吉田アミの日日ノ日キ

吉田アミが書きました。

カロリーの高い作品や味わい方がわからない作品は消化するのに疲れる

2007-04-03 - [email protected]

最近これは深刻だなと思っているのが、結局「見覚えのある映像(すでに見たことのある作品)、あるいはそれがあらかじめおもしろいとわかっている作品」は何度でも見れるが、まだ見たことのない、またはあらかじめそれがおもしろいかおもしろくないかがわかっていない(評価を固めていない)作品を見るという行為に億劫になっているのではないか、ということ。

 ああ、すごい納得するなあーこの感覚。

 アニメよりも大量に摂取しているマンガなんかがまさにそう。私は基本、今後手に入らない可能性があるマンガと自分が好きで全部コンプリートしている作家の作品に関しては、全部そろえるようにしている(音楽もそうだがこっちは特殊でライブなどでトレードしてもらったものの方が多かったりする)。が持っているマンガもカロリーが低くいものと異様にカロリーが高いマンガと二分している。前半は『あたしンち』や『ちびまる子ちゃん』のような熱を出したときにおかゆのように脳の神経を使わずに読めるマンガで、後半は鳩山郁子や岡田史子のようなマンガだったりする。それとは別にバイブルとして、水木しげると大島弓子や山岸凉子があったりするという。バイブルはほぼ自分の中でセリフやストーリーがインプットされているため検索性が高い。とか、分けて考えてみるとオモシロイよね。

 で、読んでて楽な「一服モノ」と読むのに骨が折れるが味わったことのない感覚を味わいたいので読む「初物」と個性的過ぎてクセがありすぎるパクチーのように一回、味わっただけではそれがうまいのかマズイのかわからない「珍味モノ」とかいつでもコンビニにそろっていて(つまり、手に入りやすいやつ)「スナックモノ」とか、細かく分けるといろいろあるよね。昔は『カイジ』とか読めなかったけど『ナニワ金融道』と西原理恵子を通過したら読めるように…とか、今までに読んだ文脈と手がかりから味わい方が突然、わかるようなものもある。なのでなるべく好き嫌いせずとにかく話題になったり、売れてたりするものはチェックするのは当然だが、偶然の出会いなども大切にしつつ雑食していくように心がけている。しかし、それができるのはマンガだけだ。アニメはできん。テレビに拘束されるのが難点。遠くのレストランに行くみたいなもの。予約を入れてアクセスするのは骨が折れる。もちろん、そうすることでしか得られないものがあるのもわかる。もっと大変なのは予備知識のない演劇や音楽のライブはメニューのない店のようなもの。円盤ジャンボリーはさしずめバイキングか。少しずつ色んな味が試せるの。ライブハウスや劇場は一店しかないし、その日だけのスペシャルメニューだから時間合わせたり足を運ぶ手間がなどコストがかかるし、当たり外れがガイドに載ってないことが多いため失敗したときに逃げ出しにくい。もとを取ろうと目論むと損をしたという気分だけが残ったりもする。そもそも、自分から楽しもうという気がなければ気軽に行けるものではない。ハードル高い!
 そう考えると同じイベントでもトークイベントは、あらかじめどんなことを話すのかわかっている場合が多いから想像しやすい。メニューも読める。知らない店でめしを食うのには冒険心がいるように、いろいろめんどうなことは多々あるのだ。

 一方で、マンガは携帯性に優れているため常に3冊は持って歩ける。いや、それは持ちすぎだ!重い!でも、持っている。最近はDSの『世界樹』が移動タイムの必携品だったが、エンディングを迎えてしまったので今や何のために持ち歩いてるのかちょっと謎ではある。最もコストの高い携帯品はゲームもそうだが、小説も。情報量が多いから得だけど、一気に味わいたいから30分、1時間の移動で消化するのはちょっと…。食べ終わってないのにウェイトレスが皿を下げに来るがごとく目的地に着いちゃって…!ああ、全部食べてから下げてよ!また、こっから頼むのメンドクサイーという感覚が小説を私から遠ざけるのである。面白いのはわかっているのに…。そう考えると新書はさくさく読めて携帯に便利だ。途中で読み止めても再び再読しやすいことはしやすい。けど、選ぶ手がかりはタイトルだけだったりするので、絵で好き嫌いが判別しやすいマンガの方がやっぱり手に取りやすい。私は。ちなみに、マンガの単行本を読むなら行きに1冊、帰りに1冊。昼休みに1冊。が消化できるのだ。大判だと行きに8割帰りに2割。残った時間に単行本1冊が妥当か。それでもちょっと、時間が空くかな?大判は重いのであんまり持ち歩きたくはないのだが。

 って、脱線した。
 
 要はタイトルどおり

 カロリーの高い作品や味わい方がわからない作品は消化するのに疲れる

 つー話である。日頃から慣れ親しんでる味なら消化しやすいが、はじめて食べる味はわかりにくい。ファミレスで出される料理は想像しやすく、食べたときと食べる前のギャップが少ない。ファーストフードもそうだ。しかも、安い。値段の割に満足度が高いものもあれば、値段の割に満足度が低いけど、祭りで売ってる屋台のように今食べるからうまく感じる、そういうものもある。行きつけの店の料理は安心して食べれるし、はじめての店は身構える。そんなものだ。

