ルドゥーの同時代人サド(社会改革論者としての)

サドの『閨房哲学』(正確に訳すと「閨房の中の哲学」)読了。サドによる宗教観や社会観、その改革プログラムが、情熱的な長文で記述されている。『ソドム120日』も、構造的にはユートピア論であることも考え合わせると、サドはある意味では典型的な18世紀人だったと言えるだろう。やや安直に整理すると、啓蒙思想家たちが光の当たる「理性」や「自然」を信じたのに対し、同じようなプログラムを「情念」や「性愛」や「涜神」の方角に向けたのがサドということか。(しかし、この時代の啓蒙思想家たちは軒並みフリーメイソン会員だったりと、事態はそこまで単純明快ではない。)「妊娠の不在」はポルノグラフィーの特徴の一つとされるが、サドは性交による妊娠(妊娠を目的とする性交)をはなから否定している。これは「(ルソー的な)自然」や「生産性」(=18・19世紀的な価値)への否定として捉えることができるだろう。サドは「性行為」(繰り返すが、それは生産的活動であってはならない)にtravail(労働)の語を用いているそうだが、これも当時の社会思想へのアンチテーゼであるかもしれない。
サド特有の自然観は、ルソー的な自然観に拮抗している。サドにとっての自然とは、創造とともに破壊をも行うものであり、自然状態とは残酷で暴力的なものである。そしてサドは、このような破壊的であり暴力的な自然に「還る」ことを、(おそらくはルソーの言に倣って)説くのである。
未読だが、次の書籍にはサドの「自然」概念への言及があるらしい。

思想はいかに可能か

思想はいかに可能か

『閨房哲学』には、「フランス人よ!共和主義者たらんとせばいま一息だ」と題されたマニフェストが挿入されているが、これは1848年の二月革命の際に、マニフェストとして利用されたそうだ。サドが提唱する乱交という形式は、人間どうしのあらゆる区別を、性の快楽の前に解体させてしまう装置として機能しているのかもしれない。そこでは、社会階層や社会的優劣、支配・被支配の関係がぺしゃんこに潰され、あるいは容易に逆転してしまう。

「18世紀の思想家としてのサド」という観点から、参考になりそうな一冊。

サド―切断と衝突の哲学 (哲学の現代を読む)

サド―切断と衝突の哲学 (哲学の現代を読む)

ルドゥーとの関連からサドに本格的に取り組み始めたのだが、自分が簡単に気付くようなことは、おそらく専門の研究者は20〜30年くらい前から理論化しているのだろう。上記の書籍などを導きの糸に、先行研究を辿っていきたい。
(サド研究や批評の流れを辿る上で、参考になったブログ記事:http://d.hatena.ne.jp/martbm/20090211

上記のような文脈からいくと、必ず澁澤龍彦批判に帰着してしまうのだが、しかし個人的には彼は確信犯だったと思う。同時代の思想史の中にビルト・インしたのでは抜け落ちてしまいがちな、サドがもつ破壊的な面白さを、パフォーマティヴに伝えようとしたのが、不透明な翻訳者としての澁澤だったのではないだろうか。