「あなたの言葉が、人を殺す。WHOの自殺報道ガイドラインを読もう」への返信

昨日、n-styles氏のエントリーを読んだ。
特にこのブログのことは触れていないが、対象にされていると思うので返信してみる。

模倣自殺に対する研究が世界中で行われ、そのすべての研究が「メディア報道が模倣自殺を引き起こしている」という結論を導き出している。
自殺手段を報道すれば、同じ方法での自殺が増える。
自殺を克明に、センセーショナルに報じれば報じるほど人が死ぬのである。

[NS] あなたの言葉が、人を殺す。WHOの自殺報道ガイドラインを読もう

有名人の自殺後に、ウェルテル効果による後追い自殺が多発するため、自殺者のネットログを読んだり紹介すべきではないというのがエントリーの主題だ。

ブックマークのコメントには、さまざまな意見があって興味深い。
トピシュ氏は、リベンジポルノならぬリベンジ自殺とでもいうべきスタイルが模倣されることを懸念しているが、十分起こりうることだと思う。

topisyu topisyu 「LINEやTwitterでパートナーとのやり取りを残しておいて、自殺後にパートナーに(自殺教唆で逮捕されたり、実名が拡散されるなどで)迷惑をかけよう!」という模倣自殺は起きそうですよね。

男女間に限らず、「社長に死ねと言われたので死にます」とか、親近者に対する恨みを最後に暴露する人も出てくるだろう。
自殺者のメッセージがネット上に増えるのは間違いない。

自殺した死者のコンテンツと表現の自由について

n-styles氏はマスコミだけでなくブログやSNSにもWHOのガイドラインが適用されるべきだと考えているようだ。

若年層において従来のマスメディアよりもSNSやWebサイトを重視する傾向がある。
だからこそ、個人blogやSNSはマスコミ並みの影響力を持つことがあるということを考えるべきだ。

特に注意すべきことは、自殺者が遺したSNSアカウントのログやblogを興味本位で読まないこと、紹介しないことだ。

これを読んで思ったのは、南条あやの日記についてだった。

南条あやの日記は今でもアーカイブを探せば読むことができる(Wikipediaにはリンクも貼られている)。
それをブログで紹介することは、WHOのガイドラインに違反することは明確だ。
私もすべきではないと感じる。
しかし南条あやの日記をまとめた書籍については、Amazonで販売されているし、読者からのレビューも掲載されている。
実際にウェルテル効果が発生するのは、PVの少ない個人ブログよりも、そうしたレビューのほうが、直接的で影響も大きいはずだ。
しかし、そうしたレビューを規制すべきだという声は聞こえてこない。
なぜ、ブログと同じものが書籍になると、レビューが自粛されるべきではないと感じるようになるのだろうか?

今回の事件で発掘されたのはブログであったが、過去に書かれていた電子書籍だったらどうなったのだろう。
過去のブログやSNSなどを紹介するのはNGだが、電子書籍であっても紹介するのは自粛すべきことなのだろうか?
最近ではブログの書籍化は当たり前のように行われている。
ブログの文章であっても、書いた当人にとっては作品だと考えている場合もある。
彼女は同人誌を文芸フリマに出していたこともあり、もし生きていれば電子書籍を出す可能性は十分にあったはずだ。
彼女のブログは、日記というより小説だという感想もブックマークに残されている。

仮にWHOのガイドラインに従って自主規制するのであれば、ネットログであっても電子書籍であっても同じように対応するべきだろう。
しかし、それは現実的にいくつか問題がある。
例えば、人気作家や有名人が自殺した場合のことを考えてみよう。
下品な行為だとは思うが、自殺した影響でAmazonのレビューが増え、書籍の売上が伸びるだろう。
WHOのガイドラインに従うと、自殺者の本のレビューも控えるべきなのだろうか?
それとも一定期間、Amazonは取り扱いを中止すべきだろうか。
書評を書くべきではない書籍・電子書籍リストを作るべきだろうか。
もちろん、そうした行動は危険な発想だということは、誰にでもわかることだ。
自殺志願者を後押しする危険性があるコンテンツだとしても、それに関連する表現の自由は守られなければならない。
しかし、ブログの言論においては、マナーやリテラシーが表現の自由を上回ると考えている人たちが増えているような気がしている。