 ここで勘違いをしてはいけないのが、この味…作品が「馴染みの味だから」「消化しやすいから」良いのか、「食べたことのない」「消化しにくい」から悪いのか。前者の場合の評価は安定していると思うが後者の場合、作品が良いのではなく、自分の問題で評価が安定しない可能性が高い。特に他の客が「うまい!」と言ってる場合は特に。若者向きの味で老人にはちょっと…。なんてのもあるだろう。固くて食えん。いや、そこがクリスピーでうまいんですよ!もっとやわらかくて甘くておいしいものがいい〜!いやそんなのいつだって食えるじゃないっすか!せっかく海に来たんだから焼きそば食べましょうよ〜!油っぽい。しょっぱい。ちょうどいい味。自分にとってのおいしいが、他人にとってのマズイなこともあるわけですな。

 だから、面白いんですよね。

 私はB級グルメもフランス料理フルコースも機内食も屋台の飯もあっていいと思ってる。それはそれでかけがえがない。「フランス料理なんて高いばっかりで量なんてちょっぴりだし、損した気分になるよ!私は断然、さくら水産の魚ソーがいいね!」という人もいるだろうが、フランス料理ばっかり食ってるグルメなやつからすれば「さくら水産なんて下品なものを。庶民は貧しくってみじめね〜。やっぱフォアグラだよ」と思うかも知れない。どうでもいいが、私のフランス料理に対するイメージが貧困すぎる!

 んで、私は人のグルメの趣味に文句つけるのって下品だなーって思っちゃうからしないんですねー。いやじゃない? 一緒にさー飯食ってるときに「そんなもの食べるの?」みたいな顔されたら。そういうキャラならいいです。「この味わかんないの?お子ちゃまだね!」と言い返せる相手だとわかってるなら。不愉快じゃない。そういうコミュニケーションは相手との関係があった上で行える。まだ、よく知らない相手とか全然知らない隣の席の他人が「ここの店の料理はマズイ!食ってるやつの神経がわからん!ねえ、あんたよくこんなエサみたいなもん食えるねえ?」とか言いながら自分と同じ料理食ってて、しかも全部、食ってから言ってたら気分悪いよね? 私ならマズイ飯屋だった場合どうするかというとその場では決して言わん。マズイだけは。ただ、店を出た後に同行者にあんな程度の味で満足したのか?と思われるのがシャクなので「値段のわりにはふつーだよね。」とか言う。でも、その店で満足しているかもしれない人の前では言わん。「そう?おいしかったけど」と言われそうな場合は黙るかもな。やっぱり、相手とある程度コミュニケーションが取れてないと好き嫌いって簡単に言っちゃダメかも。

 一方、うまい場合は言う。「おいしいよーおいしいよーこのタレのかかった小さい魚みたいなのおいしいねー。なんだかよくわからないけど」と。すると一緒にいた人が詳しい場合は「その魚はインド洋でとれたマグロで云々」なんて言うわけで、それもそれで楽しいもんだ。んで、隣の人が真似して追加オーダーしたりね。隣の席で食べてるおいしそうなものって、つい頼んじゃうよ。

 よく知らない場合はそうなるが、例えば自分のライフワークとしてあるレベルまで食べ歩きをしている詳しい分野の料理…私で言えばなんだ?蕎麦とかかな?なら「この蕎麦のレベル高い」とかわかるようになる。でも、そこまで体系づけて評価を決定するためには相当、時間やお金をかけてる人じゃなきゃわかんないし、わかる人もそれを知らない相手に「マズイ!食うな」とは言えないし、それは下品だよね、と思うのであった。

 でも、どこの店に言ってもそういうマナーの悪い客がいることはあるし、嫌なら店を出ればいいんだけど、それって店が悪いってわけでもないしな。でも、結果的に客足が遠のくなら店で「マズイ!」と大声出すのはなしだというムードができるのを望むしかないのか。コックが怒り出して包丁を持ち出すかも知れない危険がないと安心して、ふんぞりかえってお客様は神様だからはやっぱカッコワルイし、そういう人とは一緒にごはんは食べたくないなー。いや、マッドなコックが一回、さくっと刺しちゃって、「この店は殺し合いもありですから!」とかやってビビらせるというのも手なのか? でも、それってすでに料理屋じゃないよな〜。やっぱ一緒にごはん食べる人が減ればいいんじゃない。一人だったら独り言。相手にしなきゃいいんじゃない。そしたら言葉も少なくなるってもんよ。
 頼んだ料理にゴキブリが入ってたり、腐っていたり、毒が入っているなら話は別だが…。それは批判されても仕方ないし、店が営業中止になるのも仕方なし。あと、あらかじめその店の評価が知りたいならガイドブックを買って、それから判断する。ちゃんとガイドブックとして信用できるやつをね。信用できるガイドブック必要!やっぱ批評家は必要ですよ!なんちゃってグルマンじゃなくってね。自分で全部、お店回れないんだから仕事で評価してる人がいてくれたほうが実は便利。自分の便利のためにもお金は払っておくべきだ。立ち読みは良くないよ。あと、自分も相手を信用できるかできないかの判断ができるようにならないとね。本当はめちゃくちゃ安くてうまくて自分にぴったりな店と出会えないまま知らないうちに閉店!なんてことになっちゃったりすると悔しがることウケアイなので、体力と好奇心があるときは思い切ってとりあえず食ってみるっていうのも手だね。失敗したと思ってもすぐに評価しないで、自分の問題なのか店の問題なのか考えてから判断下したほうがバカだと思われない。バカだと思われるのは嫌ですからね。モテませんから。

 なんか最近、わからないことは全部、食事でまとめると納得しやすい気がする。
 みんなも身に回りのなんとなくモヤモヤした問題は食で解決するといいよ!←そうか?