の単純な処方をはるかに上回る要素を含んでいる。この主題は、わたしの研究経歴を通しての中心的関心事であった。わたしが博士課程の学生として1967年に発表した「戦略策定の科学」と題する最初の論文では、聖書的な「大計画」アプローチ が ダーウィン的進化アプローチ と対比されている。わたしは今『戦略形成』と題する二巻からなる著作を書いているが、その基礎テーマは、この、主題への計画的なアプローチと創発的なアプローチを対比することにある。
[‥]
 わたしの考えは十数年にわたって発達してきたものであるが(‥)、論文「マネジャーの職務」の論調に似たものがここにもみられるはずである。この論文で提示されるのは、「計算された混沌」のなかで仕事をせざるをえないマネジャーたちが複雑な、そして必然的に集合的な戦略策定の過程に、現にどのように対処しているかの描出である。[p.37-8]

ここで「創発的」とか「その心」とかいった言葉を使っちゃうところがなんとも切ない。

単に、よくわからん・不適切な言葉を使っているのが気に喰わない、と言いたいわけではないのです。こうした不適切な言葉の使用が 研究をブロックしてしまっているようにみえるのがたいへん気になるわけです。
こんなことだから、研究を先に進める代わりに、「直観が‥」「暗黙知が‥」「システムではなく人間が‥」といった うわごと のような何か を語ることしかできなくなってしまうんじゃないのか、と。
いいかえると、こうした不適切な言葉の使用をみてしまうと、著者が、自分の研究したい事柄
彼自身の言葉を借りれば「組織における 行為と思考の結びつき」
を扱うのに相応しい・適切な分析技術を持ち合わせていないのではないか と推察される、ということ。



 戦略とは何かと尋ねられたら、ほとんどだれもが

    • 一種の計画案、つまり未来の行動に対する何らかの明示的指標

と定義するであろう。そこで次に競争相手、政府、あるいは自分自身でもよいから、現実にこれまでどんな戦略を追求してきたかと尋ねてみるがよい。おそらく

    • 過去の行動の一貫性──ある期間を通してみられる行為のパターン──

を描出するであろう。そこで判明するのは、戦略とは人々が一方であるふうに定義し、他方で別のふうに使用する、そのくせ、違いに気づかずにいる言葉の一つだということである。

 その理由は簡単である。戦略の正式の定義がどうだとか、語源がギリシャの軍事用語であるとかいったことにかかわらず、わたしたちはこの、言葉を、未来の意図的行動を描出するためばかりでなく、過去の行為を説明するためにも、必要としているということである。要するに、戦略は計画立案され、意図されるとともに、実際に追求され、実現されもする(もしくは実現されない)のである。そして過去の行為のパターン、すなわちわたしの言う実現された戦略は、そうした追求を反映する。さらにまた、計画案が必ずしもパターンを生むわけではないのと同様に(意図された戦略のあるものはまったく実現されない)、パターンが必ずしも計画案の結果でなければならないわけでもない。組織は知らず知らずに、ましてや明示化など思いもよらずに、パターン(実現された戦略)を発達させる。[p.41-44]

そこで概念分析ですよ。

涜書:ミンツバーグ『マネジメントについて』

夕食。isbn:4478170258

第I部 マネジメントについて

  • 3章 左脳で計画立案し、右脳でマネージする
  • 4章 分析と直観の連結によるマネジメント
  • 5章 MBAではなくマネジャーを訓練する

第II部 組織について

第III章 わたしたちが住む組織の社会について

  • 15章 だれが企業を統制するべきか
  • 16章 「能率」という汚い言葉についての一見解
  • 17章 マネジメントが社会をだめにした

右脳とか左脳とか──分析とか直観とか──言うな。
4章ではサイモンとの手紙のやり取りが紹介されてて面白い。

私にはどっちも間違ったことをいっているように見えるけど。でも、サイモンがごく常識的な見解を述べているだけなのに対し、ミンツバーグは深淵に足を踏み入れてしまっている。恐るべし。
というか。どうやらこのひと、最初から「そういう」ひとだったらしい。

5章の一行要約:「子供にマネジメントを教えてもしょうがない」。


本日のご高説:もしもおいらがMBAを改革するなら──

5章 MBAではなくマネジャーを訓練する

 [ミンツバーグ自身が推奨したい──通常のMBA教程とは異なる──「描出的透察」というやりかたの]対策の処方に伴う問題は、一般的応用がきかない点である。多くの異なった組織から集まって同じ教室に座っているマネジャーたちが抱えるさまざまな問題を、一つのアプローチで解くことはできない。対策の処方は文脈に対応するべきものであり、特殊な状況のなかで、その時、その場所のニーズに合わせて決めるべきものである。