自殺とネット社会のこれから

自殺者のTwitterアカウントは非公開にされるべきだという意見もあるが、遺族が死亡届などを提出しない限り、アカウントは凍結されないようだ。
またバカッター問題と同じように、すでに公開されてしまっている情報なので、ログや写真や個人情報が拡散されてしまっている。
残念なことにbotアカウントが登場しているので、しばらく彼女の発言や写真はネット上に漂い続けるのだろう。

電子の海に揺蕩うメンヘラ神  (Q_sai__)さんはTwitterを使っています
https://twitter.com/Q_sai__

これを法律で規制しようにも、表現の自由があるので難しい。
プロバイダーやSNSの自主規制は、今回のような場合にはあまり意味がない。
生前であれば通報やパトロールも有効だが、今回はすでに死亡している。

ネットリテラシーやマナーに頼るしかないが、WHOのガイドラインを守って書くことは、ブロガーにとっては無理難題でもある。
ちなみに日本のマスコミはほとんど無視している。
とはいえ個人ブロガーはマスコミのような大義名分はないし、責任を取る覚悟もないので、WHOのガイドラインに従って情報を発信すべきではないとn-styles氏は考えているようだ。

表現の自由、報道の自由という大義名分がマスコミにはある。万が一の場合は責任をとれるだけの覚悟がマスコミにはある。
それに対して、あなたのSNSは、あなたのblogは、他人の命よりも優先するほどの表現の自由が必要なのか。万が一の時に責任を取る覚悟があるのか。そして何より、模倣自殺を生んでしまった重圧に耐えられるか。

懸念するのは、自分とは関係がないからという理由で、WHOのガイドラインを盲信する善意のユーザーが増えることだ。
私は実際にトピシュ氏から抗議を受けているが(「話題になった自殺を取り上げる際に読んでおきたいWHOの手引き - 斗比主閲子の姑日記」)、WHOのガイドラインに従うと、エントリーを削除する以外の対応が難しい。
削除に応じないのであれば、数万人はいるであろうトピシュ氏のファンや意識の高いはてな民を敵に回してしまうことになる。
あまり望むべき姿ではないが、WHOのガイドラインはブログやSNSにも適用されるべきだと信じている人にとっては、自殺者のコンテンツに言及することは妥協できる余地のない行為なのだろう。

今回、このブログと同じくトピシュ氏から批判を浴びているブログとして「まつたけのブログ」がある。

後半ほぼ完全に自分の個人的な話や回想ばかりで、メンヘラ神が死んだ話とは関係ない感じになってしまったけど、全部少なくとも自分にとっては必然性のある話だったりする。

Twitterのメンヘラ神が死んだ件について思ったこと - まつたけのブログ

このエントリーを書くことは何らかの必然性があったのだろうし、だからこそ共感を集めているのだろう。
しかし、まつたけ氏は生活に困窮しているので、アフィリエイト収入を稼ぐために、わざと容疑者の実名を載せて事件に関連したエントリーを書いていることは、ブログを読んでいれば感じることでもある(ブックマークの人気コメントにはマスコミに対する批判と、実名を出すべきではないとの声が並んでいる)。
アフィリエイトが当然の時代において、ブログのマナーはこうした商業的な問題とも切り離せない。

今回の件では、エントリーがバズったから批判を受けたということは承知しているが、本来は読まれようと読まれまいと守られるべきマナーがあるはずだ。
そのための基準として、WHOの自殺報道ガイドラインはブログやSNSなどには相応しくないと考えている。
意識の高いユーザーだけに共有されるものではなく、ごく普通のユーザーにも理解され浸透するものであるべきだ。
自殺のことを扱うのはデリケートで難しい問題なので、時間をかけて議論が深まっていくべきなのだろうと思う。