 効果的な対策の処方にとって決定的なのは効果的な診断であり、そして診断は今現に問題となっている状況についての最善の理解にかかっている。マネジメントには、率直に言って問題とその症候を把握するための総称的なカテゴリーが欠けている。おそらく医学には存在しているはずだが、そうしたものは問題を診断し、対策を処方するための簡便法である。マネジメントの問題は、少なくとも上級層では、普通それぞれ独自に研究されなければならない。それだからこそ描出がわたしたちの手に入るもっとも強力な処方道具だと信じるのである。ただし、正しい人物が──情報に通じた実務家が──手中にすればのことであるが。

(そしてこれが、なぜわたしが研究者としての自分の役割を技法の創造ではなく、透察の開発にあると考え、また教育者としての自分の役割を何らかの変化を処方することではなく、そうした透察を広めることにあると考える理由である。ある特殊な文脈においてコンサルタントとして働くときだけ、わたしは対策の処方に関わりを持つ。[‥]

 このような描出素材の実際の内容としては、二つの領域を包括できる。第一は組織の基本的機能──組織はどのように決定を下し、戦略を形成し、情報を処理するか、そのマネジャーたちはどのように仕事を実行するか、等々──である。第二は組織環境──経済的、政治的、社会的、財政的、等々の文脈──についての基礎知識である。[‥]

 自分の教育経歴の端緒から、わたしは教室では描出的理論を用いることに力を入れてきた。しかし間もなく質問が返ってきた。「先生、マネジャーが実際にはどのように仕事をしていて、組織が実際にはどのように戦略を策定しているかについて教わるのはよいのですが、いつになったらそうした物事をどう実行すればよいのか教えてくれるのですか。卒業した日からすぐに使えるようなことを」。「ちょっと待ちなさい」と答えたものだ。[‥]「ドアノブがどのように動くのか知らなければ、君はこの教室に入れなかったはずでしょう。君はなぜ、組織がどのように機能するかをすっかり理解できたと思うのですか。ひどく入り組んだシステムだというのに。今君に対策の処方を授けても、使いようがないでしょう」。わたしは今教えているエグゼクティブたちにもほぼ同じことを言っている。「わたしから対策の処方を期待しないでください。わたしにできることといえば──事実としてだれだって皆さんのさまざまな組織を前にしてできることといえば──内容豊富な描出を、あなたがたの世界を眺めるさまざまな視点を、提供することだけでしょう。もしそれが優れたものであったら、どう対処すればよいかはあなたがた自身でわかるはずです。」

 なぜマネジメントの領域にいるわたしたちは、[通常のMBA教程で採用されている、次に挙げるような]未熟で包括的な対策の処方に固執し続けるのか。そのために今世紀を通して何回となく道を踏み外してきたはずである。参加的経営がそうである(服を着替えるようにリーダーシップ・スタイルを着替えよ)。戦略的計画立案がそうである(チェックリストによる創造性)。あるいは昨今のボトムラインヘの妄念がそうである(製品でなく、市場でなく、さらには顧客でもなく、利潤自体をマネージすることによる利潤追求)。またもやもう一人の財務論担当の教授がやってきて、マネジャーたちが自分の講義に退屈するのは程度が高すぎるからだと言い張る。もうごめんこうむりたい。

 工学部の教室で学生が「先生、原子がどのように実際に作動しているかを教わるのはよいのですが、原子がどのように作動するべきかについて、いつになったら教えてくれるのですか」と質問する場面を想像できるだろうか。工学部の学生が物理学を学び、医学部の学生が生理学を学ぶのは、問題となっている現象について深く理解しなければ、そうした分野の職業に就けないことをだれもが知っているからである。なぜ、マネジメントはこの点で違っていると、あくまで考え続けるのか。[p.135-138]

ちなみにミンツバーグ先生は工学部のご出身♪

「描出的透察」の原語はなんだろう。「描出的」のほうは descriptive だろうけど、「透察」は? insight?
原著買った方がいいなこりゃ。
ちなみに「浅薄なマネジメント/濃厚なマネジメント」とか訳されてるが、これはギアツを踏まえての表現ですよ。ほかにもヘンな訳たくさん。

お買いもの:ミンツバーグ『マネジメントについて』

Mintzberg on Management

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http://d.hatena.ne.jp/contractio/20040310